2021年7月31日、covid-19 の都内の陽性者が、とうとう 4000人を突破しました。
えらいこっちゃと思います。
それと同時に、いよいよきたか、やっぱりな、とも思います。
TVのインタヴューなどを見ると、ほとんどの歩行者がそうした反応を示していました。
今日8月3日、先ほどのニュースでは、米国の陽性者のデルタ株感染者の割合が80%に達し、米政府がこうした窮状に立ち向かうには、いままで通りでない新しい戦略が必要だと、といっているとのことです。
なんだか、故・小松左京氏の「 復活の日 」みたいな展開ではないですか。
たかがインフルエンザで人類が絶滅するという氏の未来設定を、僕等はもう絵空事と笑うことができません。
2021年の7月26日、NYとカリフォルニア州で、コロナワクチン接種を義務化する試みがはじまりました。
米国はやっぱり侮れない ――― この政治決断は凄い。
この動きはやがて世界的な潮流となっていくだろうと思われます。
このような世界の動向と我が国の官僚的対応を見比べてみると、僕は唖然としてしまう。
正直に心境を述べさせてもうらうと、僕はニッポンのコロナ対応にはもう絶望しています。
巷でこれほどのウイルス戦争が行われているというのに、いまだに東京五輪の開催継続ですってえ~!?
いうべき言葉も( ト眼鏡の中心をひとさし指で少し押さえて)ありません。
親方のほうがお祭り騒ぎを許容しているのに、国民が人流を自発的に抑えようだなんて思うわけがないじゃないですか。
ヨーロッパのかつてのペスト騒動のときのように、欧州全体で3人に1人が亡くなったという、そこまでの惨禍にはならないとは思いますが、僕等が知っていたこれまでのニッポンというかたちは、この五輪を境に終わってしまうかもしれません。
といったわけで今回の僕記事は、世界全体が惨禍に見舞われているこのような時期に、いまだ「 コロナウイルスなんてものはない、あれは政府とマスコミが市民をコントロールするための情報操作である」といいつづけ、密を避けなくちゃと懸命になっている東京、名古屋、京都、北海道などの諸都市で、「 ノーマスクデモ 」などというトンデモ運動を展開している、けったいな人間たちのお話です……。
手はじめに、冒頭フォトの寺尾介伸( むかしの名前はバレバレ )氏からいきましょうか ―――
氏は、名古屋をホームタウンにする活動家です。
出身は、「 リチャードコシミズ独立党 」
陰謀論者リチャードコシミズと別れた後は、氏は、辺野古問題、日米地位協定などに取り組んでいた。
けれども、コロナの上陸とともに狙いを一挙にアンチコロナに切り替え、「 PCR差止集団訴訟 」「 コロナワクチン差止集団訴訟 」などを企画先導する。
あと、氏は、悪名高いあの「 ノーマスクデモ 」の推進者でもあります。
そのへんは同じRK独立党の出身者である、国民主権党の平塚正幸( さゆふらっとまうんど )とも共通している。
僕はRK独立党時代より上記の平塚氏のことは評価しておらず、いまだ彼のことには触れたくない思いが強いので、これ以上彼のことは書きませんが、寺尾氏に関してはそうではありません。
寺尾氏は、なにより金集めをしてこなかった ――― 彼のこれまでの活動はどうあれ、この点だけは評価できます。
ただ、彼の現在の活動に関しては、まったく同意できない。
では、僕が彼の主張のどの部分にどう同意できないかを、具体的に以下に述べていきましょう ―――
① 寺尾氏の活動の大部分が政府サイドとの対応に向けられており、医療の現場やコロナの実態についてはまるきりなおざりにされている点。
この点のふしぎさは、彼の活動に対して興味を抱いた誰もが、恐らく感じている点であるかと思われます。
彼は「 コロナとは何か?」という肝心要の問いを決して投げません。
医療関係者と話したり、病院関係者と話を詰めていくような活動は、ほとんどやっていない。
