看護師とは一言でいえば、「この世で最も自己中心的な動機で志望する職業」と言えるかもしれません。
世の中には数多くの仕事がありますが、その中から「人の不幸に漬け込んだ職業」だからです。
看護師を志望する動機の代表的なものは以下の2つです。
・病気で苦しんでいる人を助けたい
・ありがとうと感謝されたい
・国家資格を取得して安定した収入を得たい
いかがでしょうか。
こんな動機が平然と罷り通る業界なのです。
本来、看護の仕事とは、「すこぶる健康で、手先が器用で、体力があり、血液汚物や吐物も平然としていられる人」
にしかできない仕事です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(保健師助産師看護師法)
と学びます。
しかし、実践では「医師の診療補助、療養上の世話」としか書いていません。
これはあくまで学術的な拡大解釈にしか過ぎないのです。
「医者病気を治せない」と検索してみると、たくさんの書籍が出てきます。
しかも、医師が書いた書籍ばかりです。
不思議ですよね?
日本において、医学部で教育を受けて、「共通の医師国家試験を合格した人しかなれない職業」が医師のはずなのに、これだけ発言内容が食い違うことがあるのですから。
ましてや中医学がよい、東洋医学がよい、アーユルヴェーダがよいなど好き放題言っています。
医師たちは、本当に病気を治したいと考え、日夜、西洋、東洋、問わず治療方法を模索し続けています。
しかしながら、西洋医学の薬中心、野戦病院の医療は根治療法でないという意見もあります。
その通りでしょう。
交通事故で足が切断されて、出血したのを止血、縫合することで足は回復するかもしれませんが、人間の体が、時速100キロ以上で走ることができる鉄の乗り物にのっている状態で何かに衝突したら、ちぎれてしまうのは当たり前です。
原因は、交通事故を起こすことであり、交通事故による衝撃を緩衝できていない車のメーカー設計にもあります。
ましてや、交通事故が起きてしまうような交通規制などのルール、それを守らせる警察のシステムにも責任はあるでしょう。
そんな軽率で無謀な運転をさせることを許可してしまう、運転免許制度にも問題があります。
そういった要因の積み重ねの上に、目の前の交通事故外傷の患者がいると考えるならば、単に事故で切断された足を縫合することが医療の仕事だとしたら、「敗戦処理」「野戦病院」だと思えませんか?
本当に正しい医療があるとしたら、本来は医療は選択することが可能であるはずです。
しかし、実際は「健康保険証」による窓口負担軽減を餌にして、厚労省がガッチリ管理した診療行為以外は保険適応できないとルールを作ってしまっています。
糖尿病の患者の例を挙げてみます。
糖尿病とは高血糖症状が続いて、人体に悪影響を及ぼす状態を表します。
ですから、医療は血糖値が正常値に下がるように、血糖下降薬を処方したり、インスリンなどを処方します。
しかし、ここで冷静に考えると、「なぜ、この人が高血糖になったのか?」
に対して何らアプローチしていないのです。
つまり、車の運転でいえば、アクセルを踏みながら、ブレーキをかけている状態だということがお分かりになるでしょうか?
「車が止まらないから、誰か止めて~」と叫んでいる人に対して
「アクセルから右足を離して、右足でブレーキを踏めば止まるよ」
と言えばいいのです。
しかし、保険適用医療では、「アクセルはそのまま右足で踏んだままで、左足でブレーキを踏んでみて」
と言っているのです。
意味が分かりますか?
アクセルを踏む右足とはつまり「その人が高血糖になった元の原因のこと」です。
そして、左足のブレーキとは「血糖を下げる薬を処方すること」です。
単純に考えて、右足をアクセルペダルから離せば自然に減速していきますよね?
そして、最悪、ブレーキを踏まなくても、ハンドル操作さえしていれば、どこかで停車することは可能です。
安全に停車するために、ハンドル操作とブレーキによる制動コントロールは必要ですが。
高血糖が問題なのに、高血糖になる原因は全く触れない。
その点については「個人差があるから、はっきりわからない」と逃げてよい仕事が現代の保険適用医療なのです。
疾患によっては「原因追及をせず、誤魔化すのが現代医療」と言われても反論できないのです。
現代医療とは、簡単に言えば、外科手術と薬物療法の2枚看板を指します。
逆にそれ以外の医療技術は科学的根拠に乏しい、民間療法、呪術やまじないと同じだとまで解釈しています。
ではなぜ、そのような考えに至ってしまったのでしょうか?
