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Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

💎 陰謀論者のバイブル大橋教授の「 PCR本 」リーデイング

2021-08-22 12:49:05 | リチャードコシミズ

 

 現陰謀論者のバイブルとされている本を購入しました。
 著者は、徳島大の名誉教授であられる大橋眞氏 ――― 出版社はヒカルランドです。
 この本が売れていることは、Amazon の書評がもう 113 評を越えている ( 8月20日現在 ) ことから見ても明瞭です。
 陰謀論を信奉するひとたちのあいだで読まれていて、しかも、彼等の言説の論拠ともなっている。
 大橋名誉教授のこの本を「 反ワクチン & 反コロナ 」の論拠にしている陰謀論者はとても多いのです。

 ドイツ在住の「 スピ系 + 陰謀論者 」の人気 youtuber である Meiko さん ―――
 彼女と一時タッグを組んでいた、「 ノーマスクデモ 」と「 PCR差止集団訴訟 」の発起人である、名古屋の寺尾介伸氏 ―――
 その他大勢のアンチワクチン推進派の無名の皆さん ―――

 Meiko さんはすでにドイツへの帰国を決意してられるようですが、後者のお二方はそうではありません。
 昨今の「 ノーマスクデモ 」への膨大な反対意見の数々は、当ブログでもすでに披露済みです。
 僕も彼等・陰謀論サイドの意見に反対する者です。
 この非常時に「 ノーマスクデモ 」などという顰蹙と混迷を誘うばかりのクラスターイベントを許してはならない。
 この非常時にコロナ対策の最有力検査法である PCR検査への妨害も許してはならない。
 一般の多くの人々とおなじように、僕もそう考えています。

 となるとまず始めに手をつけなければいけないのは、多くの陰謀論者が自らの言説の根拠としている、この大橋教授本の否定です。
 今回は、その解析をやってみようというわけ。
 教授の御本の正式な題名は「 PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない 」です。
 第一刷が2020年12月31日で、翌年2月22日の段階ですでに5刷まで増刷を重ねている。
 なかなかの数字です。通常の状態だったら、このような固い本がここまで増刷するのはむりでしょう。
 いかにコロナ騒動が社会問題化しているかが分かります。

 ただ、この本はアカデミックな本ではない、ヒカルランドは医学書や学術書を扱う出版社ではないのです。
 ヒカルランドが扱うの分野は主に陰謀論系、スピリチャル系の分野です。
 陰謀論の元祖リチャードコシミズも以前ここから本を出していましたし、彼と同業である船瀬俊介氏もここから出版されています。
 つまり、本書は陰謀論本として出版されたんですね。
 出版不況が囁かれている昨今に、作家としてメジャーな存在でない大橋教授の本がここまで売れたというのは、ほとんど事件です。
 この数字は、コロナ禍が侵食するほどに、顧客である陰謀論者の数も covid-19 の罹患者同様にパンデミックしていった、ということを示しています。

 前回のNHK記事でも述べたように、陰謀論は現在社会問題化しています。
 世間が陰謀論者を見るまなざしは、日に日に冷たく、冷酷になっていっているというのが現状でしょう。
 本書の著者である大橋眞名誉教授にしてもその点は同様です。
 教授の母校である徳島大学は、去年の8月、教授に対して以下の声明を出しました ―――



 自校の名誉教授を大学自らが無関係だと宣言する ――― これがいかに例外的な事例であるかはお分かりでしょう。

 徳島大は、教授はあくまで私人としてそのような発言をしているのであって、当大学は教授の発言や行動に対して責任を取るべき立場ではない、とここで言明しているのです。

 このことを頭に置いて、本書のページをめくってみましょう ―――



 
 上写真だと読みにくいと思うんで、下に書き出します。
        

  無症状者が感染源になるという話が
 今回の騒動の最も大きな要因であると言っても過言ではない。
 そのような話を作り出したPCR検査が、間違いなく伝搬力の強い
 病原体ウイルスを検出しているという確認作業が必要となる。
 しかし、この確認作業を行うような気配はない。
 これは一体どういうことであろうか。


