心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

「離婚は高くつく。持ち物を本当に分割したい?」有害図書で溢れる世の中をどう生きるのか?

2018年09月28日 | 子育て論

アメリカの小説家の女性が夫を殺す報道がありました。

夫を殺したいという衝動を抑えられなかったようです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・(「夫を殺す方法」執筆の米女性小説家、夫殺害容疑で逮捕 2018年9月15日 17時59分 CNN.co.jp)

<ナンシー・クランプトンブロフィー容疑者/Multnomah County Sheriff / Portland PD>

(CNN) 「夫を殺す方法」の随筆を発表したことがある米オレゴン州居住の女性小説家が自らの夫を殺害した容疑で逮捕されたことが15日までにわかった。

同州の巡回裁判所に提出された刑事訴状で判明したもので、小説家のナンシー・クランプトンブロフィー容疑者(68)は殺人や武器の違法使用の罪に問われている。

27年間の結婚生活を送ってきた容疑者の夫(当時63歳)の射殺された遺体は今年6月、勤務先のオレゴン州の料理団体で発見され、容疑者は3カ月後に逮捕されていた。

同州ポートランドの警察当局は、捜査で得た情報により、女性小説家を容疑者と断定。ただ、刑事訴状や警察の声明では犯行の動機に触れていなかった。

ロマンスも織り込んだサスペンス小説を手掛けるナンシー・クランプトンブロフィー容疑者は2011年、「夫を殺す方法」の随筆をブログ上で発表。この随筆では、小説家として「殺人や犯行後の警察の捜査の進行などについて長い間、考えをめぐらせてきた」と書き出していた。

地元紙「オレゴニアン」はこの随筆の中身は夫殺害に関する賛否を詳述する2節にわかれていると伝えた。同容疑者はこの中で「離婚は高くつく。持ち物を本当に分割したい?」などと書いていた。

容疑者はこれまで数多くの書物を著し、テーマは殺人未遂、背信、犯罪や放蕩(ほうとう)生活などだった。

容疑者は自らのサイトに載せた経歴で「小説家はうそつき。誰がそう言ったかは忘れたが、それは真実ではない」「小説を書く上であなたは長い間忘れ去り、もしくは意図的に埋もれたままにしておいたあなた自身の人生の部分を深く掘り下げ、暴くことになる。そうだとしても、時にはその結末を変えた方が賢明なこともある」とつづっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「容疑者はこれまで数多くの書物を著し、テーマは殺人未遂、背信、犯罪や放蕩(ほうとう)生活などだった」

とあるように、 文学作品を書くのが小説家なのですが、残念ながら、この被疑者のような、人間の堕落した闇の部分ばかり描写することを小説だと考える風潮があります。

実際、芥川龍之介や太宰治の作品を読むと、生きていく気がわいてきません。

そして絶望的な気持ちになってしまいます。

おそらく、有名小説家も悪魔に乗り移られてそのような否定的で堕落した思考回路に陥っているためそのような作品しか書けないのかもしれません。

まして、心理描写が上手いのが小説家なのですから、社会に与える悪影響は計り知れません。

日本では近親相姦やマザコン作品の「源氏物語」を古典の代表作として中学、高校教科書に載っています。

しかし、その内容は、男女の色恋ばかりで性欲まみれの内容です。

「性的にだらしなかった日本文化を象徴している」

ような作品にしか思えません。

・・・・・・・・・・・・・・・(源氏物語など…古典から学ぶ、エロのあはれ。)

私たちが古文の授業で習っていた古典文学は、実は「エロネタの宝庫」だったということはご存知ですか?猟奇的なエロからツッコミどころ満載の変態エピソードまで、奥深い「エロ古典文学」の世界をご紹介!


