2020年8月5日、都の新型コロナの陽性者がとうとう5000人を超えました。
僕等が過去に経験したことのない、新しい時代に突入したことは明らかです。
ただ、僕等だけが世界で類例のない災害に直面しているわけじゃない。
アメリカ合衆国もそうでした。
コロナ陽性者が溢れかえらんばかりに増加している最中に行われた、あの大統領選挙の愚行 ―――
これによって米国のコロナ罹患者の数は、一時コントロール不能な領域にまで膨れあがり、合衆を覆ったこの死の影は、パニックに陥ったひとびとを怪しげな陰謀論へと追いこみ、遂にはあの連邦議会突入といった国家的事態を招くにいたりました。
僕等は対岸の火事を見るような目つきで、この一連の事件を見物していました。
けれども、やはり他人事じゃなかった。それは来たるべき未来の雛型としての先行フォルムだったのです。
いま現在、僕等の国ここニッポンで、これと同じ種類の出来事が発生しようとしています。
米国がコロナ騒ぎのなかの大統領選をとめることができなかったように、僕等もコロナ渦中の東京五輪をとめることはできませんでした。
東京五輪は傾きかけた大国ニッポンの威光を取り戻すための、唯一無二のイベントでした。
政治家も、財界人も、不動産業界も、建設業も、マスコミも、芸能人も、旅行業者も、無数のスポンサー企業も、これに己が復活を賭け、思いきって先行投資していきました。
これらの動きとほぼ同時に発生したのが、武漢風邪であり、あのダイアモンド・プリンセス号の事件です。
もちろん優秀な専門家スタッフをたくさん抱えた政府が事態を軽んじたとは思いません。
しかし、人間世界の内輪の経済ルールのほうが、未知の自然の疫病の脅威より身近であったことはたしかです。
野生の動物は、自分に脅威が迫ったときには逃げ隠れするのが基本です。
彼等はまず戦わない、戦いは、それ以外の逃げ道が閉ざされてしまったときだけの最後の手段です。
けれども、人間王国のルールに慣れすぎたエリートたちは、この野生の定理を軽んじてしまった。
東京五輪がもたらすであろう、目の前の栄華と富とに目がくらんでしまったのです。
そこで彼等はこの両者を両天秤にかけた。
危機に陥った動物が絶対にしてはならない選択です。
おかげで僕等は自然に復讐され、covid-19 に蹂躙される現在を自ら呼びこんでしまったのです。
野生の臭覚喪失がもたらしたこうした読みちがいが、僕等の世界のあらゆる局面で同時進行的に起こってきている、と僕は感じます。
今記事のテーマである「 陰謀論 」の興隆も、こうした出来事のヴァリエーションとして読み解くことが可能です。
冒頭にあげたフォトは、前記事でも取りあげた、現在来日中の Positive Evolution の Meiko 女史です。
名古屋の活動家である寺尾介伸氏と組んで、あの悪名高い「 ノーマスクデモ 」を推進している彼女のことは、皆さんももうご承知のことと思いますが、彼女は名古屋にむかう新幹線の車中において、またまたこのような Twitter をあげてきたのです。
「 ノーマスクデモ 」の存在を知ったあらゆる階層からのこれまでの非難を、まるで挑発するかのように ―――。
彼女の Twitter が大炎上したことはいうまでもありません……。
前回の記事で僕はこの Meiko さんがプロフェッショナルだといったけど、今回のこの事件を見て考えこんでしまった。
意図的に炎上商法を仕掛けてくる、あの内海医師のような割りきった安定感が、まるで感じられなかったからです。
もう少しふまじめな、おちょくるような素振りが見えたなら、僕は彼女の職業的な挑発を確信できたでしょう。
しかし、彼女は必要以上に真剣でした。
むしろいつも以上に張りつめて、気負ったような表情の自撮り画像を自らの Twitter に添えてすらいる。
韜晦の気配は微塵もない。
この真剣さには余裕がなかった。したたかさよりむしろ弱さを感じさせるものでした。
僕はこれまで彼女のことを宗教関係の組織筋からの出稼ぎスポークスマンとしてとらえていたのですが、一見そうとも見える「 優秀なスポークスマン 」といった形容から「 優秀な 」という形容詞だけは外して考えたほうがいい、と思いはじめています。
✖ ✖ ✖ ✖
平和時の娯楽のツール「 陰謀論 」は、明らかに危殆に瀕しています。
プロ野球に喩えたほうが分かりやすいと思うので、この方式でちょっとやってみましょうか。
僕等が居住しているこのあたりまえの現実世界を一軍だと仮定します。
そして、公式戦に出ることのできない、球団からいつレイオフを言いわたされるかも分からない、不安定な環境で野球をしている選手たちが集まっているのが二軍です。
二軍の選手は自分が一軍に抜擢され、そのファインプレーが新聞に取りあげられ、喝采を浴びる「 いつか 」を夢見ながら、地味で苦しい練習漬けの日々を送っています。
二軍から一軍に抜擢されスターダムにのしあがった、かつての阪神タイガースの主砲の掛布雅之や南海ホークス出身の故・野村克也監督のような例もたしかにありますが、全体的に見てこのような例はやはり少数でしょう。
怪我をしたり、何年かするうちに自分の限界を悟り、野球を断念して去っていく選手のほうが圧倒的に多いのが現実なのです。
僕がなにをいわんとしているのか、お分かりでしょうか?