 まず から見ていきましょうか。
 力みすぎだとと思う。「 無症状者が感染源になるという話が今回の騒動の最も大きな要因である。」としたほうが明確だし、すっきりと頭に入ります。「 と言っても過言ではない。」は余計。科学の文章において、こういった感情の強調句は不要でしょう。
 また、この 文、主格が曖昧すぎ ――― 頭に「 無症状者が感染源になるという話が 」と置いているこれが、この文の主語なんですね。
 要するに著者は、ここで「 無症状者が感染源になっているという話が大きく拡散されている。これが今回のコロナ騒動のいちばんの原因だ 」といっているわけ。
 この「 無症状者が感染源になるという話 」を誰がいっているのか、という示唆はない。
 まあ、これをいったのは政府だからそのことを示唆しているつもりなんだろうけど、だったらもっとストレートにこう書きゃあいいんです。
 
 「 政府(  あるいは分科会及びマスメディア )は covid-19 の陽性者のうちの無症状者が、キャリアーとなってコロナウイルスを他者に感染させているといっている。その発言がこれほど大きな国民的パニックを引き起こした 」

 といったほうが、うん、よほどしっくりくる。
 このひとは、あえてそうしていない。ここに、僕はこの著者の恣意を見ます。
 本来なら無用なはずの の末尾の「 と言っても過言ではない。」と冒頭の 無症状者が感染源になるという話が という「 主格ぼかし 」は、意図的になされた表現です。
 喉の奥に本当にいいたい言葉をあえて残しているような、これらの言葉を咀嚼したときの感じはそれほど独特なものがある。
 なぜ、ここにこのような真意を見えにくくする感情の強調句など入れたのか?
 もちろん、自分の真意をぼかすためにです。

 この方、経歴を見ると、米国のウィスター解剖学・生物学研究所におられたような方ですよね。
 してみると、研究者としてプロだったわけです。その気になって純粋な専門分野の文章を書かせたら、恐らくいまでもとんでもない領域まで行けるひとであると僕は感じます。
 しかし、本書においては、教授はそうしたアカデミックな文章を書かれてはいない。
 この悪文は ――― 失礼ながらそう呼ばせていただきます、そうとしか見えないんで ――― 意図的に、この著書のこの場所に置かれたものです。

「 なんのために?」
「 真意をぼかすために 」
「 じゃあ、
君のいう教授のその真意ってなに?」
「 これは、教授の宣言だと思う。いわば陰謀論宣言。ここで教授は、いまから自分は本来の自分のアカデミックな研究分野とはまるでちがう、出稼ぎのアルバイト仕事をやると宣言されているんだよ。アカデミックな世界であそこまでいったひとだぜ。研究冒頭に定義文を入れるのはいわば当然のたしなみだ。そういった骨の髄まで染みている研究者の公正癖が、ここで悪いかたちで出ちゃっているんだよ。これを教授の告白文として読むことも可能だ、と僕は思う 」
「 告白文? 告白文というと?」
「 やっぱりこのひとは研究者なんだよ。あそこまで行けるひとはそういない。そのひとがこんな陰謀論みたいな非論理の極みみたいな言論をこれから述べようってんだ。恥ずかしくないわけがない。その羞恥が、この宣伝の冒頭文に、あえてこんな主格も道理もぼかした表現を選ばせたと僕は見るね 」
「 羞恥? 羞恥なのか?」
「 恐らくね。理論と筋の極みみたいな研究者なら、こんな道筋を隠すみたいな文章はふつう書けないよ。教授もそうだったんだと僕は思う。だから彼は、これを文藝作品として書きはじめることにした 」
「 文藝?」
「 そう、文藝として。しかも、一般文藝紙に乗るようなレベルのものじゃない、素人の小説好きが下手の横好きで始める同人誌みたいな文藝作品としてだ 」
「 どうしてそんな…?」
「 異分野のフィクションとしてなら、罪の意識も軽減するだろ?」 

「 ああ、そういうことか 」
「 そういうことなんだよ。たったの一文だからといって軽く見ちゃいけない。この部分は交響曲でいうなら動機の部分にあたる。いわゆるモチーフってやつだ。ベートーベンのあの常軌を逸した壮大な展開部の音の伽藍も、すべてはこの最初の4小節から始まるんだ 」