「古典文学」といえば、「高校生の時に授業で読んだけど、別に面白くなかった」と苦手意識を持つ方も多いのではないでしょうか。確かに、ややこしい古文単語を必死に覚え、考え方も価値観も異なる時代の文章をなんとなく読んでいるだけではイメージが掴めません。

しかし、そんな日本の古典文学は実はエロの宝庫。驚くべきことに、現代まで読み継がれてきた古典文学の多くには、教科書には本来とても載せられないような刺激的な内容が、ぎっしり詰まっているのです。今回はそんな「実はエロの宝庫だった」古典文学から、複数のエピソードを抜粋し、ご紹介します。

 

はっきりと描写しないことで、読者に女性の容姿や行為そのものを想像させる『源氏物語』。

誰もが高校の授業で一度は読んだであろう、『源氏物語』。

全54帖に及ぶ『源氏物語』を一言で表すと、美貌と才能に恵まれた主人公、光源氏が複数人の女性と関係を持ちながら出世していく物語です。

そんな『源氏物語』の大きな特徴は、直接には性的な描写をしていない点にあります。それどころか、登場人物のほとんどは、はっきりとした身体描写すらもされていません。だからこそ、限定された情報を通じて読者に女性の体つきから行為そのものまでを想像させるエロさが生じているのです。

しかし、第三帖にあたる「空蝉」うつせみには、女性の容姿についてはっきりと描写がされています。一夜を共にしながらも、光源氏につれない態度をとる女性、空蝉。思いを募らせた光源氏は、義理の娘である軒端萩のきばのおぎと碁を打つ空蝉の姿を垣間見ます。

白き羅うすものの単襲ひとえがさね、二藍ふたあいの、小袿こうちきだつものないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげにつぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭つき額つきものあざやかに、まみ、口つきいと愛敬づき、はなやかなる容貌なり。

<現代語訳>
白い薄衣の単衣襲に淡い藍色の小袿のようなものを引きかけて、紅い袴の結び目のところまで着物の襟をはだけさせていたため、胸が丸見えだった。はっきり言ってしまえば、かなり行儀は良くない。とても色白であり、ふっくらとした体型で頭の形と顔つきは美しい。目つきや口元には愛嬌があり、派手な顔といえる。

初めて姿を目にした軒端萩について光源氏は生々しいまでに描写する一方で、肝心の空蝉は「どちらかといえば醜い方の顔」と控えめです。ここから見えてくるのは、「本当に抱きたい女性であればあるほど描写が少なく、逆にそれほど興味がない女性は描写が多い」ということでしょう。しかし、空蝉の場合は「とにかく関係を持ちたい!それも今すぐ!」という光源氏の思いが先走った結果、まじまじと見るよりも先に行為に及んでいるのです。

たくましい想像を誘うような描写があれば、生々しい身体描写もあり……どちらに転んでもエロ展開になる『源氏物語』を高校の授業で題材にしていた点は、何よりも驚きですね。

 

『日本霊異記』から見える、ファンタジー/オカルト、エロ/グロの合わせ技。


日本最古の仏教説話集である『日本霊異記』にほんりょういき。説話集と聞くと説教くさいものばかりだと思われるかもしれませんが、実際に読んでみると、どこか現代のファンタジーやオカルト作品にも似たそのストーリー展開に驚くことでしょう。自分の行いはやがて自分に返るという「因果応報」の理が中心となっている『日本霊異記』は、転生をめぐる人知を超えた展開がふんだんに盛り込まれているため、「異世界転生もの」がジャンルとして隆盛している現代のラノベやアニメに親しんだ読者であれば、抵抗感なく読めること間違いなしです。

なかでも、中巻、第三十三話の「女人の悪鬼に点けがされて食噉くらはれし縁」は、生々しいまでの性的な描写とグロテスクな描写が特徴です。

容姿に恵まれた万子よろずのこは、裕福な家の一人娘。あらゆる結婚の申し出を断り続けていた万子は、“生娘”でもありました。

しかしある日、車三台分に渡る美しい絹布の贈り物をしてきた男に万子は強い魅力を感じます。その男と万子はついに結婚し、同衾どうきんを許した夜、事件は起こります。

其の夜閨の内に、音こえ有りて言はく、「痛や」といふこと三遍みたびなり。父母聞きて、相談かたらひて曰はく、「未だ効ならはずして痛むなり」といひて、忍びて猶し寐いぬ。明くる日晩く起き、家母戸を叩きて、驚かし喚べども答へず。怪しびて開きみれば、唯頭と一つの指とを遺し、自余皆噉ほかみなくらはる。

