心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

「サラリーマンの弊害」は明け方に出る

2019年10月31日 | raptブログ

私は現在、サラリーマンをしています。

特定保健指導の委託事業として個人事業を始めましたが、軌道に乗らず、委託先からの徹底管理や制度そのものが、受け入れがたい内容であるため、一旦事業は停止しています。

特定保健指導とは簡単に言えば厚労省が健康診断で検査値に異常がある人を病気発症しないように、または重症化しないように保健指導をしていくことで、医療費の抑制につなげていくという事業なのですが、実際この指導に携わることができるのは、保健師と管理栄養士、そして移行期間に指導実施をしていた看護師だけです。

さらに突っ込んで話をすると、これは管理栄養士の仕事を国がわざわざ作った制度でもあります。

もともと、管理栄養士制度は不必要な制度で、栄養士という制度があれば事足ります。

しかし、病院で勤務する管理栄養士という制度が創設され、NSTという栄養管理チームによる加算が保険化されたことにより注目があつまりました。

管理栄養士の制度は以下の通りです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(管理栄養士の取得方法)

管理栄養士の免許は、栄養士の免許を有する者が、管理栄養士国家試験を受けて取得する。

栄養士の免許は、栄養士養成施設(2年制、3年制、4年制がある。短期大学、専門学校、大学など)において2年以上栄養士として必要な知識及び技能を修得した者に対して、都道府県知事(かつては厚生大臣)が与える。
そして、管理栄養士の免許は、栄養士免許を得た後に一定期間栄養の指導に従事した者(栄養士養成施設の在学期間+実務経験の合計が5年)、または管理栄養士養成施設を修了して栄養士免許を得た者(4年制の大学や専門学校。実務経験不要となるため、4年生の時に、栄養士免許及び管理栄養士国家試験受験資格の両資格取得見込み扱いで即受験可能)が、厚生労働省の実施する管理栄養士国家試験に合格した者に対して、厚生労働大臣が与える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

大卒の栄養士課程を修了している人は受験資格が得られるものです。

つまり国家資格ビジネスによるものです。

実際のところ、資格は作ったものの、栄養士と管理栄養士の違いはありません。

しかし作った以上、メリット、食い扶持を作る必要がある、そのためにできたのが、「特定保健指導」という制度です。

食事指導、生活指導をして、健康寿命を延ばすのが、「特定保健指導」の一環でもあります。

しかし、実際に指導してみればわかりますが、食事が問題なのではなく、仕事上不規則になってしまう人が多く、長時間勤務や超過勤務によるストレスや付き合いなどによる飲酒、飲食による影響が多大であることは明白です。

つまり、日本の今の働き方、企業の働かせ方に問題があるのに、それを棚上げしておいて、個人の問題として、個人管理責任としてしまっているだけなのです。

病気になりやすい環境を作っておいて、「自分で管理しろ」というとんでもない制度です。

また、特定保健指導を受けさせていない企業の健康保険組合には、厚労省から制裁が来るというとんでもない制度です。

その制裁の内容が、単に受けさせていない健康保険組合の名前を厚労省のページで晒すだけではなく、後期高齢者医療保険料の10%の上乗せ支払いをさせるといった実質的な経済負担をさせることを強いているのです。

まさか、私たちの支払っている健康保険料で運営されている健康保険がそのように使用されているとはつゆも知らないと思います。

ですから、健康保険組合としては、特定保健指導をしてくれる業者にお金を払って、特定保健指導対象の社員に、指導を受けさせなければならない半ば強制的な制度でもあります。

管理栄養士と、保健師のために作られた制度であり、利用者のための制度ではないのが実態です。

 

そういったインチキまがいの仕事の請負を始めたのですが、当然利用者は嫌々であるため、仕事として食べていくことはできません。

ですから、看護学校での教員の仕事を始めました。

サラリーマンですから、8時出勤の17時定時あがりできる職場で、移動時間を含め、実質7時30分から17:30分の拘束時間になります。

毎日20:00には入床して、0:30には起床して、明け方の祈りの時間の準備をします。

1:00からは祈れるように集中しようとしますが、雑念だらけで祈ることが難しい事が現実にあるのです。

月曜~金曜までは職場にいかなくてはならないため、職場での仕事に集中します。

昼の休憩時間は教員間で情報共有しながらのランチとなるため、自分の時間はとれません。

 