彼の主眼は、市井のコロナ最前線のひとたちと語りあうことにはないのです。
彼は「 いま現在のコロナ騒動は虚偽である 」といった前提から全てをはじめています。
そのような彼発言の具体例をまずはご覧ください。
これは非常に奇妙な出発点であると僕は感じます。
本来なら市井のコロナ最前線にいるひとたちの防疫活動、あるいはコロナに罹患したひとたちと対話して、コロナとは何かという自分なりの見識を育て、現政府のコロナ対応には市井の現状をさばききれていないこれこれこういった点がある、だから、このように政策を改善してくれ、と政府サイドと話し合うのが筋でしょう。
コロナの騒動それ自体がおかしい、この騒動自体が本当でない、政府サイドによってつくられた、一種の「 擬似イベント 」なのではないか? といった独自の見解をもっても、そのへんはいっかな構わない。
ただ、そうであるとしても、やはりこの場合は新聞社などに赴いて、担当の記者とそれについて話しあってみる、自分がこんな意見をもつにいたった経緯、原因などを具体的に誰かと討論し、一端客観的な視座に置きなおした上で、数々の証拠をそれなりに用意して、政府サイドとの対話に赴く ――― というのがやはり筋です。
ところが氏の場合、このような方向は決してたどらないのです。
氏にとって「 covid-19 の蔓延 」というのは、最初から事実ではないのです。
彼はそのことを「 コロウソ( コロナはウソであり存在しない)」という造語でもって表現している。
これは、ちょっぴり軽蔑感を伴った、なんとなく嫌な表現です。
この表現のなかには氏の屈折が微妙に混入している ――― あらかじめ先に結論を決めておいたという弱気と、それを気取られまいとする倨傲といささかの強がりと。
氏は、自分が感染研から得た回答に、「 PCR検査が感染性ウイルスの存在を証明するものではないと認めた! 」と鬼の首を取ったかのように喜びました。
けれども、本当にそうなのでしょうか?
感染研は果たして氏が喜ぶような回答を返してくれているのでしょうか?
僕は大いに異論があります。
感染研の回答を少しばかり見直してみましょう。
感染研はたしかに「 PCR検査はウイルス遺伝子を検出するものであり、感染症ウイルスの存在を証明するものではない」といっています。
ただし、これはあくまでPCR検査の目的についていわれた言葉なのであって、誰がどう見てもコロナウイルスの存在自体を否定するような文言じゃない。
この場合の感染研の回答で重要なのは、文章のまえのほう「 PCR検査はウイルス遺伝子を検出するためのものであり 」という部分です。
感染研は明らかにこの部分で「 ウイルス遺伝子を検出すための手段がPCR検査というシステム 」であるといっている。
これがいったいどうして「 PCR検査は感染性ウイルスの存在を証明するものではないと、厚労省が認めた 」ことになるのか ―――?
寺尾氏のこの文章の読みちがいは「 曲解 」などというレベルを遙かに超えています。
誰もそんなことはいっていないのに、あたかも感染研が実際にこんなことをいったように言葉の本質を塗り替えてしまっている。
感染研は素人には難解なウイルス遺伝子の研究の実態を、なるたけ分かりやすい日常の言葉に置き換えて、誤解を招かないように丁寧に答えてくれているのです。
ところが氏はそうした心づくしを一切合切無視した上で、「 PCR検査は感染性ウイルスの存在を証明するものではない 」―――
従って「 コロナウイルスなどというものは存在しない 」―――
更には「 厚労省の行っているコロナ詐欺が露呈した!」といったトンデモ結論まで一挙にワープしてしまう!!
この意味の取りちがえは、ほとんど暴力の領域です。
まったくもって悪質です。まともなコミュニケーションなんてはなからやる気がなかったんじゃないかな?