<現代語訳>
その夜、寝室の中から「痛い!痛い!」という叫びが三度ほど聞こえた。両親はこの叫びを聞いたものの、「まだ慣れていないから、痛いんだろう」と話し合って納得したためにそのまま寝入ってしまった。翌日、いつまで経っても娘夫婦が起きてこないので、母が寝室の戸を叩いて起こしたが、返事が返ってこない。不審に思って戸を開けてみると、そこには娘の頭部と一本の指だけがぽつんと残っている。その他の部分は食べられ、跡形もない。

なんとも猟奇的なエロ描写。両親が寝室に入る頃には、万子に贈られた絹布は獣の骨に、車はただの木に変わり果てていました。ある者はこれを「神が起こした出来事だ」と言い、別の者は「鬼が食ったんだ」と言います。それに対して「よくよく考えてみれば、やはり前世の仇だったのでしょう」、と締めくくるのがこのエピソードの「オチ」に相当する部分です。

娘の悲鳴を適当に聞き流し、眠ってしまった両親。それから母が翌日見た光景は凄惨たるものでした。それにしても、「唯頭と一つの指とを遺し、自余皆噉はる。」という状況説明はかなりグロテスクですが、両親が「未だ効はずして痛むなり」と決めつけた理由は、なんだか生々しい想像を誘いますよね。

 

神の象徴である蛇がもたらすものとは。『今昔物語集』


大半の物語が「今は昔……」という書き出しで始まることからその名がついた『今昔物語集』。この説話集にはどこかエロチックな「蛇」が登場する説話が複数収められています。

例えば第二十九巻、第四十話「蛇僧の昼寝のまらを見て呑み婬いんを受けて死ぬる事」は、尊い存在の僧が卑しい蛇によって酷い目に遭う話です。

ある高僧のもとに仕えている若い僧は、妻子ある身でした。夏の昼間、部屋の隅でぐっすりと眠り込んでいた僧はある夢を見ます。

吉よく寝入にけるに、驚かす人も無かりければ、久く寝たりける夢に、美き女の若きが傍に来たると臥して、吉々よくよく婚とつぎて婬を行ぎょうじつ、と見て、急と驚き覚たるに、傍を見れば、五尺許ばかりの蛇有り。愕おびえてかさと起て見れば、蛇死て口を開て有り。奇異く恐しくて、我が前を見れば、婬を行じて湿たり。「然は、我れは寝たりつるに美き女と婚とつぐと見つるは、此の蛇と婚けるか」と思ふに、物も思えず恐しくて、蛇の開たる口を見れば、婬、口に有て吐出したり。

<現代語訳>
夢で僧は傍に寄り添ってきた若く美しい女と添い寝し、性行為に及んで射精した。はっと目が覚めた僧の傍には、およそ5尺(150センチメートル)もある蛇が口を開けたまま死んでいた。驚き呆れながら僧は自分をよく見ると、性行為を終えた後のように湿り気をおびているではないか。「さては、美しい女と交わった夢を見たつもりでいたが、実はこの蛇と交わっていたということか」と思うと、言いようもないほど恐ろしい。蛇の開いた口からは、精液が溢れ出していた。

自分に起こった出来事を恐ろしく思った僧は「このことを誰かに話すべきか」と思い悩むものの、「あいつは蛇と交わった僧だ」と後ろ指をさされるかもしれない、と冷静になるのでした。とはいえあまりに奇怪であったため、特別親しい間柄だった僧に話して聞かせたところ、聞いた相手も大層驚きます。

然れば、人離れたらむ所にて、独り昼寝は為べからず。然れども此の僧、其の後別の事無かりけり。「畜生は人の婬を受けつければ、否堪へで必ず死ぬ」と云ふは実也けり。僧も憶病に、暫は病付たる様にてぞ有ける。此の事は、其の語り聞せける僧の語けるを聞たる者の、此く語り伝へたるとや。

<現代語訳>
このようなことだから、人気のないところで昼寝なんかするものじゃない。「畜生は人間の精液を飲むと、堪えきれずに必ず死ぬ」というのは、事実だったのだ。僧はこの後、特に命に別条はなかったものの、神経を病んでしばらくは病人のようだった。このことは本人より打ち明けられた僧の話を聞いた人によって語り継がれている。

