室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

さみだれ塚

2009-09-20 21:11:15 | Weblog
さっき『投稿ボタン』を押してアップしたブログは、写真を2枚載せたつもりだったのですが、やっぱし載せられなかったので、芭蕉庵の“さみだれ塚”の写真を別にアップすることにしました。

この石碑に“芭蕉翁の墓”と書いてあり、直ぐ側に札が立っています。その立て札に「さみだれ塚 素堂の弟子馬光が中心となり『五月雨に かくれぬものや 瀬田の橋』の芭蕉の短冊を埋めて墓とした 寛延三年(一七五〇)」と書かれてあります。

ただ、私が読んだ本によると、芭蕉が亡くなったのは1694年なので、1750年はすでに54年経っているなー。そう書いている本は、昭和36年刊行だから1961年、48年前・・。50年くらいって、結構あっという間かなー、と言えたりする今日この頃・・。

早稲田、目白界隈・散策

2009-09-20 16:05:08 | Weblog
周囲の全ての人を愉しい気分にさせる天才、土肥正文画伯のお誘いで、鎌倉の散策の会《鎌倉由比の会》に参加しました。

鎌倉方面の散策の会なのですが、たまたまこの日は年に一度の“都内散策”の日ということで、コースに『芭蕉庵』が含まれているのを見て、松尾芭蕉に興味がある私は、これはくっついて行って見せて頂きたいと思ったのです。

東西線の早稲田駅に集合して、先ずは土肥さんの母校、『早稲田大学』へ。

大隈重信公の銅像の前を通って、広いキャンパスを進み、突き当たりの演劇資料なら何でも揃っているという『演劇博物館』へ。残念ながら連休のせいか、中には入れませんでしたが、16世紀のイギリスの“フォーチュン座”を模して建てられたという大きめのテラス付きの珍しい建造物を拝見しました。屋根や出入り口の上に歯ブラシのようにトゲトゲが付いていて、たぶんネズミ返しなんだろうと思うのですが、それもデザインの一部になっていました。

それから有名な『大隈講堂』へ向かい、一般道を渡って、その向こうにある『大隈庭園』を目指したのですが、門が開かず、ここも連休でお休みだったようです。

でも、お散歩コースはまだまだ始まったばかりで、神田川を渡り、水神社入り口を見てから『関口芭蕉庵』へ。

ここは講談社の所有で、入場は無料。神田上水の改修工事に芭蕉が関わった時に居住した家だそうです。入り口から建物までの赤茶の大きめの飛び石に、何となく芭蕉の印象を見た気がしました。

先ずはお庭を散策。細長いお池を左回りにぐるっと回ります。奧に行くとお隣の工事の音が聞こえ、古池に飛び込むカワズの音を聴く静けさは有りませんでした。お池の反対側から上の方に延びる通路があったので、上へ行ってみたら、「芭蕉の墓」と書かれた石の塔がありました。

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「五月雨に かくれぬものや 瀬田の橋」という句を、弟子の馬光さん等が寛延三年(1750年)に埋めて塚にしたものだそうです。こういう物は、後の人が作った句碑より、歴史の証拠となりますね。「芭蕉は実在の人物だったんだなー」と実感できた気がします。

蚊に刺されながら尚もお庭を端まで歩いて、建物に戻って来ました。
中には常駐の管理する職員の方がいらして、土産物の風車みたいな工作をなさっているようでした。寛延年間当時の古地図や、芭蕉の肖像画集や、いくつかの資料などが置かれていました。奧の部屋は、句会の会場として利用されているそうです。そこで一句。

 芭蕉庵 蚊追い散策 句をひねり


芭蕉庵の前が『胸突坂』 長くはないけれど、かなり急な坂道を上り、『永青文庫』へ行きました。長くなりそうなので、つづく・・・。