これは意図的なデマゴーグであり、チンピラがやるような「 因縁づけ 」のほうによっぽど近い。
氏は恐らくは意図的に、「 厚労省 」や「 感染研 」といった権威を、自分の言説の正当性 ――― 下賤にいえば「 箔づけ 」――― のために利用しているのです。
しかし、寺尾氏の突撃はこれで終わらない ――― 以下の画像をご覧ください。
上の画像は2021年5月19日に発信されたBBCのニュース、下の画像は2020年4月11日に発信されたAFPのニュースです。
どちらもコロナ災禍に見舞われた都市についての記事であり、前者は印度のウッタルプラデシュ州アラハバード、ガンジス河の岸辺でコロナによる犠牲者を火葬している光景、後者はNYで処理しきれない死者の埋葬先をNY外れのバート島に求めることにしたという、やはり痛ましい内容です。
僕等はこの種の記事を連日のように読んでいます。
ブラジルでも、コロンビアでも、インドネシアでも、モンゴルでも、イギリスでも、桁外れの死者を連日出しているのはもはや周知の事実です。
これらの膨大な死者すべてを、氏は、「 コロウソ 」という文言でどのように合理化するつもりなのでしょうか。
ねえ、寺尾さん、あなたは「 コロウソ 」とかいってるけどさ、このひとたちはどうして死んだの ―――?
僕の知っている陰謀論者は、このような問答になると決まって以下のような問答を展開したものです。
―――― ねえ、この印度の写真、ひどいよなあ…。こんなのが日本に上陸したらどうなるんだろう?
―――― そんなん素直に信じるなよ。こういうのは大抵ヤラセなんだから。
―――― ヤラセ? だって、実際に薪の上で死者を焼いてるぜ、これは…?
―――― 死者なんてどこにだっているさ。行き倒れの死体置き場だとか、病院の霊安室だとか、調達なんか簡単じゃないか…。
―――― するとおまえは、この写真全部がヤラセだっていいたいわけかい?
―――― ああ、そうさ。こういう悲惨なイベントを世界中に喧伝して、俺たちをビビらせ、そうすることでコントロールしたいんだろう? どうせさ……?
―――― コントロールしたいって? いったい誰が…?
―――― あんた、ディープステイトって……聴いたことあるかい?
―――― ああ、なんとなく……。おまえが時々いってたからな。
―――― だから彼等の仕業なんだって。恐怖でもって大衆を操作コントロールする。それが彼等の十八番のやり口なんだ。
―――― しかし、なんのために? どうしてわざわざそんなこと…?
―――― 架空の伝染病が世界に蔓延してるってことにすれば、みんな恐怖におののいて、自粛自粛でデモなんかも起こしにくくなって、それだけあいつらの意図する法案とかも通りやすくなるじゃないか?
―――― じゃあ、おまえはこれらの写真が擬似イベントだってそういうんだな?
―――― ああ、擬似さ…。こんなのそうに決まってる。死者をどこからか都合してきて、それをトラックで運んできて、それを岸辺に並べてさ……。
―――― でも、遺族らしいひとも写ってるじゃないか。悲しみに暮れた顔のそれっぽいひとが、ほら、ここにも…。
―――― あんた、バカだな…。素直すぎるっていうか、遺族なんて役者を雇えばそれで済むだろ?
―――― ああ、なるほど…。けど、役者といったら有料だろう? 彼等のギャラは? 誰が払うの?
―――― 当然、ディープステイトだよ。あいつらは戦争やって儲けて、呻るほど銭をもってるからな……。
―――― しかし、記者は? これ、イギリスのBBC付けの記事だぜ。で、ここは印度のガンガーだ。取材されたら似非だって分かっちゃうんじゃないか?
―――― 取材には記者章がいるだろ? 取材許可与えるときに、擬似だってことをバラさないように念押ししとけばそれでいい。
―――― けど、地元の人間だっているだろ? 彼等がおまえがさっきいってたみたいに、トラックで死者を運ぶ連中を見たら不審がらないか?
―――― 連中がそんなヘマやるもんか。あらかじめ軍を派遣して、そこに一般人を入れなきゃそれでいい……。
―――― 軍? 軍を使うのか? スゲーな。けど、軍を使ったら記録が残るだろ?