 続いて 文目の解析いきます ―――

 そのような話を作り出したPCR検査が、間違いなく伝搬力の強い病原体ウイルスを検出しているという確認作業が必要となる。
 
 これもつっかかる ――― 読んでいてなんだかガクッとくる。
 そう感じさせるのは冒頭部の「 そのような話を作り出したPCR検査が 」という部分が原因です。
 というのもPCR検査という単語は、この文章中で初めて登場するものであるからです。
 然るべき紹介、概要の説明とかが、普通に考えてもあるべきでしょう、ここは。
 ところが教授はそれをしません、しないどころかいきなり初対面で「 そのような話を作り出したPCR検査が 」とやるのです。
 すなわちPCR検査というものは、教授のなかでは独立分離した「 PCR検査 」という存在ではないのです。
 それは話す以前から「 そのような話を作り出したPCR検査 」というワンセットの完成品であったのです。
 つまり教授にとって、PCR検査というものは、はじめから「 コロナパンデミックを演出した主犯 」としての役を振られているわけ。
 読者は当然この断定に戸惑います、結論が冒頭部からもう明かされているわけですから。
 こうした学者的良心を振りきったような非学問的な断定を、どうして氏のような人間がやれるのか、そのあたりの内心事情が僕にはてんで分かりません。

 そして、ここにおいても
また「 主格 」が隠されている。
 この文の主語は誰でしょう? 間違いなく伝搬力の強い病原体ウイルスを検出しているという確認作業が必要となる、といっているのは一体どこの誰なんでしょうか? 
 まあ、著者である大橋教授が日本語特有の主語の省略を利用して、あえて物陰からこのような発言をしてみた ――― とういうのが、たぶんもっとも穏当な解釈なのでしょうが。
 それにしても教授はどうしてこのような「 引いた 」表現をわざわざ選ばれたのでしょうか。
 
 さらに見てみると、この の文は非常に読みにくい、ふしぎな食感をもっている点にも気づかないわけにはいかない。
 無意識の巨匠であったユングの文章も長いセンテンスと読みにくいことで有名ですが、教授のこの文章もそれ以上に読みにくい。
 なんというか、すんなり頭に入っていくのを拒んでいるような、独特の濁り感があるのです。
 別アングルから見直すために、 の文を新しい配色で塗りなおしてみましょう。

 そのような話を作り出したPCR検査が、間違いなく伝搬力の強い病原体ウイルスを検出しているという確認作業が必要となる。

 赤で着色しなおした部分は、なんとすべてが後半の黒文字の「 確認作業 」という一語に掛かる形容句なのです。
 形容句が長く、重すぎて、ああ、これはみんな「 確認作業 」という語句に掛かっていたのだな、という理解に至るまでに通常の文章より倍かかるようになっているのです。
 もちろん、この文の主語は「 確認作業 」です。
 考えてみればそれしかないのですが、長い赤線部の形容句にぼかされて、文章の構造自体が把握しにくくなってしまっているのです。
 さらには冒頭の赤文字の そのような話を作り出したPCR検査 という部分を読んで、読者はこのまえの の文を想起しようとする。
 けれども、前 文にしたって、この 文と同様にやはり主格が微妙にぼかされているのです。
 あれあれ、前の文でこのひとは何をいっていたのかな?
 と読者がここでちょっと 文に回帰しても ―――

 無症状者が感染源になるという話今回の騒動の最も大きな要因であると言っても過言ではない。

 と ――― こうくる。
 そして、そうやって回帰してみても、やっぱりこれら文章同士はすんなり繋がってくれない。
 それはなぜか?
 下線部の「 無症状者が感染源になるという話 」が原因です。
 この場合の主語もやはり「 話
なのです。
 しかも、これもとっさの掴み場所が分からず、微妙に読みにくい。
 稲垣足穂は「 もっと具体的に。抽象的な話を書くならなお具体的に!」といいました。
 教授の文章はそれの反対です。抽象的な文章をさらに抽象的にしている。
 自分の真意を探ろうとする読者の意志をかわそうとする、一種の鵺( ぬえ )的構造といってもいいかもしれない。
 だから、読者サイドは曲がり角のたびに
、あちこちで迷子になるのです。
 