看護学校の教員の特徴として、実習期間はほとんどの教員が自分の講義がない限り、実習先の病院で1日を過ごし直行直帰の日々を過ごします。

ですからある意味、実習に専念して学生に向き合えるのですが、教員としての他の業務は進んでいきません。

拘束時間は今までの仕事と比較して不規則もなく、一番短いのですが、それでも帰宅して家事、子供の相手をしながら、空いた時間にネットをしたりしても、頭が切り替わらないのが現実です。

特に悩み事もなく毎日過ごしているつもりなのですが、1:00からの明け方の時間になり、いざ集中しようとすると、雑念が入ってきたり、睡魔に襲われてしまうこともあります。

深く祈ることができず、中途半端な時間を過ごすとかえって倦怠感が出てしまい、倦怠感を抱えたまま、出社することもあります。

 

「生き生きと仕事をして帰ってきても、実際頭の中は世の中の波長や考え方で汚れてしまっている、澱んでしまっている」

実際、社会に出て、他人と働くとなると、どうしても知らない間に気付かぬ間に、「どんどん心が汚れてしまっている」のです。

社会に適応するとはある意味で「汚れた場所で生活することに慣れる訓練」のように思えてしまいます。

ここまではいかないにしても、これくら毎日汚れている感覚を明け方に感じます。

 

知らず知らずのうちに汚れてしまっているんです。

そして、明け方の時間、いざお祈りしよう、恋人とお話しようと思っても、汚い部屋に恋人は来て下さらない感覚を持ちます。

むしろ、汚いため、その存在を発見することができないのかもしれません。

部屋の外で片付けるのを待っているのかもしれません。

 

掃除が得意な人や綺麗好きな人の行動を見ていると、「汚さないようにすること」と「いつもこまめに掃除して綺麗な状態を保っていること」がわかります。

仕事を終え、車に乗っている時間、帰宅して一息ついて、パソコン開いて何気なくネットでニュースサイトや情報収集している時間、

 

実はこの息抜きにも「油断して心の部屋にゴミをポイ捨てしる時間なのだ」ということを最近感じるようになってきました。

1日24時間のうちの10%以上、2.5時間以上、綺麗な時間を過ごしているか?

と問われたら、明け方集中できていない分、どこかで集中する必要があるのです。

心を清める、リセットする時間を持つべきなのです。

 

家事をしながら御言葉を聞いたり、悟ったことをメモにとったり、聖書を読む必要があるのです。

そして、一番頭がさえている時間帯に、情報収集や拡散するほうが効果的だと分かってきました。

ですから、「時間がないから、証が書けない、情報拡散できない」というのは、単なる言い訳であると感じています。

 

脳が汚れてボーっとしている時間に証を書こう、情報収集して拡散しようと思っても非効率なだけなのではないか?ということです。

実際に、頭がクリーナーでクリアな状態では、構想が面白いほど浮かんできます。

そして、その構想を軸にして一日を進めていくと恐ろしいほど物事がスムーズに運んでいくのです。

しかし日中はそれほど、アイデアや構想、インスピレーションは来ません。

 

まさにこの記事の内容を実践しないと、今の社会ではまともに生きていけない、脳が機能しなくなるということを体験しています。

RAPT有料記事253(2018年2月24日)人間の体も毎日風呂に入って清めなければならないように、人間の霊も毎日明け方の祈りを守って清めなければならない。

 

社会に出て働くと、知らない間に汚れてしまう、汚れた考え方から影響を受けてしまいます。

その汚れに慣れてしまうと、人間は掃除や片付けをしたくなくなるため、汚れた分、気付かない小さな汚れも、いつも気にしながら綺麗にしていないと、何日も何日も累積していくことによって、掃除する気がなくなってしまうのだと反省の日々です。

 

人生は短い、もっともっと、24時間を有効に使っていかなくてはなりません、そう自戒する日々です。

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