―――― そのへんはディープステイトの連中は超・権力ってやつをもってるからな…。金と脅しとでどうとでもなるさ……。
―――― しかし、莫大な銭だぜ…。大臣クラスを黙らせる媚薬といったら、そりゃあ……
―――― 平気だよ、彼等の超・権力と超・金力といったら、そりゃあ凄いんだ。やれないことなんかないんだよ、連中には…。
―――― あ。ちょっと待てよ。いまはほら、人工衛星の画像を解析するソフトとかもあるじゃんか。あれで見られたらどうすんだよ? 似非なんか一発でバレるぜ。
―――― その場合は、差し替えの映像をあらかじめ撮影しておくんだよ。
―――― それ、誰が撮るんだ……?
―――― 彼等が飼ってるそれ専用のプロジェクトチームがいるんだよ。彼等が撮る。
―――― にしてもボランティアじゃないよな? 危険手当の加味とかもしなくちゃ。それ、相当な金額になるぜ……。 軍の出動に、大臣への媚薬に、関係者や兵士への口止め、さらには擬似イベントの役者たちやライター、監督への支払いだろ?……さらには人工衛星管理者への莫大な黙らせ料か……。なあ、おい…、これって NASA の縄張りじゃないか? それって天文学的な金額にならないか? そんなこと繰り返してたら、国家予算くらいの額にすぐいっちゃうんじゃないか? なあ?
―――― だからぁ、奴らは世界の皇帝なんだって! 古代ローマの皇帝以上の途轍もない超・権力と超・財力をもってるんだってば……。それに加えて連中は超・科学ももっている。気象兵器で天候も好きに変えるし、地震兵器で地震だって自由自在……。純粋水爆で邪魔な人間は一気に消してしまえるし、手持ちの細菌兵器のストックでどんな病気も演出できる…。とにかく連中にはできないことなんてないんだよ……。
―――― あっ!
―――― なに、どうした……?
―――― さっきの話にまた戻るけどな、死体をガンガー岸辺に軍が運んでるその最中に……、誰かが近郊でドローンとか飛ばしていたら、なあ、どうなるんだ?
―――― 射ち…、射ち落とすさ……。
―――― おまえ、クレー射撃やったことあんのか? 鳥みたいに飛ぶものを地上から射つのがどれだけ難事か分かってるのか? 神業だぜ、そんなことやれたらさ………
―――― やれるさ、あんたのセコイ常識秤で計量しちゃダメなんだ…。ディープステイトっていうのはさ…、スペシャルなんだ! とにかく、特別なひとたちなんだよ、彼等ってさ……!
―――― じゃあ、もうひとつだけ……。おまえのいうそのディープステイトってどこの誰よ? 連中はどこに住んで、どこから俺たちをコントロールしてるんだ? その証拠、見せてくれよ、なあ?
―――― ・・・・・。
なんか、落語みたいな会話になってしまったけれど、寺尾氏のいっている「 コロウソ 」って、この程度の話の気がする。
現場医療の検証もしない。
コロナにかかったひと、後遺症に悩んでいるひととも全然会ってない。
ただ、行政の窓口を大勢で訪ねていって、専門の防疫知識もない係のひとに「 コロナが実在しているという証拠を示せ!」とかの無理難題をいきなり迫ったあげく、向こうさんが回答に詰まったり言葉を濁したりしたらすぐに、「 ホラ! 実在しないコロナを実在のウイルスに見せつけようとしているから、そんな風に口ごもるんだろう!」と威張って決めつける……。
ねえ、寺尾さん、ていうかバレバレさん、それはさ、対話じゃなくて因縁付けだって ――― 構造的には、コンビニ店長の土下座映像を得意になってネットに流したいつかの youtuber と一緒 ――― 僕はそう思うな……。
② 次。なんとも悪名の高い、例の「 ノーマスクデモ 」のコーナーです ――― 一般の皆さ~ん、思いのたけをどうぞ!!
寺尾氏、平塚氏が扇動した「 ノーマスクデモ 」なる百鬼夜行にさんざんな迷惑を被った一般の皆さま、お疲れさまでした!