 大橋教授のトリックは、こんな冒頭部からすでに仕込まれていたんだな、と僕は思います。

 無症状者が感染者になると教授はここで書いていますが、この無症状者がコロナ陽性者ではあるが、いまだ際立った症状がでていない人たちのことを指しているのかどうかは示唆しておらず、曖昧です。
 さらには「 無症状者が感染源になるという話――― ここの後半の赤部分はことさら曖昧です。
 この赤文字部分が、政府のいうPCR陽性の無症状者のことを指すのか、陰謀論者がさかんにいっている、ワクチン接種者がコロナ感染のキャリアーとなるという噂話のことを指しているのか、まるで分からない。
 僕が教授の分かりにくい 文を僕なりに翻訳したものを、再度ここに乗せて比較検討してみましょう。

 政府(  あるいは分科会及びマスメディアは covid-19 の陽性者のうちの無症状者が、キャリアーとなってコロナウイルスを他者に感染させているといっている。その発言がこれほど大きな国民的パニックを引き起こした 」

 教授がここで省いたのは下線部です。
 当然ここに置くべきである政府(  あるいは分科会及びマスメディア )」というこの主語部分を、大橋教授はあえて削った。

 削って、記述自体をわざと曖昧のまま保留しておいたのです。

 どうしてそんなことを?

 この主格をこのままのかたちで挙げると、自分の言説が、ほかの十羽ひとからげの群小陰謀論者たちと一緒の色モノとして区分けされてしまうからです。

★ 教授はそのような「 陰謀論者カテゴリー 」になるたけ入れられたくなかった。
 この枠内に区分けされてしまうと自分まで格落ちの扱いを受けてしまう。
 それは損だ。自分が彼等同様のゴリゴリの陰謀論者として受け取られるのはまずい。

 自分はあくまでアカデミックの牙城から彼等に声援を送る「 徳島大学名誉教授・大橋眞 」としての役柄を勤めるべきだ。


 あからさまに「 見え見えの陰謀論 」をやってしまうと、せっかく著者名に添えた「 徳島大学名誉教授 」という社会的にも通用する立派な肩書きだって無駄になってしまう……。


 それに顧客である陰謀論者にしたって、彼等が欲しているのが人間・大橋眞の裸の声などではなくて、アカデミックな見地から体制に異論だってかますことができる、徳島大学名誉教授である大橋眞の肩書きのほうであることは明白ではないか。

 教授は恐らくそう警戒したのです。
 警戒したからこそ、あらゆる文章から「 ゴリゴリの陰謀論者 」と取られそうな部分を注意深く切削したのです。
 あちこち切除すると文章なんて辻褄があわなくなって、当然読めないものになってしまう。
 その辻褄合わせのために、慣れない文藝タッチの感情強調句を多用し、己が文章の上にゴテゴテと塗り重ねていったのです。
 本書の読みにくさは、すべてそこに起因します。

 教授がこの書で求めているものは「 陰謀論者・大橋眞の肉声を発表すること 」ではなく、真理でも真相でも科学でもなく、「 陰謀論の筆頭と仰がれる徳島大の名誉教授 」というブランドを売るための足場を得ることだったのです……。

 教授が徳島大から大学はこの人物と無関係であるという声明をだされた件は、記事前半に書きました。
 普通に考えても、これは結構大変なことだと思います。
 しかし、なぜ教授はそうまでしていまのようなことをしなければいけなかったのか?
 それは、分かりません…。
 前から陰謀論好きだったのかもしれないし、金銭面で小金が要る事情があったのかもしれない。
 いずれにしてもこのもくろみは見事に当たり、教授は反ワクチン陰謀論
者のあいだでつかのまのヒーローになりました。

 次。短いんで ③ ④ の文章まとめていきましょう ―――

 しかし、この確認作業を行うような気配はない。③  これは一体どういうことであろうか。

   これまた謎のような文章です。
  に関しては、これ、主語が完全に行方不明。
 これ、政府のことをいっているのですか? それとも分科会のこと?
 