そうです。僕は陰謀論者という存在が、現実世界から二軍落ちしたひとたちではないか、と考えているのです。
ただ、僕は彼等を下に見ているわけではないので、そのへんは誤解なきよう ――― こんなのを書いている僕自身だって、他人様にどうこういえるほど偉い人間じゃないんですから。
どちらかといえば一軍と二軍との境界をウロウロしている選手であろうという自覚もちゃんともっています。
一軍と二軍の狭間であがきつづけるこの葛藤は、恐らく生涯つづくことでしょう。
けれども、陰謀論者の場合はそうじゃない、彼等は葛藤することからも逃げたのです。
自身の葛藤から逃げて、世間から向けられている視線と対峙することからもまた逃げて、自分はひょっとして現実世界からの二軍落ちを球団フロントから宣告されているのではないか、という疑惑からも逃げて、そのような逃走の末、彼等は実に画期的な方法をとうとう発明してくれました。
彼等は、なんと僕等の暮らす世界自体をまるごと拒否することにしたのです。
そんなものはまやかしである、と。
今回のコロナ騒動そのものが、世界権力が仕掛けた擬似イベントなんだ、とまで彼等は力説したのです。
つまり、彼等は、自分たちの所属している二軍は二軍ではなく、我々のリーグこそが正真正銘の一軍である、正しい世界だと君たちの思いこんでいる世界のほうこそ虚妄じゃないか、と弾けるように主張しはじめたのです。
驚天動地のマジックでした。
僕等は思わず息をのんだ。
打率が一割にも達していないくせに、自分たちがメジャーリーグのプレイヤーだと!?
何をいってるんだ、こいつらは、と街は騒然となりました。
そのような彼等・陰謀論者のひねくれきった性質をいちばん表しているのが、あの悪名高い「 ノーマスクデモ 」でしょう。
あのなかには常識がない。
思いやりがない。
分別がない。
周りへの配慮も公衆衛生への気遣いもない。
希望もなければ内省もない。
よい人間になりたいという願いもない。
本当に伝えたいメッセージもない。
あえてマスクをはずした人間同士で徒党を組んで、covid-19 の感染に怯える善良なひとたちをおののかせ、つまりはコロナウイルスの威勢だけちゃっかり借りておいて、自分たちの集団は大したもんだ、どうだい、慌てふためくあいつらの顔を見てみろよ、いいザマじゃないか、とわがまま勝手な自己満に浸っているだけではないですか。
あなたがたの「 コロナはない 」などという主張をまじめに聴いているひとなんか、どこの世界にもいませんよ。
みんな、マスクを外してコロナ禍の通りを行進する謎の自閉者集団を、ただ薄気味わるげに見守っているだけ。
ああ、なんだよ、あいつら…。早いとこどっかにいってくれないかな…、と願いながら。
あなたがたの「 ノーマスクデモ 」から僕等が汲みとれるのは、社会の二軍にずり落ちてしまった人間の、どうしようもなく悲しい怨み節だけです。
以前、よく通勤の途中で、ぶつぶつと「 バカ 」だの「 阿呆 」だの、大声でひとりごとをいいながらよた歩きしている親父さんを見かけたものですが、ノーマスクデモの諸氏がやっていることは、結局のとこあれと一緒です。
そんなものを見たがる人間なんてどこにもいやしません。誰もが忌避して通るのは当然です。
本来ならこうした愚行に飛びついてくるマスコミですら、彼等のことを報道するのは控えたほどです。
というわけでもういちど ――― おさらいの意味もこめて、街の一般人の彼等評をさらってみましょうか ―――
僕等はあたりまえのように「 陰謀論 」といいますが、これはマスコミがつけた便宜上の「 通り名 」であって、精密な意味での論理体系ではありません。
陰謀論には証明の機構はなく、検証のための装置もありません。
陰謀論を起動させているエネルギーは「 Maybe 」であり、これはつまり「 かもしれない 」ということです。
かもしれないという可能性から可能性へと飛翔していくのが、陰謀論の本質なのです。
現実は「 従 」であり、これを切り裂いて使用する人間の「 感情のほうが主( あるじ )」なのです。
スピ系と親和性が高いことも頷けます。
