人とタイヤとキーパーコーティング!

タイヤ「安全」と車「キレイ」の領域で 岐阜で専門店展開 ありがたいことです!

なぜ働くの? 私の青年時代!

2015年08月30日 | 日記
高卒で車のセールスとして働き始めた時に
その仕事を選んだ動機は 「車」に憧れていたというだけで
セールスという仕事がしたかったわけではなかったけれど
何も出来ないヒヨッコながら なんとなく自由な響きがしたような覚えがあります。

「売り手」として「買い手」のお客様に 
手八丁口八丁のトークで お客様に自動車を買っていただくことが
なんとなく自由があるように感じたのでしょうね。
だから「値引き」というと 車を売るためにお客様との攻防戦のような感じがしたものです。
無恥の成せる考えです。
「売る」という行為を「売りつける」と思い込んでいた幼稚さです。
それでも自動車に憧れがある右肩上がりの時代でしたから
未熟で生意気な若造でも1年半は勤めました。

その頃 最初はスカイラインに乗ってスカイラインを売っていたのですが
友人と車交換して117クーペに乗りながらスカイラインを売り歩く馬鹿者になっていて
営業所の所長に咎められ新車を買えということになりローンを組まされそうになって
仕事をやめたのです。

117クーペといういすゞの車に乗ってスカイラインを売るという
バカな若造から 私の社会人はスタートしました、
仕事より乗りたい車が勝ったわけです。

                                                
乗りたい自動車と仕事と天秤にかけて
自動車を選んだ私は 
当然それまで生活していた寮から飛び出て
住むところを失って友人宅を転々としたりプータロー状態で
収入なし住むところなしです。

しばらくして実家に舞い戻り建設現場のアルバイトを始めましたが
それも長続きしませんでした。
まさにどん底です 
将来の展望もなく 
後先も考えることなく 
仕事もやめて・・・・・・・。



その時閃きがありました。
セールス時代にお客として出入りしていた
穂積町(現 瑞穂市)のカーショップの大将が
同郷の人で 店を拡張する話をされていたのを思い出して
アルバイトでも使ってもらおうと電話して それから下呂から身一つで
押掛けて行ったのです。

これまで全部自分の都合です、若さとは無謀とも友達です。
人の話より自分の都合を優先するワガママを持っています。

しかし 「捨てる神あれば拾う神あり」
押掛けたカーショップの拡張計画は1年後で 
その時には使ってもらうことになり
それまでどこかでアルバイトを・・・・・・。
そのカーショップのお客さんである 
「山ちゃん」こと喫茶カルダンのマスター山田さんの店に拾ってもいらいました。


そうして長屋のような借家を借り 
賄い付きの仕事を得て 
なんとなく先行きに光を薄っすらと感じる新生活が始まりました。
喫茶店のバーテン兼コック見習いの始まりです。

理想はカー用用品店で働くこと 
それまで食う為に仕事を与えてくれたマスター「山ちゃん」は
私にとって恩人の1人です。
まだまだ 人生のドタバタは始まったばかりでしたが
「職を得て働けて住むところがあって飯も食える」ことのありがたさを
身にしみて感じることが出来た「流れ」でした。

1980年 20歳8ヶ月のバカ面です。 35年前の事です。

「切羽詰ると道は拓けてくる」
どん底を味わって掴み取ったものです。
逆に言えば 流れが変わるのはどん底まで落ちないとダメということ。 

後になって 易経という本に「陰極まれば陽転する」と書かれているのを読んで
「本当だ」と妙に納得できました。


未熟な頃 なぜ働くのか?=食うためであったのは事実です。
しかし 無職になり「働かせてもらいたい」と思った頃から
少しづつ成長が始まった気がします。

こちらから頭を下げて「働かせてください」と頼んだからには
一所懸命になって仕事に打ち込まなければなりません。
バイトであってもいきなり軽食を作って出すのですから・・・・。

本当は 高卒で就職した時も
「働かせてもらいたい」と頼んだわけですが(就職試験を受けること)
それが当たり前であると思っていたから 
仕事より車を選ぶという バカをやったわけです。

やはりバカは
どん底を味わわねば
目が覚めないのかもしれません。


その後の人生でこれまで どん底は繰り返しやってきましたが
最初の経験があったので 何とか乗り越えてやってこれたようです。
どん底とは運が開ける夜明け前というのは本当です。


コメント
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