こどもが
「勉強をしても良い成績がとれない、スポーツをしてもうまくできない、クラスメイトから馬鹿にされて毎日生きていることが辛い、自殺したい」
と相談してきても「こどもが納得する答え」を与えることはできません。
せいぜい、「頑張って生きていればそのうちいいことがある。お前の大好きなマクドナルド食べに行って、そんなことは忘れろ」
程度でしか説得できないのです。
「嫌がらせしてくるやつがいる、いつも馬鹿にしてくるやつがいる。殺してやりたい。」
「殺したいくらい憎いやつがいる。どうすればいい?」
と相談されたらどうしますか?
このブログを読まれている読者の皆さんなら薄々気付いているかもしれませんが、人生を豊かにするもの、幸せにするもの、意味のあるもにするものは「信仰を持つこと」です。
実際、私たち日本人は、普段何気なく、「他人様」「世間様」という神を信じ、「他人からどう思われるか?」という「他社評価」ばかりを気にして生きています。
特に日本人は、「集団帰属意識が高い」ため、見知らぬ人には気を使わないくせに、自分の近い人、例えば恋人や友人、家族、学校関係者の前では取り繕って生活しています。
日本人は「世間様信仰」を持っているのです。
その「世間様信仰」の教祖は誰か?というと、実は信者の皆さんは教祖を分かっていません。
答えは「メディア=テレビ=NHK」なのです。
一昔前は、「ラジオや雑誌」が世間様信仰のご神体でした。
しかし、現在ではマルチメディアコンテンツ(映像と音のダブル配信)によってより強固な情報発信がされるようになり、「音声」だけのラジオ、映像だけの雑誌や新聞は「マルチメディアのテレビ」にとって代わることになりました。
2018年になり、その流れは徐々にネットい移ってきてはいますが、ネットを操作できない老人は依然テレビ信仰を手放しません。
テレビ真理教という記事があります。
カルト団体、オウム真理教をもじった内容になっています。
<極限修行音頭 オウム真理教>
麻原彰晃の合いの手が思わず笑ってしまいますが、当時若者がオウム真理教にはまっていきました。
そのオウム真理教の教理は辻褄があわないことばかりか、出家しないと解脱できないといいながら、教祖は性欲まみれ、肉欲まみれの人生を生きています。
「チベット密教が一番だ」といいながら、「自分はキリストだ」と言っているのですから呆れて物もいえません。
宗教アレルギーを幼いころから植え付けられている日本人には、「一見して耳障りの良い教理を聞く」と「学校の先生や親レベルでは話せない知らない、倫理観や人生論、幸福論」にころりと騙されます。
聖書を読んでいないため「偽預言者」「私がキリストだ」という人を見抜くことができないのです。
・・・・・・・・・・・・・・・(テレビを長時間見ると言語能力が低下する!脳の前頭極に悪影響!東北大が数百人規模の実験調査で証明!2013-12-10 | 医療、健康)
テレビを長時間見ると言語能力が低下する!脳の前頭極に悪影響!東北大が数百人規模の実験調査で証明! new!!