この構造は、紛れもなく「 ロジック 」ではなく「 宗教 」の範疇なのですから ―――。
従って、陰謀論の機構の使い手は、自分の見たい夢を現実からそれぞれに切りとってきて、その破片を恣意的に組み立てることによって、自分好みの現実といったものを構築することができます。
この際、実際の現実の総体といった要素は、一切考慮されません。
彼等が必要とするのは現実の断片だけです。
それぞれの断片たち同士の関係性もどうだっていい。
裏取りなんぞしやしない。フェイクニュース、大いに結構。根拠などもなくていい。
そもそもが「 自分の夢見る悪ファンタジー 」を公に提示したいだけの人々なんですから。
そのために彼等は、自分に都合のわるい現実は容赦なく切り捨てます。
そう、自分の見たいわがままな夢を織ることだけが、陰謀論者の目的なのです。
陰謀論者の元祖リチャードコシミズは「 コロナウイルスは世界権力がつくった人口削減のための細菌兵器であり、コロナワクチンも同様の目的のための兵器であり、これを打った者は皆3年以内に死ぬ 」といいました。
Qanon のエリは、「 ディープステイトは小児性愛と人肉食を好む、悪魔崇拝者の集まりだ 」といいました。
名古屋の寺尾介伸氏は「 コロナウイルスは政府とマスコミが組んで作った茶番であり、実在しない 」といっています。
そして、ニューウェイヴのスピ系陰謀論者である Meiko さんは、「 生きるってスバラすぅいー。わたしはマスクなんかつけないよ。有害だし人権侵害だから。兄弟 & 姉妹、完全ノーマスクにしようよ。今日から。電車でもバスでも 」といっています。
お分かりでしょうか? 彼等のこれらの意見はまっとうな言論ではありません。
これは言論というより、現実の断片を貼りあわせてつくった、彼等の手前勝手な「 作品 」なのです。
現実の欠片で組み立てたものではあるけれど、現実との整合性はゼロ。
ここに盛られているのは彼等のよじれた恣意と感情のみであり、それ以外のものは一切ありません。
彼等は真相究明者などではなく、世界権力の研究家などでもなく、市民運動家などでもなく、いわんや人権を擁護するひとでもありません。
彼等は、フェイクです。
彼等が取りたいのは視聴であり、それに伴って寄せられる称賛です。
彼等の歌は科学の歌ではなく、マイナスの呪詛の小さな囁きにしか共鳴しない。
彼等はあなたのなかからそれを探しだし、見つけたならそれに歌いかける。
こっちにおいでや。一緒に汚れきった世界をなんとかしようやないか……。
騙されてはいけません。
彼等の掲示する世界観は現実の破片を編みあわせただけの、手製のお粗末なコラージュでしかない。
彼等は啓蒙者なんかじゃなくて自閉者です。
未来からも現実からも日常からも弾かれた、絶望した、可哀想な自閉者たち……。
自閉者が自閉者に声かけして、多くの自閉者が集まり、今生脱出のための船に乗る。
それがあの「 ノーマスクデモ 」というものの正体であったと僕は思う。
つまり、あれは彼等にとっての「 ノアの箱舟 」だったわけです。
毀誉褒貶の声に包まれ、あっというまに濁流に呑まれて消えてしまいましたが……。
陰謀論は滅ぼうとしています。
100人中99人に忌避されることが確実な「 ノーマスクデモ 」などに走ったのもそのためです。
忌避されようが嫌悪されようが、彼等はこのような突飛なイベントで世間の目を引きたかったのです。
ほかにも様々なイベント、セミナー等を企画し、彼等は客集めに必死です。
これからも陰謀論者として存在しつづけていくために ―――。
彼等は陰謀論バブルがはじけたことを知っています。彼等の前途は多難です。
Qanon のエリがそうであったように、彼等の生命線である FB、youtube 動画なども次々と ban の憂き目にあっている。
消される前のたまさかの荒稼ぎですか? ま、せいぜい頑張ってください。
えらく理屈っぽい話になってしまった……。
こんな堅い話をするつもりじゃなかったんだけどな(笑)
ともあれ僕の今日記事はこれで終いです ――― お休みなさい。