ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

💎 陰謀論が生まれた夜の物語

2021-08-11 00:04:55 | リチャードコシミズ



 陰謀論は淋しい ―― 。

 ここ7,8年、陰謀論近辺に身を置いてきて、いちばん感じることはそれです。

 なんでこんなに淋しいんだろう、といぶかるくらい陰謀論はいつも居室の隅で、影みたいに縮こまっている。

 リチャードコシミズ独立党時代、伊豆七滝温泉の合宿の帰り路、クルマで下町のかあちゃんを横浜の団地まで送っていく途中でも、やっぱり僕は淋しかった。
 その日は静岡の社長が会に参加していて、RKと静岡の社長とが肩を組んで酔っ払い、静岡の社長が女性党員の部屋に深夜夜這いをかけたりして大騒ぎになったんだけど、そんな笑いの記憶も帰り道になってみると、気持ちの支えにならないくらい頼りなく霞んでしまう。

 その翌日、僕は党員仲間の中嶋さんと、用意していた中国製のガイガーカウンターとヨード剤とをもって、福島原発事故直後の大熊町に突撃して ――― 世にも珍しい瓦礫だらけの無人の町々、道で死んでいる犬、無人の地をわがもの顔に駆け回っている牛の群れ、車道の中央を堂々と這っている蛇 ――― などを見たのだけど、そうした2度と見れないふしぎな風景に心躍らせながら、帰りの道のりはやっぱり淋しかった。

 講演会の二次会でしこたま飲んで、みんなではしゃぎまわっているときも、心のどこかはいつもひんやりと凍えているのを僕はいつも感じていた。

 なぜだろう?

 いまになってやっとその理由が分かる。
 陰謀論だ。陰謀論が淋しいんだ。

 陰謀論というもののそもそもの出生がそういうものだから。
 陰謀論はひとり暮らしのやもめ男(女)の、閉ざされた孤空間から生まれた理論なんです。星も月も見えない曇った冬の夜、自分しかいない個室で生まれて、窓の外に大きな円弧を描いて飛び出していくんだけど、夜が明けるまえに必ずもといた同じ個室にもどってくることを義務づけられている、そうした理論。

 本質的にひとりごとなんです、陰謀論は。

 これを肴に連帯しようとしても、どうにもうまくいかない。高裁の不正選挙裁判で大騒ぎしたあと皆で飲んで、帰りの電車で自分の駅のホームに降り立った瞬間、高裁での熱がもう冷めてしまっていることに気づいて、えっ? と思う。

 自分が非難している最近のあの顰蹙まみれの「 ノーマスクデモ 」に参加したことなんてもちろんないんだけど、動画で見る彼等のそれぞれの顔には、やっぱり当時の僕が感じていたのとおなじ「 淋しさ 」が貼りついているのを見つけてしまった。

 ああ、やっぱりな……。

 陰謀論って個室のなかでひとり遊びするための玩具なんです。
 誰かと仲間になったつもりでいても、心を通わせたツレになったつもりでいても、しっかり結んだと思っていたはずのその絆は、なにをどうしてもほどけていってしまう。

 陰謀論者は根拠を求めない ―――
 陰謀論者は会話が下手糞だ ―――

 当然です。陰謀論自体がもともとひとり遊びのための玩具なんだから。
 ひとり遊びの淋しい子供が、空想で架空の人間と会話して友達ごっこをする。
 陰謀論って、そんな淋しい子供の人形遊びによく似てる。

 その遊びの空想の対戦相手がディープステイトなんです。
 その手下役の悪キャラが、工作員であったり、シャブチューであったり、保険金殺人犯であったりするんです。
 
そんなもん、もちろんどこにもいやしません ――― 彼等の住まう、ひとりぼっちの居室以外にはどこにも。

 陰謀論は孤独の病です。
 そして、21世紀の今日、ひとり遊びしかできない子供が世界中にこんなにも増えた。
 
「 ノーマスクデモ 」の風景は僕にはそう見える。
 
あれは個室のなかに閉じこめられた、淋しい子供たちが思い切り夢見る、深夜から夜明けまで限定のスパイごっこなんです。

 だからねえ、みんなあんなに悲しい顔をしてる。
 自分だけの禁じられた夜を昼の世界にもちこんで、一生懸命遊んではいるけど、ねえ、なんかみんないまいち冴えない顔をしてるでしょう?

 さゆふらも、寺尾さんも、Meiko さんも、そのほかの参加者も、あのリチャードコシミズとその仲間たちも、夜の世界をこっそり昼間世界にもちこんだ罪悪感が、背骨のあたりになんだか貼りついている風に見える。むりしてもちこんだ夜の夢が、昼の光に触れて溶けてしまうんじゃないかと心配してるようにも見える。

 陰謀論は政治運動じゃないんです。
 あれは、遊び相手に恵まれなかったそれぞれの幼年期にむけての「 遅すぎた復讐 」なんです。

 陰謀論は淋しい。
 僕が陰謀論者を見るたびに、難しい顔をいつもするのは、彼等の淋しさが自分内に侵入してこないように、心に鍵をかけるためです。
 
鍵をかけた心のなかで僕はいいます。

―――― えんがちょ、陰謀論!

  陰謀論者は何もいわない。諦めの所作のかわりに彼等はきびすを返し、マスクを外して、とぼとぼとノーマスクデモの群衆のなかに舞い戻っていくだけです。
 みんなのから顰蹙と軽蔑のまなこでいくら睨まれても、彼等は頓着しない。
 ああ、と痛ましい思いで、僕は彼等を見やる。
 そして、見えない個室にこもったままのデモ隊800人のばらばらの背中が、ゆっくりと小さくなっていくのをじっと見送る。

 陰謀論者は淋しいんです。
 「 ノーマスクデモ 」は施錠された個室で育てられた子供たちの ――― 自分を構ってくれなかった大人たち、自分を重視しなかった学友たち、自分を空気のように扱った職場の同僚たち、そうしたひとに満ちている僕等の都市全体への仕返しなんです。

 ひと昔まえ、村上龍はこの種の人々を「 コインロッカーベイビー 」と呼びました。
 そう、陰謀論こそ21世紀のコインロッカーなんです。彼等はみんなして電磁空間の 「
コインロッカー 」のなかに閉じこめられたままでいるんです。
 自分だけの秘密の夢をそれぞれ大事そうに抱えて、それが昼の光に晒されて壊されてしまうのが怖いから、同好の仲間たちとあんなに肩を寄せて自分たち共同の砂場の陣地を守ろうと必死になって頑張っているんです。
 彼等の様相にいつも幼児の面影が透かし見えるのはそのためです。

 デマで編んだつぎはぎの服を着て、目にもデマのサングラス、人目を避けた影の国に居住する彼等には街の言葉はもう届かない。
 なんにも聴きたくない、見たくないひとたちの集まりだから、それは仕方がないことなのかもしれません。
 心配してくれる家族の言葉も彼等には聴こえない、彼等は用意周到に心の郵便ポストまで全部撤去してしまっているんです。
 液晶の淡い光に照らされて、彼等は自分たちにしか通じない星の言葉で通信し、自分たちにしか理解できない星の仕草で笑います。
 星の言葉でいくらから騒ぎしても、星の言葉でいくら笑いさざめいても、彼等の言葉は誰にも聴こえない。
 
 
だからね、陰謀論は政治問題とつながりなんかないんだよ ――― 陰謀論は、僕等の時代の新しい病だったのです。

 さて、こんな大事な秘密を教えてあげたからには、今夜あなたが見る夢はきっといつもとちがうでしょう ――― お休みなさい。