目が覚めてみれば隣で150センチメートルほどの蛇が死んでいた、更に蛇の口から精液が流れ出ているという状況はかなり衝撃的です。それにしても、特別親しかった友人が広めた結果、こんな話が今に語り継がれているなんて、本当に隠すべき話は墓まで持っていくべきだと分かりますね。

この他にも『今昔物語』には「蛇に欲情された女性を男が助ける話」、「蛇に犯されて一度は薬で助かるものの、前世の因縁だから仕方ないと二度目は諦められる話」などがあります。

奈良県の大神おおみわ神社など、日本の一部の神社は蛇を神格化して祀っています。それは大河を思わせる姿から水を、男根を思わせる姿から豊穣をもたらすとされていたためです。こういった背景を知っていると、仏教説話集である『今昔物語集』に蛇が多く登場することも納得できますね。

 

あの芥川も作品のモチーフに使った『宇治拾遺物語』。天下無敵のモテ男を待ち受けていた、まさかの結末。


芥川龍之介は『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』を短編小説の題材として取り入れていたことで知られています。その短編小説といえば「鼻」や「芋粥」が有名ですが、「好色」という作品の元となった「平貞文、本院侍従の事」(『宇治拾遺物語』巻三十の一)、「平定文本院の侍従に仮借する物語」(『今昔物語集』巻三の十八)はもはや「エロ」というより、「狂気」に満ちている迷作として知られています。

この話の主人公、兵衛佐平定文ひょうえのすけたいらのさだふみは通称を平中といい、見た目も美しく、教養もある人物でした。そんな平中に言い寄る女性は多いなか、若い女房の侍従君じじゅうのきみは平中になびきません。やがて平中は侍従の家にまで押しかけますが、冷たくあしらわれるばかり。「もういっその事、嫌いになってしまいたい」と思った平中はとんでもない行動に出ます。

「この人かくめでたくをかしくとも、箱にし入れらむ物は我等と同じやうにこそあらめ、それをかいすさびなどして見てば、思ひ疎まれなむ」

<現代語訳>
どんなに素晴らしく、また美しい人でも、さすがに我々と同じように糞尿はするものだ。便器を奪い取って見てみれば、さすがに嫌になるに違いない。

いくら嫌いになりたいとはいえ、平中の発想は常軌を逸しています。やがて平中は便器を洗いに行く役割の女童から便器を力づくで奪い取ります。いよいよ便器の蓋に手をかけた平中。この場面以降、芥川の「好色」では平中の心境や台詞が多く、元ネタを超える勢いが加わっています。

平中は殆ほとんど気違ひのやうに、とうとう筐かたみの蓋を取つた。筐には薄い香色の水が、たつぷり半分程はひつた中に、これは濃い香色の物が、二つ三つ底へ沈んでゐる。と思ふと夢のやうに、丁子ちやうじの匂が鼻を打つた。これが侍従の糞であらうか? いや、吉祥天女にしてもこんな糞はする筈がない。平中は眉をひそめながら、一番上に浮いてゐた、二寸程の物をつまみ上げた。さうして髭にも触れる位、何度も匂を嗅ぎ直して見た。匂は確かに紛まぎれもない、飛び切りの沈ぢんの匂である。
「これはどうだ! この水もやはり匂ふやうだが、――」
平中は筐を傾けながら、そつと水を啜つて見た。水も丁子ちやうじを煮返した、上澄みの汁に相違ない。
「するとこいつも香木かな?」
平中は今つまみ上げた、二寸程の物を噛みしめて見た。すると歯にも透とほる位、苦味の交つた甘さがある。その上彼の口の中には、急たちまち橘の花よりも涼しい、微妙な匂が一ぱいになつた。

芥川龍之介「好色」より

便器の中のものが芳しい香りを放っている……?そんな事態を不思議に思った平中がそれを口にして確かめると、それは香木の細工でした。なんと侍従君は平中の企みをあっさり見破り、あらかじめ香木で作った糞尿を便器に入れておいたのです。