 これは一体どういうことであろうか、ですって? そんなこと、こっちがあなたに聴きたいよ!(笑)





 
 お。Amazon のこの教授本に素晴らしいレビューをつけてくれた方々を見つけたので、彼等の批評をここに紹介させていただきましょう ―――

 

カスタマーレビュー

2021年1月23日に日本でレビュー済み
 
知人が薦め、ご丁寧に一冊ウチに置いていったので読んでみた。

本の表紙には一言「PCRの発明者であるキャリー・マリス博士(ノーベル賞受賞者)も、PCRを病原体検査に用いる事の問題点を語っている。」と添えてある。
それなのに、この本を読み始めて最初のページで目にするのは、PCR検査が病原体ウイルスの検査に使えるのかどうか、
〝キャリー・マリス博士は、この点に関して、「PCRは、感染症の診断に使ってはならない」〟と言う趣旨の発言をしていたとされている(注1・巻末に記載)。〟と、いきなり本のタイトルの根拠をあやふやな感じにする一文。巻末に記載されている情報源もJohn Lauritsen(1996)なる人物による、マリス博士がHIVの検査にPCRを用いることについて「定量PCRというのは矛盾している」と述べた一言の引用で、しかも(1996)が発言ないし引用がされた時期であるとすればかなり古い情報だ。John LauritsenをAmazonで調べると1986年から1998年頃にかけてAIDSに関する著作があるようなのでここからの引用なのかもしれないが、なぜか巻末の参考文献にはその記述が無い。ちなみに邦訳された本も無いようだ。

結局、注釈の最後に引用元のURLが記されているのだけど、原典となる一言をマリス博士が何時何処で述べたものなのかがそこには記されておらず、情報としての価値は薄い。

伝聞の伝聞では、あやふやな感じにせざるえないのも、仕方なかったのだろう。明らかなでっち上げを書く訳にもいくまい。

書名にもある〝RNAウイルスの検査に使ってはならない〟についても、すこし確認してみる。
PCR法が発明されたのは1983年頃で、1990年代はこの技術の使い方について既に色々な検証が成されていた時期と思われるし、Google検索でさっと見つかった情報を例にあげると、〝Nested-PCR法によるインフルエンザウイルスの検出〟という1997年の論文ではインフルエンザウイルスのRNAの検出にPCRは有用と結論している。それから20年以上たっている今日、PCR法について多くの実験や検証が既に行われあとであり、それを踏まえた上でにPCR検査の実施なのだと考えられる。それらを否定するのならば根拠となる実験や検証の結果を示すべきである。
ところが、本書の内容は専門用語をちりばめるなどして自然科学的な言葉選びで雰囲気を装っているが、結論に至るのに示される根拠は人文社会的な論点が多く科学的な検証に耐える内容では無いと考える。

(追記)
P.14「PCR検査で陽性になる遺伝子は、問題のウイルス以外にも存在する可能性があることが、公的機関に置いても確認されているとも解釈出来る。」とありますが、著者に指摘されるまでも無く、実際に検査に於いてはその可能性を排除せずに確認することが求められているようです。一般向けでは無いですが〝「COVID-19診断用プライマー交差性解析システム」の整備、公開 (2020年5月29日 国立医薬品食品衛生研究所 遺伝子薬学部)〟という資料を見つけることが出来ました。この本の一刷の発行日より半年以上前の資料です。
本書では「しかしながら、実際の医療現場では、PCR検査で陽性の結果が出れば、問題のウイルスに感染していると判断しているケースがほとんでどあろう。」と続きます。
推論よりも、この資料にある「交差解析システム」が有効なのか、正しく運用されているのかを調べて評価するべきでしょう。

あと、これは私的な感想ですが……
P.34「プライマーは、およそ20塩基の長さのものを用いる(中略)全体の750分の1が一致しているに過ぎない」とありますが、AGCUの4種の核酸塩基20ヶの組み合わせの種類は約1,000,000,000,000(1兆)通り(方向性有りでいいんだよね? 仮に半分にしても5000億通りと膨大だけど)もあるので、特徴的な配列を設定するのには十分だと思います。
(交差性確認の為の検索に於いては短過ぎる場合があるようですが。)

調べ始めるとキリがなくなりそうですが、本書は主張の裏付けがとなる証拠の提示や調査が全体的に足りない印象です。(追記終)

