人とタイヤとキーパーコーティング!

タイヤ「安全」と車「キレイ」の領域で 岐阜で専門店展開 ありがたいことです!

ふるさとの秋!

2015年11月12日 | 日記
下呂の実家は高齢の両親が仲良く生活を営んでおられます、
今年の春 度重なる事故で家族の説得に応じて
免許の自主返納をしてくださった父親の通院の為
叔父と私ら子供三人でかわるがわる手助けをさせてもらっていますが
今月は私がその役を引き受けて火曜の晩から帰省してきました。

ニュースで高齢者の事故が報道されるたびに
我が家は父親が自主返納してくださったお陰で
心配事から解放されたことにありがたさがつのります、が
他人事ではありません 家族だけの説得では自主返納を頑なに拒んで
行政と警察おまわりさんの力をお借りして納得してくださったのであり
家族だけでは解決できない問題になっている気がします。
やはり法律を整備して「免許有効期限は75歳まで」なんて
規制を敷いたほうが良い感じがします。・・・・・もちろん私見です。


夜帰省しましたのでわかりませんでしたが
昨日の朝 明るさの中で風景を見ると
それはそれは見事な錦秋です、ふるさとは紅葉の中に埋もれていました。

子供の頃 毎年紅葉の中に居たはずですが
それが当たり前であって取りたて感動した記憶もなく
田舎から出たい気持ちが大きくなったようです。
それから40年以上経って 
秋に帰省してみると 
まるで宝石の中に居るような
うれしさが湧き上がるから不思議です。
                                           


この本に書いてありました、
「苦難があってこそ、それに見合った宝がある。
空腹を知らなければ 満腹の感覚が分からず、暗闇を知らなければ光のことは理解できず、
憎しみが分からなければ、愛の温もりは分からない。」

本当は豊穣の自然から精気をいただいているのに
自然を征服しようと考えに勇ましい価値感を感じて
その象徴たる都会に出た幼き自分でしたが
商売を通じて格闘してみると 
「格闘・競争」という価値感は 
自然ではないということを
おぼろげながら感じ始める年齢に達していました。

人は齢を重ねると子供に帰るといわれますが
生き抜くとか生きようとすると緊張してしまい
逆に流れに委ねるというか 生かされている感じると
リラックスして自然に振舞えて
死さえも受容する事が出来そうになる 
「老いる」とは 死を受け入れていく準備期間なのかもしれません。

わが父が 車に乗ることにこだわり 
ひたすら免許の返還を固辞したのも 
孤独を恐れたからかもしれません。
自力での活動が出来なくなる怖さが 
高齢者の運転を正当化するのですが

家族を中心にみんなで 
免許を手放して孤独の恐怖を手放すと 
逆に家族全員が何らかの手助けを始めて
孤独でない事に父親は感じてくれたようです。

生老病死の四苦は 孤独感とセットになっています。


                                             



資本の論理が強まり効率を優先すると
タイヤ商売は大量に仕入れることで原価を下げて 
大量に売る為に安売りのチラシをばら撒いて
広範囲から多数のお客様を集めます。
「この期間なら取り付けも無料」などと大げさな宣伝をして
購買意欲を煽りに煽ります。
すべて他社との競争に打ち勝つための論理です。
すると取り付けに当るスタッフはアルバイトさんを多用します。
コストの大部分は人件費ですから 
ここは代替可能な安い労働力を求めます。
指示や仕事が機械的になり多量の仕事に嫌気が差します。

この環境で 従業員満足の追求などは絵空事です。
何よりも効率重視は 資本主義の原理主義と化していきます。
その結果 不正が次々に暴かれてきます。
VWので燃費不正 東芝の不正経理  旭化成のくい打ちデータ偽装・・・・・・。

こりゃおかしいです、
効率優先はつじつまを合わせる為に嘘をつきます、
嘘をつくと働く人は心を病みます 良心の呵責に苛まれます。

少なくても我社は効率第一競争原理優先はしません
スモールタイヤ商売は 
優しい対応を目指し喜んでもらうことを第一義にして
その結果利益が与えられる考え
お客様を信じる経営をしたいものです。
27年前小さなタイヤ屋を開いた原点です。



還暦に向かってあと五年まで還ってきて
スモールタイヤ商売はカウセリング商売に価値感を置き始めました。
心の中の孤独を充たす 話を聞く行為がスモールタイヤ商売です。
今まで与えられた経験が示すのはこういうことなのかと
妙に納得できました。
コメント
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