この後、「好色」での平中は「侍従!お前は平中を殺したぞ!」と呻き失神。そのまま死んでしまったようにも受け取れる描写を残して物語は幕を閉じます。

かなりモテた平中が思いを寄せた相手にしてやられたうえ、ピエロと化す……フェティシズムを拗こじらせた結果がとんでもない事態になったなんて、もうどこからツッコミを入れたら良いのか分かりません。この他にも古典文学を元に創作をした芥川ですが、このどうしようもない平中を魅力に感じて「好色」を執筆したのかもしれませんね。

 

おわりに
暗記事項ばかりでつまらなかったというイメージが持たれがちな古典文学ですが、フタを開けてみれば「エロの玉手箱」だったなんて、学校の授業だけではあまり知ることができないことも事実です。

2015年には春画が再ブームを起こすなど、古代や近世の日本のエロ文化が近年再びホットな話題になりつつあります。それらのイメージをよくよく観察してみれば、現代日本が誇るアニメや漫画、ゲームといった領域の「エロ描写」にも、歴史的なつながりを見出せるかもしれませんね。

エロ描写が満載の古典文学の世界。勉強としてではなく、楽しむ目的をもって読んでみれば、新たな発見に出会えるかもしれませんよ。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

芥川龍之介は「糞便志向」まで小説で堂々と描写しているのです。

何が面白いのでしょうか?

ただただ気持ち悪いの一言です。

私たちは知らぬ間にこのような悪質な文学作品にさらされ、これらを文学として刷り込まれてしまっています。

本当の文学とは、読んだ後に心が晴れやかになり、頑張って生きていこうと前向きになるような作品ではないでしょうか?

読んだ後、頭がすっきりしない、変な考えが浮かんでくるのは文学作品ではなく「ピカレスク小説」です。

私たちはホラー作品や性的な作品からは遠ざかった生き方をしたほうが、精神衛生上良さそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・(ホラー映画は体に悪い? 心臓専門医に聞いてみた 「ヘレディタリー」のようなホラー映画は、神経系にさまざまな影響を及ぼす可能性がある。しかし、恐怖によって健康被害を受けることはあるのだろうか? 2018/06/30 20:00)


怖い映画を見ているとき、心臓がバクバクした経験は誰しもあるはず。映画の恐怖が増すほど、体の反応も大きくなる。


おそらくほとんどの人が、ソファーから飛び上がり、大人になるまでたびたび脳裏に浮かんできたホラー映画やシーンを覚えているはずだ。

少女がテレビから這って出てきた映画「リング」の一場面かもしれないし、エイリアンが迷路のようなトウモロコシ畑を走る映画「サイン」のワンシーンかもしれない。筆者のように、「JAWS/ジョーズ」のサメが怖かった人もいるだろう。

私たちは怖い映画を見るとなぜか、悲鳴を上げ、パニックに陥り、冷や汗をかく。自分の身に危険が迫っているわけではないとわかっているにも関わらずだ。これに快感を覚える人もいれば、全力で回避する人もいる。

2018年公開のホラー映画「ヘレディタリー」の制作者たちは、この理論を証明するため、観客に「Apple Watch」を渡し、上映中の心拍数を測定してもらった。

見てください。ヘレディタリーが始まったときと、あのシーンの心拍数です。

ヘレディタリーは、ある家族の悲劇を描いた暗く奇妙な物語で、近年で最も心をかき乱すホラー映画のひとつとして早くも絶賛されている。

簡単に言えば、この映画を見た者は正気ではいられない。その結果、この映画を見ることは、ある種の挑戦となっている。具体的には「心拍数の挑戦」だ。

配給会社のA24は、全米の映画館で観客にApple Watchを渡し、ヘルストラッカー・アプリで心拍数を記録してもらうという実験を行った。このPR戦略は功を奏し、観客たちは毎分140、157、164(BPM)といった心拍数をたたき出した。

これらの数字は大人にしては高い(後で詳しく説明する)。

つまり、アドレナリンジャンキーにおすすめの映画ということだ。

Apple Watch、Fitbitなどのモニター機器は100%正確ではない。つまり、科学は完璧ではない。しかし、A24の「心拍数チャレンジ」は間違いなく、怖い映画は私たちの体に本物の変化をもたらし得るということを思い出させてくれた。

 

それにしても、厳密に言うと、怖い映画は心臓と体にどれくらい影響を及ぼすのだろう? また、健康上のリスクはあるのだろうか?