読むなら一人で楽しむのにとどめ、人に奨めるようなことは控えるのをお薦めする。

追記・72ページ1行目より引用
「ダーウィンは、その生物が生き残るのに有利になるように遺伝子変化が起ると考えた。いわゆるダーウィンの進化説である。」とありますが、信じられない誤りです。
(スミマセン、私、進化論は好きな読書のテーマの一つなので、この間違いはあんまりだと思い指摘せずにはいられませんでした。)
235人のお客様がこれが役に立ったと考えています

 

2021年3月27日に日本でレビュー済み

おかしな本です。 巻末に参照文献のリストがありそのリストのどこを参照するのかが本文中に括弧に入った数値で示されている。しかしこの注意書きがあるのは56ページの冒頭だ。
そしてこれ以前にかっこに入って数値が11ページ、12ページ、54ページ、55ページに出てくる。
技術的と言うか専門的な話はほとんど出てこない。しかし例えばコッホの四原則という言葉が繰り返し使われていて、その内容についての説明はない。
第一章は28ページから52ページまであるがとても内容が散漫な印象を受ける。
42人のお客様がこれが役に立ったと考えています

カスタマーレビュー

2021年3月31日に日本でレビュー済み
 
知人からの紹介で手にする。
PCR検査がどのようなものなのか?を一切説明せず(できず)、
ただPCR検査は使えない!と繰り返すだけで、何の知識にもならない無意味な書物。

Ct値とは、この著者の言うようなものではない。
測定器、試液、そして検査をする技術者の経験により変化するもの。
「データをどう読むのか?」だけの話。
なぜこんなものが売れているのかさっぱり分からない。

因みにネットでPCR検査を調べようとすると、2020年ではこの本に毒されたデマが多数出てくる。
調べるのならば2019年以前の動画やサイト、または試液を販売している企業のサイトや説明文を読むのが良い。
41人のお客様がこれが役に立ったと考えています

カスタマーレビュー

2021年8月17日に日本でレビュー済み
 
2019年8月に亡くなられたキャリー・マリス氏が、その4ヶ月後に始まるコロナ騒動のために暗殺されたとでも言いたげな、終始「根拠のない陰謀ありき」で執筆された都市伝説本。

筆者は反ワクチン活動のみならず、「コロナなど存在しない」と主張し、ノーマスクデモに参加されているようだが、年配の方がワクチンを打たずにそのような危険なデモに参加されているとなると、他人事ながら心配である。

インドやブラジルの簡易墓地で泣き叫ぶ遺族の映像を見て、人の子なら誰もが心を痛めるはずなのだが、筆者はあれを「フェイクニュース」とでも言うのだろうか。

昨今社会問題化している陰謀論問題の闇は深い。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています

https://www.amazon.co.jp/PCR%E3%81%AF%E3%80%81RNA%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E5%A4%A7%E6%A9%8B-%E7%9C%9E/product-reviews/4864719543/ref=cm_cr_getr_d_paging_btm_prev_1?pageNumber=1&reviewerType=all_reviews&filterByStar=critical



 彼等のすべての意見に賛同します。
 まあ、一言でいえば、これは「 極めつけの陰謀論本 」ですね…。
 無根拠な陰謀論宇宙の保護区に居住する、不安定で淋しいひとたちの慰めのためのバイブルとでもいうのかな?
 科学の言葉を使ってはいるけど、この書はいかなる場合であっても、断定することを注意深く避けています。
 疑問は呈す。しかし、それについての根拠はいわない。ソースの提示も結局やっていない。
 可能性についての話ならいくらでもOK、デマっぽい話に寄り沿うそぶりも少しばかり見せてくれたりはする。
 けれど、彼、この本のなかで「 決断 」を一切していません。
 いついかなるときも引きかえせる逃げ道を用意しておいて、安全が確保できたときにだけものをいう。
 そういった意味で、非常に官僚的な、Not responsible な仕上がりになっていると思います。
 読みながら、怒りというより悲しみのほうがわいてくる、ふしぎな迷宮本……。
 一部の陰謀論信奉者には届くかもしれないけど、一般の多数のひとには、この本の言葉が届くことはないでしょう。
 
 本日の僕の記事は以上です ――― お休みなさい。