率直でストレートなあなたがたの言葉は、これ以上ないくらいに彼等の行為の「 ネガっぷり 」をリアルに再現してくれました。
あなたがたの怒りはもっともです。
他人に迷惑をかけてはいけない、ひとが嫌がることをしてはいけない、という最低限のモラルを踏みこえて、遊んでいるのが彼等の真相なのだと僕も思います。
しかし、なぜ? どうして彼等はこのような愚かな遊びに、これほど燃えることができるのでしょうか ―――?
僕はね、こう考えているのです。
世の中には「 存在係数 」が低いひとというのが一定数の割合で存在するのです。
コミュニケーションが苦手、趣味らしいものもこれといってない、仕事は与えられたことをこなしてはいるものの、やり甲斐などは1度として感じたことがない。親しい友人はおらず、恋人もいない。誰かと連帯したい思いはあるけれど、どんな風に連帯したらいいかも分からない。だいたい自分には話したいこと自体がなにもない。
そんなような淋しいひとは、いつの時代も必ず町に幾人かいたものです。
恐らく、自分の裡の輝かしいものを誰にも見せず、誰にも知られないまま、彼等はひっそりと自分の生を終えていったのでしょう。
ところが現代になって、初めてネットというツールが誕生した。
これは便利極まりない、かつてない種類の特別な乗り物でした。
実際に他人と会った際に必要とされる細かい気配りもいらない。
相手の言葉にすぐリアクションを示さなければいけないという不便もない、少しばかり考えたって誰にも責められはしないのです。
だいたいにおいて肉声で喋るわけでもないから、自分の強張った不自然な表情を怪訝に思われることもないのです。
それになんといっても匿名でも構わないという、最大限の利便性がそこにはあった。
ええ、このようなコミュニケーションを苦手としたひとたちが、史上はじめて自分が参加できるコミューンを発見したのが、いま僕等がちょうど話題にしている、ネット内亜空間の「 陰謀論 」という場であったのだ、と僕は思う。
「 陰謀論 」は、彼等が長いこと憧れつづけていた夢の場所でした。
容姿も、礼儀作法も、得意とはいえない愛想笑いも、相槌も、ここではいらない。
それに、自分がもっとも苦手とする喋りですら、ここでのマニュアル通りにやりさえすれば、それなりにこなすことができたのです。
これまでは周りの誰もが自分のことを疎んじていた、と彼等は感じています。
自分はいつでも周りから鬱陶しがられ、邪険にされ、ときどきは手ひどい意地悪な扱いを受けることもあった。
我慢に我慢を重ねてじっと溜めつづけていた、一生涯きっと外世界にむけて放てないと信じていたこの怒りを、なんとここでは思いきり叫ぶことだってできたのです ――― このディープステイトめ! という枕詞で叫びさえすれば。
「 陰謀論 」は、彼等にとってエルドラドでした。
彼等は意味も分からずにディープステイトへの呪いを叫び、おなじ呪いを叫んだ他人と目をあわせ、共に笑ったりもできました。
―――― なんという奇跡だろう。石みたいな女と思われていたこの自分が、初めて会った赤の他人と目配せして笑いあうことができるだなんて!