テレビを見ると頭が悪くなることを、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授や竹内光准教授らのグループが証明しました。これは11月20日に発表されたもので、テレビの長時間視聴と脳の関係を調査してみたところ、テレビを長時間視聴した子供の前頭極に異常が発生していたとのことです。
前頭極は言語知能などを管理している部分で、ここが悪くなるということは、言葉について考える力が減少する事を意味しています。
実際、テレビの長時間視聴が読書能力や注意能力を低下させる事はかなり前から判明しており、今回の件でそれが改めて裏付けられたと言えるでしょう。
☆長時間視聴、脳の成長に悪影響 テレビっ子、言語能力低下
東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳科学)と竹内光准教授(同)らのグループは20日、子どものテレビの長時間視聴が、言語知能などをつかさどる脳の前頭極に悪影響を与えるとする研究結果を発表した。従来、心理学研究でテレビが子どもの読書能力や注意能力を低下させることが確認されていたが、脳のどの部分に作用するかが明らかになったのは初めて。
脳画像解析と追跡調査によって解明した。「テレビを1日に何時間見るか」といった生活習慣を問うアンケートと知能テストに加え、脳を磁気共鳴画像装置(MRI)で撮影し比較検討した。
2008年7月に始まった1回目調査で「テレビを長時間見る」と答えた子どもほど、3年後の2回目調査の知能テストで言語能力が低い傾向があった。
:引用終了
☆長時間テレビ視聴が小児の高次認知脳領域の発達性変化や言語性知能に悪影響を与えることを発見
マスコミは重要な情報は報道せずに、どうでも良い情報ばかりを流しているので、基本的には全く見る必要がありません。外国人からも、「日本の番組はどれもクイズと食べ物ばかりで飽きる」とか言われていますし、本当に必要ないと私は思います。
まあ、一部のドラマや映画、アニメなどは非常に面白い物もありますが、今の時代はネット配信などをすれば、特に大きな問題は無いはずです。
科学的にも「テレビを見ると体に悪い」ということが証明されたわけで、これでマスコミの存在意義は完全に無くなってしまいました(苦笑)。
マスコミは情報の伝え方などを本気で改善しなければ、このままドンドン沈んでいくことになるでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
テレビをつけると、ワイドナショー、クイズ番組、グルメ番組しかやっていません。
「チコちゃんに叱られる」などはかつて民放がやっていた「トリビアの泉」の類で、生きていても役に立たない知識ばかりを提供してくるだけです。
こういった「無駄な」知識をみにつけても、本当の意味で賢くなりませんし、逆に物知りになったところで、実は世の中のことが何もわかっていないということを隠ぺいされてしまうのです。
私たちはテレビによって「価値のないものを、いかにも価値があるもの」と錯覚させられ、洗脳されてきています。
・・・・・・・・・・・・・・・(テレビ真理教)
恐怖!強力にお布施をイメージ付けるトレンディドラマ!
留守番電話、ポケベル、携帯電話、ファックス(なければとっても自由!)フローリング、ワンルームマンション(どこが住みやすいの?まるで独房ダヨ。)舶来家具、時計、海外旅行、自動車、グルメ。
布施をするぞ、徹底的に消費をするぞ借金をしてでも布施をするぞ、徹底的に買うぞ、高くても買うぞ、どんどん布施をするぞ。テレビではやってるものは何でも欲しくなる欲しくなるから自由意思だぞ、だから強制じゃないぞ、洗脳なんかじゃないぞ、
たとえ皆同じ価値観でもおかしくないぞ。
借金で買うぞ!借金で買うぞ!借金で買うぞ!徹底的に布施をするぞ。
恐怖!ブームがさらに健康を害し、家庭を荒廃させ、お布施を引きずり出す!
グルメブーム(からだにいいとか悪いとかもう関係ないぞ~喰いまくれ!)
日焼けにTバック(30過ぎたら後悔するそうですけどね。ヒフガンコワイ!)
積み木崩しブーム(最近はいじめブームも好調ですけどね。)
財テクブーム(終わってみればバブルとか言ってるけど煽ったのはテレビだった!)
Jリーグ(カレーにタオルにスナックにドリンクに貯金通帳ワーッお布施お布施!)
バーチャルリアリティ(実物より安い偽物を実物に近い価格で提供する作戦の布石)
パチンコ、競馬、競輪なんだか最近良く出てくるなあ、日本は賭博は違法なはずなのになんでかなあ?そういえばパチンコのカードの会社ってケ★サツ関係者が経営してるんだって、アエラとかには書いてあったけどテレビは全然取り上げないな
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
時代を感じる内容ですが、早い話「物質主義」に向かって、「欲望を煽る」のがテレビなのです。
テレビ番組とは、スポンサー広告料をもとにして、番組制作されているのです。
つまり、スポンサーがつかなければ、テレビ局は番組制作費用が出ませんから、番組が作れません。
「視聴者が喜ぶような刺激の強い番組を作り、視聴させる」
その合間に「広告」つまりテレビCМを挟みこみ、「広告主、スポンサー企業の売りたい商品に価値がある」と脳に刷り込んでいくのです。
なぜ、月9(ゲツク)などのトレンディードラマの舞台が「東京」なのでしょうか?
