私は看護学校で #専任教員 をしています。
看護学校では特殊なところがあり、教科担当以外にも担任業務という仕事があります。
この担任業務を極論すると「看護師免許取れたら幸せになれるから、信じて頑張りなさい」
というものです。
私が専任教員になりたての頃は、「あんた、#看護師向いてない から進路変更を早めにした方がいいよ
親御さんにも伝えておいて、今度3者面談するから」
というスタンスでした。
「やる気がない、努力ができない看護学生」を容赦なくバッササバサ切っていくのが担任業務だったのです。
足手まといは切るというスタンスです。
看護学校では、学校経営上、入学人数目いっぱいまで合格させて、入学させます。
「金さえ積めば、同じ資格でも楽にとれる」という理由で看護学科の大学進学する風潮が強くなってきたため
ここ最近は定員割れしている看護学校も増えてきましたので、「看護の仕事がしたい学生」よりも
「何もしたいことがないなら、#とりあえず看護師 免許とっておいたら?」と進路指導の先生に勧められて進学してくる
学生もいます。
「この仕事がしたい」と考えている学生は放置しておいてもどんどん勉強をします。
しかし、約30%くらいは「楽して得したい」という後者の学生であるため、約30%は
とことん手を抜き、とことんサボり、とことん睡眠学習します。
この30%の学生を切っていかないとクラスの士気が維持できませんので、いざ全体として動こうという時に
チームワークが発揮できないのです。
「羊と山羊を分ける」という選別作業をするのが、担任だったのです。
しかし「教育・指導力によって山羊も卒業させろ」という厚労省の指針によって、だいぶ雰囲気も変わってきました。
「羊も山羊もごっちゃ混ぜで平等な教育をしろ」
という大学のような、ライセンス発行ビジネスになってきているからです。
確かに専門学校は課題が多すぎて、臨地実習に出れば寝れない日が続くという、無理ゲー的な指導はいかがなものかと思います。
とはいっても、「山羊を羊にしろ」とか「山羊も羊と同じように卒業させろ」
では公平性や平等性に欠けます。
「やる気がわかない」「学校辞めたい」「提出物を毎回期限までに出せない」
こんな人を元気づけ、やる気にさせることが「教育」なのです。
とりあえず卒業させる、この前提が間違っています。
教育効果のない教育をして臨床に出しても、臨床では看護よりも安全管理と処置の介助、指示のあった処置の代行、急変対応と報告くらいなものです。
実際の看護の仕事と呼ばれる生活の自立への援助は看護助手や介護士がやっています。
学生が「辞めたい」と相談しに来たとき、辞めさせてあげるべきだと思います。
言い換えれば、この業界ではやっていけない、幸せになれないと学生が悟っているのです。
教員が足止めして、学生を救うことができません。
私は退学が決まった学生に対して
「看護師になっても幸せにはなれない。幸せを手に入れた人が看護師をするなら幸せだろうけど」
「幸せな人は何をしていても幸せだから、その状態になることが大事だと思うよ」
と伝えます。
しかしその後「先生、どうしたら幸せになれますか?」と答えを求めてくる学生はいません。
多くの若者が「この世に幸せになれる方法なんて存在しない」と諦めているのだと思います。
どれだけお金を稼いでも虚しい、人生何か上手くいかないと「#どうして私だけ?」と落ち込んでしまい立ち上がれない
無神論の国に生またということは、人生に答えがあることを知らずに一生を終えるということです。
#人生に答えが欲しい、知りたいと思うのは思春期青年期では当たり前の話です。
そこが分からないから、お金を得ることや、趣味や異性への恋愛に楽しみを求め、一時的な愛や情のやりとりで虚しさや寂しさを埋めているだけだと思います。
日本人に生まれたメリットは、RAPTブログが日本語で読めることだと思います。
人生の答えが書いてあるので、RAPTブログを読んで人生の第一歩を踏み出して欲しいと思います。
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