「 陰謀論 」は彼等に連帯の夢を見せてくれました。
世間的な基準からしたら、それは一般社会の人間たちよりいくらかいびつで、自由さにも闊達さにも欠けたものだったかもしれない。
けれども、連帯は連帯です。それはいままで自分が決して獲得できなかった、新しい喜びの道筋でした。
より一層の連帯の喜びがほしくて、彼等はディープステイトと罵る機会が日増しに増えていきます。
彼等は憎々しげにディープステイトと罵りましたが、本気でディープステイトを憎んだことは1度だってありませんでした。
そう、彼等はディープステイトを憎んでいたのではなく、むしろ甘えていたのです。
これほど際限なく甘えさせてくれる存在は決してほかにない。
そう、 ディープステイトとは彼等にとって「 裏返しのマリア 」だったのです ――― アーメン……。
いささかデフォルメしすぎた感もありますが、僕は陰謀論者の内実というのはコレだと思います。
実際にノーマスクデモの行われている現場にでかけていって、デモの参加者と会話した知人から聴いたところによると、彼等・参加者のうちにシングルマザーの比率は非常に高かったそうです。
ワールドメイトに一時席を置いていた知人からも、僕は似たような話を聴かされたことがある。
宗教のハシゴをするひと ――― 信仰して、乏しい懐から懸命に献金して、からっけつになってそこを追い出され ――― 自分にどこかいけないこところがあるのは充分に分かってもいる ――― だけど、自分をくるんでくれる上位自我的な安心装置がないことには、あまりにこの世は生き辛い……。
考えてみれば、僕が一時在籍していたリチャードコシミズ独立党においても、ひとり身のシングルマザーの比率はたしかに高かった。
リチャードさんがまだ全国講演をやっていた時代、彼の講演が自分の地元で開かれるたび、その美しいシングルマザーは上から下まで見事な和装で身づくろいして、微笑をたたえた頬を軽く上気させ、いかにもいそいそと、足しげく、師の講演会場やらイベント場まで通っていたものです。
彼女は綺麗で上品な方でした。なんでこんなひとがRK独立党みたいな下品な集団にいるんだろうか、と僕はそのたびにふしぎに思わないわけにはいかなかった。
いま、彼女はどうしているんでしょうねえ? あんなカルトとは手が切れていればいいとは思うのですが、いまだにリチャードブログに丁寧なコメントを送りつづけているような気もします……。
② 寺尾介伸( バレバレ )氏を囲む人々について。
「 クラッシュ言語 」と僕がひそかに呼んでいる言葉があります。
これは僕のつくった造語であり、これを読まれる方も目に触れるのはこれが初めてであると思われるのですが、これこれのひとがこのクラッシュ言語の使い手だよ、と僕が指摘すれば、ああ、それはたしかにね、と皆さんもたぶん納得してくれるのではないでしょうか。
「 クラッシュ言語 」とは文字通り意味の破綻した言葉です。
文章の統一が取られておらず、文章の最初と最後とでいっていることが違ってしまうような言葉。
うまく書こうという熱意とうまく書けない焦燥のうちに引き裂かれ、忍耐をもって書きつづける意思を継続することがやれず、文章よりも単語そのものを強烈にエグ光りさせることに夢中になってしまい、読むほうは書き手が何をいわんとしているのかさっぱり分からない ――― といったような言語モデルのことです。
初期の「 クラッシュ言語 」の兆候は、5チャンネル誕生以前の2チャンネルで見かけることが多かった。
この形態は、いまでもリチャードコシミズの現役ブログのコメント欄にて観覧することができます。
「 クラッシュ言語 」で意思を伝えることはできません。
「 クラッシュ言語 」で伝えられるのは話者の焦燥と、鬱屈と、受け入れられない者に特有の怒りと呪詛だけです。
何を語ろうが、どんなに整然と文章をまとめようが、話者の痛みと孤独しか伝わってこない、そんな悲しい文章のこと。
ネットサーフィンを試みたひとなら、きっと誰でも見た覚えがあると思います。
僕はこういうひとは全然ダメだと2013年頃からずっと思っていました。
ところが2020年、折からの Q 興隆のブームに乗って、初めてこの「 クラッシュ言語 」でもってブレイクした新人が現れた。
これには僕もびっくりしました。
こんな「 クラッシュ言語 」で客を釣るなんてできっこない、と頭から思いこんでいたものですから。
おっと。彼女の名をまだいってはいませんでしたね。
彼女の名は Qanon のエリ。仮名なら岡林英里。RK独立党時代のHNでいえば「 よかとよ 」さんそのひとです ―――。
Twitter を発言ツールにして活動を開始したエリの言葉は、まごうかたなき「 クラッシュ言語 」そのものでした。
こんな言葉で広範な支持など集められっこないじゃないか、などという僕の思惑をよそに、周知のごとく、エリの喧伝する QArmy Japan の陰謀論活動は、かつてのリチャードコシミズも霞ませるような勢いで、次々とネット世界を席巻していったのです。
僕は舌を巻き、時代のチャンネルが切り換わったことを強く感じました。
エリの展開する世界は下賤で下品で、根拠のない噂話と悪口しか書かれていない、ほとんどどうしようもないものでしたが、それを操る彼女の言葉は新しかった。前大統領であったドナルド・トランプ信仰の折からの影響もむろんあったのでしょうが、そのような特種な世界を喧伝するにあたって、昭和臭い、最初から最後まできちんと意味の通るような言葉では、もうダメだったのです。
いってみるなら、それはポップアートの訪れに近いものがあったのかもしれない。
旧弊でクラッシックな、いまだフリーメイソンなどと口にしている陰謀論者は、次々と彼女のムーブメントの波に巻かれ、一線から消えていきました。
まあ、しかし、あんまり真面目話ばかりだと息がつまるから、このへんでエリの「 クラッシュ言語 」の一品、暑気払いもかねて挙げておきましょうかね?
