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弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。

2018年09月03日 | 子育て論

今回は子育て論について話していきたいと思います。

子育ての究極のポイントは「①親が成長し続けること」「②善悪を実践すること」の2点に集約されます。

では、どうやって大人が成長するのでしょうか?

肉体の政党は止まりますが、「脳」の成長は止まりません。

人間の、成人の成長とは「脳が発達する」つまり「悟り」続ける、「賢くなり続けること」です。

そして、賢くなり続けることと同時に、子供にたいして「善悪を実践すること」により、親自身が言行一致することにあります。

その方法が学びたい方はこちらで学んでみてください。

新約聖書のルカの福音書第6章39~40節

 イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。」


 弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。


とあります。

私たちは、師つまり親のようにならなければなりません。

実は教育の目標は「師、親のようになること」です。

聖書では、「人間を創られた創造主、神様のようになりなさい。そして努力すればそうなれる」と書いてあります。

私たちも、実生活で新しいことに挑戦しなければならないことがあったり、新しいことを覚えなければならないことだらけではないでしょうか?

では、どうすれば、「師、親のようになれる」のでしょうか?

そえは師をまねることにあります。

「新人さんへ。ミスはして良い。ってか、してくれないと教育しようがないという話」から転載いたします。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(新人さんへ。ミスはして良い。ってか、してくれないと教育しようがないという話。コミュニケーションビジネススキル部下とのコミュニケーション部下の教育 高須賀2018/4/3)


「仕事を教えてください」と言われると、大抵の人は困った顔をする。

 しかし「できました。チェックしてください」と言われると多くの人は結構ちゃんとミスを指摘できる。

これ、実に興味深くはないだろうか?実はこのエピソードに教育とか成長のコツが結構つまっているのである。

 

というわけで今日は教育とか成長に関しての雑感を書き綴っていこうかと思う。

 

「成長とは淡々とミスを指摘され、淡々と受け入れていくこと」
働く前に、仕事についての心構えでも学ぼうかと思い、当時ライフネット生命の副社長だった岩瀬大輔さんの「入社一年目の教科書」を読んで、とある記述に愕然とした。

当時、ボストン・コンサルティング・グループに勤めていた岩瀬さんは、

70点ぐらいで成果物をサクッと仕上げたら上司に提出し、そこで提出したものを赤ペンで真っ赤に修正されていた

のだという。 

在学中に司法試験に合格するようなウルトラエリートの岩瀬さんですら、メチャクチャにミスを指摘されるのだなぁという風に僕は驚きつつ、次の記述に僕は文字通りおったまげたのであった。

「他の奴らはミスを指摘されると嫌そうな顔をするのに、岩瀬は嬉しそうな顔をするよなー」

この何気ない一文はウブだった学生時代の僕の心を随分と揺さぶった。

 

私達はミスはあまりよい事ではないという風な教育を施されている。

テストでは100点が一番良いと思いがちだし、完璧を常に徹底しろという風な事を様々な場面で言われる。

 

しかし本来、特に初学者の段階ではミスはやっていいものなのだ

最近読んだ大変興味深いエピソードのうちの一つに、将棋の名人を倒したAIプログラムPonanzaの開発者である山本一成さんのプログラムのエラーが出ることを怖がる学生さんたちという話がある。

 

【プログラムのエラーが出ることを怖がる学生さんたち – Togetter】 

山本さん曰く、「大学のプログラミングの授業を生徒さん達に教えている時でとにかく衝撃的だったことは、生徒さんが『プログラムを実行しないこと』だ」という。
どうやら「プログラムを実行すると、文法エラーや結果が全然あってないなどの「間違い」が発生するのを恐れている」のがその原因だという。 

これに対して、とある方の返答でこのようなものがあった。

「私が小学生のころに読んだC言語の本には、例外なく「コンパイルエラーは怖くない、実行エラーも恐くない、実行してみよう」という事が繰り返し書いてあって、その通りにしていてこの考え方が身に付いた」

「たぶんこれは、初学者にとっては思った以上に自明じゃない」

このように、多くの人はミス≒してはいけないこと、恥ずかしい事だと思っている節がある。

 しかし学習初段階においては、ミスは「自分がどこをわかっていないのか」を明らかにしてくれる唯一のヒントである。

プログラムも書いたらとりあえず実行してみて、走ればそれで良し、エラーがでればどこが間違っているのかを探し、何度も何度も修正する事で初めて、「自分がどこを理解できてないのか」がようやく理解できる。

 実はこれ、冒頭で書いた岩瀬大輔さんの入社時の赤ペンエピソードと全く同じである。

ハーバードMBAを取るようなウルトラエリートですら、入社時は成果物を真っ赤に訂正されるのだから、いわんや私達のような凡人をや、である。

 ミスは決してしてはいけない事ではないし、ミスを指摘される事も、決して恥ずかしい事ではない。

むしろ、間違ってくれないと、指導者側もどこをどう理解できてないのかがわからず、教育の施しようがないのである。

 