BuzzFeed Newsはメイヨー・クリニックのアリゾナ州フェニックス支部で働く心臓専門医ヘジス・フェルナンデス博士に取材を申し込み、怖い映画を見ているときに体で起きていることを尋ねてみた。

怖い映画は、体の「闘争逃走」反応を誘発し、心拍数や血圧を上昇させる可能性がある。


「闘争逃走」反応は、人間と動物の両方が進化によって獲得した、生存のための反応だ。

私たちが危険にさらされたとき、あるいは脅威を感じたとき、素早く戦う、あるいは逃げるエネルギーを確保するために、この反応が起きる。フェルナンデス博士はBuzzFeed Newsの取材に対し、

「この反応は不安によって引き起こされることもあります。つまり、実際に危険が存在しなくても、存在するような気持ちになったときということです」

と説明した。

私たちが危険におびえるとき、体は脳の扁桃体に警告を発する。

扁桃体は情緒反応をつかさどる部位で、視床下部にメッセージを伝達し、視床下部が体にアドレナリンの放出を命じる。

アドレナリンは、闘争逃走反応の一部を調節するホルモンだ。

その結果、交感神経系が活性化し、心拍数や血圧、筋肉の血流が上昇する。「基本的には、体に運動の準備をさせているということです」とフェルナンデス博士は話す。軽く汗をかいたり、呼吸が速くなったりする人もいるだろう。

「とても基本的な反応です。つまり、本能的なものであり制御できないということです」。怖い映画を見ると、私たちの脳はだまされ、スクリーン上で展開されている危険な状況を現実の脅威と勘違いしてしまう。そのため、たとえ家のソファーや映画館の座席にいて安全だとわかっていても、「エルム街の悪夢」でかぎ爪をはめたフレディ・クルーガーが現れると、やはり体は反応してしまう。

 

一般的に、怖い映画を見たときの心拍数上昇は、軽~中度の運動をしたときの心拍数上昇と同等だ。

 

健康な成人の場合、安静時の心拍数は通常60~100BPMに収まる。

一方、ヘレディタリーの実験では、140~160BPMを記録した。

大幅な上昇ではあるが、ほとんどの成人では正常の範囲内だ。(※持続する頻脈は正常ではありませんよ)

「映画を見ても、軽~中度の運動レベル以上に心拍数が上昇することはないでしょう。具体的には、最大心拍数の70~85%程度です」とフェルナンデス博士は説明する。

最大心拍数とは、220から年齢を引いた数字で、運動中の心拍数の上限とされている。つまり、30歳の場合、最大心拍数は190BPMであり、怖い映画を見ると、130~160BPMまで上昇すると予想される。

もちろん、恐怖の度合いは人によって異なるため、あまり心拍数が上昇しない人もいるだろう。

また、年齢や安静時の心拍数、健康状態にも左右される。

「心拍数はとても個人的なものです。同じ150BPMでも、その意味合いは人によって大きく異なります」とフェルナンデス博士は話す。つまり、164BPMが「高過ぎる」かどうかは人によるということだ。

ひとつ断わっておくと、怖い映画を見れば運動したのと同じ、というわけではない(そうかも、と考えていた人もいると思うが)。

確かに、筋肉は緊張し、収縮するかもしれない。


怖い映画を見ているとき、手足がこわばったり、ボールのように体を丸めたり、拳が真っ白になるほど強くアームレストや毛布を握ったりしていることに気づいた経験はないだろうか?

筋肉の緊張も、脅威を感じたときの反応のひとつだ。「恐怖が筋肉を緊張・収縮させることはあります。筋肉が反応の準備をしているのです」とフェルナンデス博士は説明する。

怖いシーンが近づいていることを知っているとき、恐怖感や迫り来る脅威を認識しているとき、筋肉はこわばり、解放されるまでその状態が続く。息を止めてしまうこともあるだろう。「怖いシーンが終わると、筋肉は再びリラックスします」とフェルナンデス博士は話す。こうした筋肉の収縮と弛緩(しかん)によって、映画が終わるころには疲れ切っているかもしれない。

 