いやいや、何度見ても彼女の「 クラッシュ言語 」の壊れかたには圧倒されてしまう。
いったい何がいいたいいのでしょうねえ、このひとって?
けれども、こういう言語だからこそ彼女は時代の水先案内人たりえた、といった要素もたしかにあるのです。
真剣さがウザがられる時代が到来したともいえるのかもしれません。
時代の潮流がいま求めているのは、意味のある有意な運動などというようなものではまったくなくて、この新時代の要請に応じられる資格者は、このよかとよさんのような無責任者であり、遊戯者であり、その裡にナンセンスの魂をもっていることが必須の条件なのです。
ここまできてようやく寺尾氏近辺まで話を戻せることになりました。
ええ、僕が書きたかったのは、前記事でも末尾のほうでちょっと扱った彼女のこと ―――
この8月8日に名古屋にて寺尾氏とのコラボが予定されている、Positive Evolution の Meiko さんについてなのです ―――。
寺尾氏関連の動画で彼女の動画を見つけて、初めて彼女の話を聴いたとき、僕は文字通りふっ飛んでしまった。
なんという爆裂トーク! それに、彼女の唇からこぼれでる、煌めく言葉の羅列をいくら追っても、まったく話の内容が掴めないなんて……。
間違いない、彼女こそ「 よかとよ2世 」です。
廃れはじめた陰謀論にとどめをさすために、欧州ドイツからはるばるやってきた彼女こそ、次世代の陰謀論クイーンなのだ、と即座に断定してしまいました。
70年代の残り香をいまだに振り撒いている寺尾氏あたりでは、残念ながらとても太刀打ちできないだろうな、と僕は思っています。
寺尾氏のルーツと憧れは、70年代のあのほこりっぽい学生運動の熱気のなかにあります。
彼はいまだにウッドストックの残滓が香る、あの時代を夢見ながら追っている。
しかし、ディランじゃないけど、時代というものは輪転していくのです。
寺尾氏は行進曲だけど、Meiko さんが駆使するのはそれよりもお洒落でモダンなラップです。
わるいけど、これじゃあ始めから勝負は見えています。
それに、いいたかないけど、彼女はプロですよ。
しかも熟練したプロ ――― ドイツ語と英語と日本語の3か国語をどれも母国語のように自由に操り、さらにこれは僕予測なんだけど、彼女、たぶんキリスト教会の演説の訓練をみっちりと受けている……。
僕の叔父が有名な牧師だったので、そのへんの鼻は効くんですよ。
そう感じて調べてみたら案の定でした ―――
まあ、彼女は完全なプロだと僕は思っているので、彼女が原理主義の極右キリスト教会といわれているOCGから、金集めのためにニッポンに出稼ぎにやってきた使徒であったとしても全然構わない。
寺尾氏の「 PCR差止集団訴訟 」の原告団に加わるために来日したともいっていましたが、そうしたサービストークも新規開拓地での顔見せのためには大事な営業だったのでしょう。
ただ、彼女動画のラストの寺尾評だけはどうにもいただけない。
あのなかで彼女は寺尾氏のことを「 とっても心の綺麗なひと 」と繰り返しいっていました。
集団訴訟といった試みについて何かいうのかな、と思って観ていたんだけど、それ以外の言及は一切なし。
陰謀論者の先輩としての寺尾氏の顔を立てたつもりだったのでしょうが、その微妙ないいようのなかに、僕は彼女のなかの寺尾氏への侮りの気配をかすかに嗅ぎとりました。