それは、実際に薬物療法が功を奏したという実績があるということ。
さらに、薬物療法という分野において、製薬会社が巨大利権となり、巨万の富を得ているからです。
ここで、注意してほしいのは、「薬物療法が悪である」ということではありません。
急性期では薬物療法が効果的ですし、急場をしのげなければ、生命の危機に瀕します。
しかし、「医者が言うから、何でもかんでも薬で解決する訳ではない」という事実は知るべきなのです。
薬の飲み続けるのが治療だとすれば、「いつまで飲み続けるのか?」を明確に示すべきです。
そして、その期限までに治療できなければ失敗であり、訴訟の対象ですらあります。
ましてやそれは医療の敗北です。
その期限を示すことができないのであれば、医学に何ら根拠はなく、不明なものを薬の作用で誤魔化しているだけであり
「本当はわかりません」と認めるべきなのです。
しかし、そこは医学界が認めませんし、製薬会社も必死に医師の権威を守ろうとします。
効果があるかどうかわからない、単なる老化現象を病気とすり替え、予防のためと称し
骨粗鬆症の薬や不要な降圧剤をどんどん処方してくれる医師を大切にしなければ製薬会社は莫大な利益は出ませんから。
話題を、看護師の志望動機戻しましょう。
現代の医療とは、そして患者とはほとんどが原因不明か老化現象による「機能変化、生理的変化による苦痛、違和感」を「病気」として考えて治療を受けに来ます。
まさに、「何も考えず、ただ食べられるために産まれてきた場に向かってくる、牛や豚」と同じ状況です。
これだけ医療情報にあふれ、書籍やネットでも真実が広がり始めているのに、未だ、製薬会社や医学利権が発信するテレビの情報だけを鵜呑みにしているのです。
医療とは、「屍殺場に送られてくる牛や豚」を処理する仕事なのです。
そして、看護とはそれらの牛や豚を養う、「牧畜業」なのかもしれません。
生かさず殺さず、育てる、飼い殺しする仕事なのです。
当然でしょう?国民が健康になって、最低限の医療しか必要なくなったら、病院やそこで働く人たちは不要になってしまうのですから。
それと同じように、家畜に子供を産ませ、育て食肉用として出荷できるようにいつも準備しておかなくては、畜産業は廃業してしまいます。
つまり残念ながら、医療、看護という業界は、「製薬会社に出荷できる牛や豚を牧畜しているに過ぎない」のです。
人間は、不健康な考え方、生活によって体調不良となります。
つまり、社会が食べられるように、「牧畜」してくれて、病院という屍殺場に送られてきて、コメディカルで解体し、部分部分を山分けする。
生かさず殺さず家畜を育てるとするのが、看護師であるとしたら、なんとも罪な仕事なのでしょうか?
退院指導で「栄養指導したい」という学生にダメ出しします。
「食生活が原因ではない」と。
そして「受け持ち患者が再発しないようにするにはどうすればよいか?その原因は生活習慣にある」と明確に指導します。
そして、一番必要なのは「疾患を患者自身が理解すること」と指導します。
疾患を理解すれば、そもそも急性期以外、医療が不要であり、患者自身の考え方や悪い生活習慣が根本原因である、さらには人任せで無知なことが悪であるということにまでたどり着くからです。
製薬会社を肥え太らせたい、将来食肉として出荷させるために、餌をたくさん与えたり、トイレや風呂の世話をしているだけなのに、
何も知らない牛や豚は「ありがとう」と感謝して懐いてくる、
それを「必要とされている」と思い込み、自己満足に浸っている仕事が看護の本質であり、残念なことに「牧畜業」「人間畜産業」でしかありません。
それが現代医療であり、その中で働く看護の本質なのです。
一人でも多くの看護師がその事実に気づいて、現実が変わっていくために活動する必要があります。
悪徳政治家や強欲な経営者が支配している世の中だから、庶民は心を病み、病気になるのではないでしょうか?
働いた分の正当な給料がもらえ、仕事漬けの日々を送ることなく、文化的な生活ができれば、病気になることはありません。
ため込んだストレスや疲労を、酒やたばこ、ギャンブル、風俗で誤魔化すしかない社会構造こそが病気の原因なのです。
そして、そのような社会を変えようともしない、他人事で自己中心的な人間を作り出している教育、欲望を駆り立てるような映像、情報ばかりを垂れ流すマスコミ。
実は私たちは悪い情報によって、脳が毒で侵されている結果、どんどん身体も不健康になってきているのかもしれません。
90歳の心不全、入院医療費100万円以上かけて治療する必要ありますか?
85歳の脳梗塞、医療費150万円以上かけてする必要ありますか?
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