「私、人間関係失敗したことないので書くことありません」
プロセスレコードの講義の際に稀にくこういった発言を耳にします。
本当は、本人が失敗に気付いていないだけなのですが、こういう事を平然と訴えて来る学生もいます。
「対人関係の失敗をいちいち気にしていたら気持ちが持たない」
というマインドを持っているのでしょう。
しかし、私たちは「言葉」によって、相手を励まし勇気づけ、元気にすることもできる一方、「言葉」で相手を呪い、追い込んで、不安にさせ、死に至らしめることもできてしまいます。
言葉は「火」のように、寒いときに部屋を暖めたり、加熱して食材を調理することで有益な働きをする一方、使い方を間違えれば、火傷をさせたり、火事で家がなくなってしまうくらい恐ろしいものですね。
(ヤコブの手紙3章 舌を制御する)
(口は禍の元)
「何気ない一言」「自分では大したことないと考えて発した言葉」によって、相手に多大な影響を及ぼしてしまいます。
(雉も鳴かずば撃たれまい)
「だったら、誰とも話さないで過ごそう」と場面緘黙になって生きることが幸せなのでしょうか?
違いますね。
「話すことで相手を癒す、治すことができる、救う事ができる人間になること」に価値があると思いませんか?
そうなるためには何が必要か?というと、「自分の考え方に間違いがないか?」日々点検することです。
点検項目を5つ列挙します。
①その場の雰囲気に流されて、発言をしてしまっていないか?
②相手のご機嫌とりばかりして、いうべきことは言えたのか?
③正しい基準、つまり真理に基づいて考え発言できていたか?
④相手に伝わっていたか?伝え方は適切だったか?
⑤自分の中に真理、神の考えは蓄えられているか?罪の考えは混じっていないか?
実際の講義では①②について振り返りしてもらいながら、プロセスレコードを書いて貰います。
振り返りができている学生の多くは「親しい仲にある家族や友人に対して、自分の考えを押し付けてしまいトラブルになっている」ことに気付きます。
家族や恋人、親友ですら、「自分の考えと違う」「価値観が違う」ことに気付きます。
つまり、「分かり合えない」のです。
それはなぜか?というと、あなた本人だけに問題があるわけではなく、日本人全員が「考え方の基準を持っていないから」です。
「こういう考え方で生きると人間は幸せになれる」という基準を知らないため、「他人に迷惑かけない程度、法に触れない程度で好き勝手に生きることが人間にとって幸せだ」という社会常識を持っているのです。
では、基準となる「正義」「真理」とはどこにあるのでしょうか?
学校の授業で習う「倫理」や「道徳」にあるのでしょうか?
ありません。
私たちの生きる基準とは「聖書」の中に書かれており、「聖書を書かせた」とされる「神様の考え」に従って生きることで、人間は日々正義や真理に近づいていきます。
プロセスレコードはただ、反省させるだけなので大した効果はありません。
しかし、「この状態に近づける」という基準があれば、日々振り返り、完全に近づいていくことができます。
心を清め、完全に近づいていくことで、正しい考え方が蓄えられていき、コミュニケーションにおいても話し相手に有益をもたらすことができるような話してになり、人生が充実していくと思います。
毎日できる心の清め方はRAPTブログにありますので、是非実践して、対人関係で苦しまないような幸せな人生を手に入れてください。
『RAPT有料記事253(2018年2月24日)人間の体も毎日風呂に入って清めなければならないように、人間の霊も毎日明け方の祈りを守って清めなければならない。https://rapt-neo.com/?p=46710』
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