それはイルミナティの中心部が東京であり、庶民を東京などの大都市に集めて、「労働力」として使うためです。
庶民は、「東京で過ごしたい、オシャレなシティライフを過ごしたい」「都会のほうが、田舎よりも優れている」
という思考を吹き込まれるのです。
ドラマのロケ地はほとんどが「東京」です。
芸能人やスポーツ選手を使い、庶民を都会に集めて「消費型の生活」をさせ、奴隷として人間を使うためにさらに消費衝動を煽る。
私たちは「神」を信じていませんが、「世間様信仰」をしています。
その世間様信仰のルーツは「テレビ真理教」でした。
「テレビで言っていることは正しい」
「テレビを見ていない人は頭がおかしい、世間とずれている」
といって、大企業の洗脳装置のテレビを何十万円かけて購入するのです。
そして、巨大なテレビを所有することが富の象徴だと錯覚しているのです。
これはまるで仏壇のようです。
そろそろ本題に戻りますが、「なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?」「なぜ自殺してはいけないのでしょうか?」
これだけ苦しみしかなく、不正が蔓延り、悪と欺瞞に満ちた世の中で、明確に答えることは難しいでしょう。
現代は「生きていても価値がない」「正直者が馬鹿を見る」世の中なのです。
私たちは「金を稼ぐ力がなければ無価値だ」とマスコミや学校、親から刷り込まれてきました。
そして手っ取り早く金を稼ぐには「大企業で企業奴隷になること」や「銀行強盗や詐欺をするなどして他人から奪い取ること」くらいしか思いつきません。
「金や富がないと幸せになれない」と洗脳されているからです。
ですから、私たちは実際に世間で「金を稼ぐ能力のない人は無価値だ」とバッサリ切り捨てられてきたのです。
酷い話です。
「金を稼ぐ能力がない人は価値がない」⇒殺しても構わない、自殺しても構わないという考え方が現代社会です。
ですからこの世の「富、権力、名誉」に価値があると思っている人には「人殺し」「自殺」を否定することはできません。
「欲望をいかに多く手に入れてきたか?」を競う社会が正しいと考えているなら、欲望を叶える道具である「お金」を持っていない人は無価値な人になってしまいます。
そういう人には「聖書」にしか救いはありません。
「聖書」を読んでみると、
「神と富とに仕えることはできない」(富=マモン)と語られています。
そして、「このよの富を集めるのでなく、天に富を積みなさい」と書かれています。
天に富を積むにはどうすればいいか?というと、「神のために生きなさい」ということです。
「神のために生きなさい」とはどういうことか?というと「心を清らかにして生きなさい」つまり「聖書に書かれている御言葉通りに生きなさい」ということです。
これは決して「戒律を守っていさえすればいい」というルールの話をしていません。
「極限まで善良に生きなさい」「不正を嫌い、純潔を保ちなさい」
と言われているのです。
私たちは人生において、死ぬまで自分の心を完成させるために努力する必要があります。
一時的に不正を行って結果を出したり、富や名声を得ても、維持することができません。
過去の栄光にすがって生きることほど地獄はありません。
私たち人間は、実際人間を救ることが出来ません。
ここで冒頭に戻ります。
こどもが
「勉強をしても良い成績がとれない、スポーツをしてもうまくできない、クラスメイトから馬鹿にされて毎日生きていることが辛い、自殺したい」
と相談してきても「こどもが納得する答え」を与えることはできません。
せいぜい、「頑張って生きていればそのうちいいことがある。お前の大好きなマクドナルド食べに行って、そんなことは忘れろ」
程度でしか説得できないのです。
「嫌がらせしてくるやつがいる、いつも馬鹿にしてくるやつがいる。殺してやりたい。」
「殺したいくらい憎いやつがいる。どうすればいい?」
と相談されたらどうしますか?