あれは、これだけひとを集める力をもっているのに、その力を集金のために使おうとしない、アマチュア活動家としての寺尾介伸に対しての彼女なりの物言いであったと僕は思っています。
いま、僕の部屋の窓の外は、焼け焦げるように暑い夏です。
陰謀論は平和時の娯楽ツールである、と僕はまえにもいいました。
いまでもその考えは変わっていません ――― コロナ災禍での僕等のニッポンは、いまや完全なる戦時体制です。
陰謀論は平和時であればこそ、突飛な闇化粧として輝いていれたのです。
ところがいまは東京五輪の醜聞とコロナ襲来の第5波とが、陰謀論者の夢見る悪夢風情をはるかに凌駕してしまった。
陰謀論はその存在意義を失った ――― すなわち陰謀論は死んだのです。
寺尾氏の Facebook ももうほとんどのものが ban されてしまいました。
ひとつだけ彼は再アカウントを取ってFBを復活させたようですが、彼の活動アングルから見る限り、再度の ban は必至でしょう。
今後の陰謀論業界の新たな顔となっていくのは、寺尾氏よりは Meiko さんであり、あるいは嫌われ医者の内海氏のようなキャラであろうと僕は予測しています。
陰謀論は陰謀論という呼び名すら失ってしまうかもしれない。
Meiko さんが体現しているように、スピリチュアルと混じりあって、癒しとセミナーとを主とする新商売として生き残っていく道しか残されていないのかもしれない。
そのようなわけで寺尾さん、君の一連の活動もそろそろ見切り時だと僕は思います。
君のいま行っている活動は「 市民運動 」などと呼べるものではとてもない。
君がやっているのは、2016年当時から何ら変わっていない「 陰謀論発想による自分誇示の運動 」でしかない。
君と親しかったあかねさんから聴いたところによると、君の素顔はひとと争うこともほとんどない、ずいぶんと優しい男だそうですね。
捨てられらた犬たちを引きとって看取りまでやれる機関をつくりたいといったり、家出したホームレスの若者を自宅に引きとって面倒を見るなんてことまでやっていたそうじゃないですか?
そんなエピソードを知ったとき、素晴らしいと僕は無条件に思ったな。
その当時の君の素顔が本当なら、いまの君はいったい何なんだろう?
君の行った「 ノーマスクデモ 」がどれだけ多くのひとに迷惑をかけ、どれだけ多くのひとを怯えさせたのか、ご存知ですか?
「 ノーマスクデモ 」はそれに関わったひとの誰ひとりとして幸せにしない、悲しい行進です。
この行進に参加したひとは家族と揉め、友人とも揉め、会社とも揉め、社会的にもだんだんと孤立していくでしょう。
引きこんだ仲間に次々とそんな虚しい下り坂を歩ませて、寺尾さん、君はいまどのような気持ちでいるのでしょうか。
前にも書いたように、独立党在籍時からいままで、僕は君と会ったことがありません。
こんな君関連の記事にしても、ほんの1月まえまでは、僕はまったく書く気がなかった。
君とつきあいのあったあかねさんと百軒さんとの交遊が、僕にこのような記事を書かせたのです。
長い記事になりました。最後まで読んでくれた方に感謝します。
今日の僕の記事は以上です ――― お休みなさい。
★ 8月5日ノーマスク派粛清開始記念付録 ★