韓国ドラマ「チャングムの誓い」を時々見ている。
勧善懲悪で”良いもん”と”悪もん”がハッキリしている。しかし、時代劇の上流社会の中で優秀で勇気があり、明るく、そして寛大さも持ち合わせた人間を理想像として描いている。それは、今日の韓国で理想とされる人間像なのだろう。それに比べて、日本のドラマは何を描いているだろうか?ドジだが明るいキャラクター、落ちこぼれが特技を足がかりに頑張れる人になる話・・などばかりが目につき、エリートは常に冷たい堅物で歪んだキャラクターに設定されている。これでは誰も優秀でしかも性格的にも優れた人間像を目指さなくなる。勿論、”完璧な人間”などありえないが、少なくとも目標とする社会であるべきと思うが、どうだろう?
今TVを付けると軽妙に即応対できる弁護士らしくないタレント、経済学者らしくないタレント、医者らしくないタレント、教師らしくないタレント・・のオンパレード。意外性のある”面白い応え”を瞬時にできる事が”タレント”とされ、もてはやされる。”意外性””らしくない”が価値観を持ち、社会を壊していないだろうか?古い価値観に戻るべきと云いたいのではない。”意外性”の価値は信頼できる”本来の姿”の存在が不可欠だという事。そして”良い理想””理念”が安全で良い社会の基礎だという事を忘れてはいけないと思う。
勧善懲悪で”良いもん”と”悪もん”がハッキリしている。しかし、時代劇の上流社会の中で優秀で勇気があり、明るく、そして寛大さも持ち合わせた人間を理想像として描いている。それは、今日の韓国で理想とされる人間像なのだろう。それに比べて、日本のドラマは何を描いているだろうか?ドジだが明るいキャラクター、落ちこぼれが特技を足がかりに頑張れる人になる話・・などばかりが目につき、エリートは常に冷たい堅物で歪んだキャラクターに設定されている。これでは誰も優秀でしかも性格的にも優れた人間像を目指さなくなる。勿論、”完璧な人間”などありえないが、少なくとも目標とする社会であるべきと思うが、どうだろう?
今TVを付けると軽妙に即応対できる弁護士らしくないタレント、経済学者らしくないタレント、医者らしくないタレント、教師らしくないタレント・・のオンパレード。意外性のある”面白い応え”を瞬時にできる事が”タレント”とされ、もてはやされる。”意外性””らしくない”が価値観を持ち、社会を壊していないだろうか?古い価値観に戻るべきと云いたいのではない。”意外性”の価値は信頼できる”本来の姿”の存在が不可欠だという事。そして”良い理想””理念”が安全で良い社会の基礎だという事を忘れてはいけないと思う。