「神様のために頑張れ」「神様のために、憎い奴らを赦せ」
これでいいのです。
心に罪があるから、いじめられるのです。
「プライド、臆病、悪口、不遜、怠惰、欲望、、、、」
そして罪があるから、イジメっ子が実際よりも巨大な存在に思えてしまい、イジメられても言い返せないのです。
ダビデがゴリアテを石ころ一つで倒しました。
<少年ダビデと巨人ゴリアテ>
ゴリアテは神を冒涜しました。そしてイスラエル民族を馬鹿にしました。
神は怒り、ダビデを使って、石ころを急所に命中させました。
石ころが急所に命中したゴリアテは失神し、ダビデに首を掻き切られてしまいます。
単なる、羊飼いの少年が、2メートル以上もある兵隊の隊長を石ころ一つで倒してしまったのです。
私たちが「自殺したくなったり、相手を殺したくなる」心理には
「世間にはかなわない、あいつには敵わない」という先入観があるため、自分の中で限界を作り、八方塞がりになってしまうため、
「相手を殺すか、自分が死ぬしか楽になる方法はない」
と思ってしまうのです。
世の中では「年収が多い人、高級車に乗っている人、豪邸に住んで、毎日贅沢している人が偉い」のです。
会社にいったら「役職が上の立場が上の人間が偉い」のです。
学校では「先生がえらい」「先生に認められている勉強ができてスポーツができるやつが偉い」のです。
お寺や教会では「その組織で役職についている人が偉い」のです。
「出世するために努力して役職を手にし、コネを使って権力を手にした人が偉い」のが世の中の価値観でしかありません。
しかし、神様の前では、「より善良に生きた人、より多くの人を神様に導いた人が偉い」のです。
「他人を蹴落としてまで成功しようとする人」「誰も見ていないからと不正する人」は認められません。
外側でなく、内側「心が評価される社会」なのです。
外側は立派ですが、実は「はりぼて」のようなものが人間なのです。
ですから、自分を大きく見せるために、他人からの評価や誉れを求めるのです。
逆に私たちは、人間をそして物事全体を外見だけで、外側だけでしか判断することしかできません。
その外側は、「情報や風評で武装されており、実際よりも巨大に見えてしまう」のです。
<メイクテクニック①>
<メイクテクニック②>
彼女たちは「ハリボテ」です。
しかし、これは男性が女性を「中身でみないから」女性が仕方なく外見を装っているだけなのです。
女性としても「外見がいいほうが得する」と知っているからであり、男性はそれこそ女性を「性的対象としか見ていない」からに他ありません。
私たちの心など隠せていると思ったら大間違いで
「隠れているもので露にならないものは何もない」
というくらい、実は外見に心の中見が現れてしまっています。
しかし、私たちは、普段から「中身を見るように」育っていませんし、「中身で評価できる人」が教育者でいませんでした。
体裁ばかり外見ばかり、世間体ばかりを気にして生きている大人に囲まれて育ってきたため、「中身を見る方法」を知らずに生きてきてしまったのです。
ですから、外見ばかりの人間を見て必要以上に巨大に感じてしまうのです。
ですから、若い人達は、こういったチンピラみたいな輩を見ると、コンプレックスを感じたり、逆に異性に人気があるからという理由で彼らの身なりやふるまいを真似しようとします。
彼らは偉そうに振舞っていますが、嘘で固められた人たちで、テレビやレコード会社の力がなければ、その辺にいる祭りになるとやたらと元気になるヤンキーと同じです。
<木更津やっさいもっさい踊り大会で、エネルギーを貰う! | キタコレ!>
しかし、彼らをメディアが祀り上げるため、世の中の女性が単なるヤンキーを価値あるものと錯覚してキャーキャー騒ぎたてるのです。
私たちはいかに「ハリボテ」を信じ込ませられており、外見ばかり気にして生きてきたか?わかると思います。
逆にこのことに気付かずに人生を生きてきた人の中身、つまり「心」は「0歳児である」ということなのです。
ボランティア活動をしている人が偉いわけではありません。
ボランティア活動をしている人たちは「自尊心を満たすために」やっているだけなのです。
つまり「必要とされたいからやっている」だけなのです。
ですから、いかに「利他の心」を持とうが、動機が違ってますから「偽善事業」にしかすぎません。
私たちの人生100年は、こういった偽善を止めて、「心を育てるため」に与えられているのです。
決して、金儲けして、豪邸に住んで、外車を乗り回して、異性と快楽享楽に耽り堕落していくために生きるために100年が与えられたわけではありません。
そのことを理解して、もう一度
「なぜ人を殺してはいけないのでしょうか?」「なぜ自殺をしてはいけないのでしょうか?」
という問いに対する答えを考えてみてください。
解答がみつかるはずです。
人生において、子供は体の成長、大人は「心の成長」をし続けるのです。
心が成長しれば「ハリボテ」が見えてくるでしょう。
私たちは自分の目の中の丸太には気付かないくせに、他人の目の中のおがくずはすぐに指摘するのです。
まずは、自分のハリボテを取り外しましょう。
そうすれば、世間のハリボテのトリック見破れるはずですから、子供たちの悩みも大きな気持ちで受け止められるはずです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます