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旧精神科医療は思想警察なのか?

教育学の嘘、教育のルーツは愚民化洗脳のため

2016年02月25日 | 洗脳からの解放
人間を階層に分断すると階層間で争い始める。
分断工作という言葉を小学生は習いませんよね?
どうして、クラス分け、組み分けされるのか?
どうして男女分けされるのか?

さらに言えば、年齢分けされるのか?…などなど。
そしてそのように組み分け、クラス分けすると、違う組み、クラスと争わせるように仕組みますね。
それが幼少の頃ですと、体育祭であったり、文化祭であったり、スポーツであったりします。
小さな頃から争って勝つ事を求められ、それが高評価になり、実生活でも勉強ができたり、スポーツができると得したりします。
小さな時から戦うこと、争う事が評価の最高位に来てしまっています。

何故か、小学校高学年、中学生以上になると、テストや通知表というもので、優劣をつけるようになります。
通知表は極めて主観的なものですから、『扱い易い子ども』が必然的に良い成績を取るようになりますよね?
世の中のシステムに従順な人間を評価し、優遇するシステムに乗せる準備、これが教育なのです。
そんなベースの考え方も教えず、毎年沢山の先生が教育学部を卒業して、教員になろうとしてますよね。

『貴方の学んで来たこと、そして教育そのものを正しいものだと検証したことはありますか?』
と考えられる方は殆どいないでしょう。
仮に『正しい』と回答されたとしましょう。
では、その正しいことを学ばれて、その正しい世界で優秀な人が、政治家や税金を国民から集めその使い方を決める仕事、役人についているのに、日本の貧富の差は拡大していくばかり、重労働で過労死したり、自殺する人は一向に減ってきませんよね。
病気も減りません、児童虐待も減りません。犯罪も減りません。

私たちは『本当に正しい事を学んで来たのでしょうか?』と問いたくなります。

思い起こせば、大学を卒業するまでの間の教育、評価システムでは

暗記したり、暗記した事を組み合わせることばかりやらされて、

物事を多面的に捉えたり、深く思考したり違和感を感じたりする能力

は全く評価されて来ませんでした。
むしろ『変人扱いされ、忌み嫌われる』そんなシステムであった記憶しかありません。
こういう思考に至るのは私が精神科で働いているからであるかもしれません。

あとは、ある程度多趣味で、さらに言えば読書が趣味だからかもしれません。
看護師だからでしょうか?
私の周りの看護師でこのような事を考えてる方は残念ながらいません。
いても、行動したり、抜け出そうともがいている人はいない。

日本看護教会の認定資格を取りたいとか、認定看護師になりたいとか、ベクトルの違う話ばかりです。
『認定資格をとるその先に何がしたいのか?』なんてある人を見た事がありません。
『安定領域に行きたい、他者よりも抜きん出たい』その程度です。
抜きん出た先に信念も何もありません。
自分の存在について、価値観について、使命について、医療職の使命について考えてる人なんていやしません。

『考えない事、思考しない事が優秀な専門職』なのだと随分昔から感じていました。

私が国家資格が取れたのも、教育システムに従順で愚民化洗脳されていたおかげなのですが、こうやって気付くのにどれだけコストをかけたか?遠回りしたかを考えると、勿体無いと感じてしまうのです。

現在子育てをしていて感じることは、現在の問題の多くは『競争しなければ殆ど解決してしまうな』という事に気付いた事です。
斉藤一人さんが良く言います。『競争より共創、協力、』これからの時代にマッチしているのは、競争して勝つという洗脳でなく、勝ち負けという二元論を超えた協力する大切さ、そして評価は自己評価こそがマッチしているのではないでしょうか?
目覚める時が直ぐそこまで来ているのだなあと感じます。
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