つまり、圧倒的多数の人にとって、怖い映画を見たときに起きる体の変化は決して健康に悪くないということだ。


「エクソシスト」のようなホラー映画を見た人が、心臓発作を起こしたり、気を失ったりしたという逸話を聞いたことがある人もいるだろう。フェルナンデス博士によれば、心疾患を抱えている人なら理論的にあり得るが、そのような可能性は極めて低い。映画による「恐怖で死ぬ」という科学的証拠は存在しないそうだ。

ただし、心疾患や持病のある人は、一定以上の心拍数上昇を避けなければならない。怖い映画だけでなく運動やセックス(そう、セックスだ)も同様だ。「心拍数や血圧の上昇に耐えられない傾向がある場合、当然、闘争逃走反応は健康に悪い可能性があります」とフェルナンデス博士は警告する。

とはいえ、これらの人も、軽~中度の運動には耐えられることが多いと、フェルナンデス博士は言い添えている。上述のとおり、軽~中度の運動の心拍数上昇は、怖い映画と同程度だ。もし本当に怖い映画を見たときの心臓が心配であれば、担当の心臓専門医かかかりつけ医に相談してみるといい。

つまり、ほとんどの人にとって、怖い映画を見たときの心拍数や血圧の上昇は問題ではないということだ。映画が終われば、何ごともなかったかのように、体は正常に戻るだろう。

ただし、ホラー映画の心理的な影響については…全く別の話だ。
怖い映画が「悪夢の燃料」と呼ばれるのには、それだけの理由がある。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

ホラー映画以外にもポルノ作品、アダルトビデオも見続ければ心臓にそして脳にもダメージを与えます。

ホラー映画による頻脈は、アドレスによるもの、つまり自律神経の交感神経優位によるものだそうですが、アドレナリンほど体に負担をかけるものはありません。

こんな話もあります。

・・・・・・・・・・・・・・・(【驚愕】人間のはきだす息を使って、実験をした結果が凄い。出典:http://content.mery.jp/)

アメリカの心理学者エルマ・ゲイツ博士は人間のはきだす息を使って、つぎのような実験をした。

 

人間がはきだす息を冷却したガラス管に集め、液体空気で冷やしてやると沈殿物ができるのだが、人間の感情の状態によって、おどろくべきことが起こるのである。

○健全な人間のはきだす息は無色である。

○人間が怒っているときの息の沈殿物の色は栗色をしている。

○悲しんだり、苦しんでいるときの息の沈殿物は灰色をしている。

○人間が後悔して苦しんでいるときの息の沈殿物は淡紅色をしている。

博士は、栗色の沈殿物を水に溶かしネズミに注射したところ、わずか数分でネズミは死んでしまった。

もし一人の人間が一時間、腹を立て続けると、なんと80人の人間を殺すことが可能な毒物が発生するという。

また、私たちの血液は、

○怒ると黒褐色で渋くなる。

○悲しむと茶褐色で苦くなる。

○恐れると紫色で酸っぱくなる。

といわれている。

いつも、ニコニコしている人が健康であることが理解できる。

まさに「笑う門には福きたる」である。

私たちが、怒り、悲しみ、苦しむことはすこしでもなくしたいものである。

それは、周囲の人に迷惑をかけるばかりでなく、自分自身を傷つけることになる。

いつもいらいらしている人が体の具合を悪くすることも、病気になることもうなずける。

私たちは酸素を吸いこんで生きている。

その酸素が全身にくまなく流れていくのだが、自らつくった悪い酸素が体中にいきわたるのだから恐ろしい。

また酸素との関連や、自らつくった化学物質が血液の色や構成まで変えてしまう。

それによって身も心も傷ついていく。

自分で原因をつくって自分が損をする。

まこと、世の中は健康をつくるのも自分、病気をつくるのも自分である。

さらに周囲を暗くしたり、明るくしたりするのも自分である。

引用:『眼からウロコが落ちる本』PHP文庫

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

マウスの実験ですが、私たちの体は、実は敏感にできているように思えます。

「空気が重い」などという言葉がありますが、不満不安が強い人、ネガティブな人が一緒にいると、場の空気は確かに重くなります。

こういったホラー映画、ホラー小説などの類は脳にも体にも悪影響を及ぼす可能性が高いということが言えます。

子供たちにこういったものを見せることは極力控えるべきだと考えられます。

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