だから、冒頭に書いたように、多くの指導者は「仕事を教えてください」と言われても、大抵の人は困った顔をしてしまうのだ。

 

けど「できました。チェックしてください」と言われると、多くの指導者は、「あーここが理解できてないのか」という事がわかりやすく可視化されるので、簡単にそれを指摘する事ができる。

 

ここまできて、教育とは、学習者サイドからすれば、

「手取り足取り教えてもらう事ではなく、間違いを直してもらい、それを愚直に受け入れる個人の心の鍛錬」

であるという事が初めて理解できる。

 

そして指導者にとっての教育とは

「ミスはしていいものである。っていうかしてもらわないと指導しようがない」

「残念ながら私はテレパシー能力を持ってないので、あなたが何をどう理解できていないのかを察する事ができない。だからミスはしてくれないとむしろどう教えていいかがわからないので、困る」

「加えて言うと、ミスの指摘は決してあなたの事を怒っているわけではない。あの東大・ハーバード卒の岩瀬さんですら初めはミスだらけだった。失敗を怖がらずにゆっくりと成長していこう」

という事をしっかりと伝える事であるという事がわかる。

 

こういう事をキチンと学校なり会社なりで徹底化させていくと、なんつーか教える側も教えられる側も、もうちょっと生きるのが楽になるのになーと思うんですけどね。

結局のところ、仕事というか物事のモチベーションっていうのは、自分がやった成果物に対して褒めとか称賛が入るってことでしか回転しないものなんですよね。

 

けど学習初段階では、褒めも称賛も簡単には手にできないじゃないわけですか。

だからやる気のない人の教育って難しいんですよね。だって学ぶ動機が全く湧き上がらないわけですし。

 

だからこの初めの段階をサクッと終わらせてあげて、そこそこ評価される成果物を出せるようになれるところまで持ってってあげられれば、多くのやる気のなかった人もやる気スイッチがガクンと入ってモリモリ働けるようになれると思うんですけどね。

 

やっぱし、生産できるって喜ばしい事ですよ。何かして、人の役に立てて、それで褒めてもらえる。

こういう生きる喜びみたいなのを、もっとみんなが簡単に手にできればいいなって思いながら、今日も上司からの遠慮のない辛辣な言葉によるミスの指摘を笑顔で受け入れ、後輩の心が壊れないように細心の注意を払いつつ、ミスの指摘ならびに何を訂正すればいいかの指導を淡々と行っております。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

親の仕事は「子供のミスや間違っているところを指摘し続けること」です。

子供が成長していけば、どんどん考え方や性根が曲がっていきます。

それを真っ直ぐにしてあげることが家庭教育なのです。

最初から「子供に嫌われること」が子育てなのです。

絶対的な「善」を教えること、そして親自身が教育者自身が「善」しかしない状況を維持し続けることなのです。

「例外は認めない」という姿勢が子育てには大切です。

「正義」「絶対的な善」を私たち親世代は教えてもらわず、「善悪併せのむ」清濁併せ吞むという考え方、つまり「要領よく生きること」が大切だと、教えられてきました。

「ずるしても結果だけ出ればいい」という教育の仕方では、「ずるしても結果がでなくなった時」に困るのです。

さらに、「ずる」を行うようになり、いずれは「犯罪者」になってしまうのです。

結果が出ないのは、実力がないからです。

本当の実力があれば結果が出ます。

結果を出し続けれないのは、「本物の実力がないから」なのです。

本物の実力とは「鍛錬された知識・技術」+「完全な心を持つこと」によって作り上げられます。

ミスをしても笑わないことです。

悔しいと思い、さらに努力するように、できるまで努力しつづける忍耐力を誉めることです。

人生を長い目で見てください。

短期的に結果が出せるのは、何か人に言えないわけがあるのです。

短期的に実力がつくわけがありません。

マスコミはピコ太郎のような何も面白くない人を「いかにも実力があって面白い」ように装います。

そんなピコ太郎を見ていたら、本気で頑張っている人たちは「何であんなものが売れるんだ!?」と頭が混乱します。

マスコミ(イルミナティ)とはこうやって「楽して儲かる」「楽して成功する」「思いつきだけでうまくいく」とウソばかりを広げます。

ですから、私たちは、本当の実力がつくように、コツコツと完全にできるようになるまで、努力しづけるしか成功する方法はないのです。

そして、子供たちがそういった真っ直ぐな考え方に育つように、親は容赦なく「厳しく」指摘し続ける必要があるのです。

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