室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

“なかのゼロ”終わって

2009-09-12 13:54:25 | Weblog
昨日は、なかのゼロ《東京室内管弦楽団 with 加藤登紀子》の本番でした。

いらして下さった皆さま、本当にありがとうございました。

指揮は菅野宏一郎さん。
前半の前半、ヨハン・シュトラウスのワルツ2曲とポルカ2曲は、ピアノは免除となりました。

菅野さんは、ウラニウムのように無限のエネルギーを感じさせながら、ナイーブさも持ち合わせ、自己顕示的な部分を感じさせない、希有な存在です。だから、伸び伸びと好きなように引っ張って行かれても、「まあ、彼がそうやりたいなら、やったげましょ」とオケに思わせる能力に長けています。(・・と私は思っています)

昨日のシュトラウスも、伸び伸びさが、決してバランスを失うことなく、面白かったです。“レモンの花咲くころ”は、一寸時間切れだったかなー。あと、“雷鳴と稲妻”は、普段《いわくぼバージョン》に慣れ親しんでいる耳にとっては、雷の数が足りず、やや“遠雷”の感がありましたが、菅野さんにとっては、《いわくぼバージョン》が耳に慣れず、相容れず・・だったんでしょうね。
昨日は、“美しく青きドナウ”をフルバージョンでやったくらいなので、オリジナルに近い方でバランスが取れていたのかもしれません。

さて続いては、ピアノ・フィーチャー三連発。
ゲネプロ(本番直前のランスルー・リハーサル)の時に、ピアノの位置はステージ上手(客席から見て右手)の奧にあったのですが、加藤登紀子さんとの合わせの前に、コントラバスや、コンマスや、色んな方からの進言があって、ピアノの位置を客席に近い前方に動かしました。それに伴い、PA関係もこぞってずらされ、コントラバス群が後方に移動になりました。

従って、後半プログラムはその位置で音を出していたのですが、前半のピアノ・フィーチャー・コーナーは、ゲネプロと全く違う位置での本番となりました。そうでなくても神経の大半は後半プログラムの重責の方に行きがちなのですが、前半のソロだって、プログラムの中ではなかなかの重さですから、最後は「うーん、ままよ!」殆ど声に出るくらいに歌いながら集中して弾きました

もう1曲映画音楽をやって、いよいよ後半は加藤登紀子さんの登場です。
スポットライトを浴びてステージ中央に歩いて来るだけで、目に見えるように音楽の雰囲気が広がります。強烈なファンでなくても、存在感に納得させられるでしょう。常に自然体で、前向き、ひたむきでいて、それをずっと貫き通す潔さが魅力だな、と思います。彼女が獲得した表現方法は、そういう生き方へのご褒美のように思いました。

本番は、前日のリハとも、直前のゲネプロとも違う部分がありましたが、「予定通りでなけれないけない」と、ご本人も指揮者も、私も思わないタイプなので、「それはそれで良し」という内容だったと思いますが、どーだったでしょうね?


一夜明けて、今朝はなんだか背中がばりばりで、どうやら思った以上に昨日は緊張していたのかもしれません。背中にパスを貼りました。亡くなった恩師に「そんな事でどーするの?体を硬くしてはいけないって、いつも言っているでしょう?」と言われそうです。

さて、目下の楽しみは、写真の月下美人。
こんな花の芽が3つ付いています。いつ咲くかなー・・。