JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)

なんの役にも立たない事を只管シコシコと

映画 「如何なる星の下に」

2007-10-24 | 映画(DVD)
第20回東京国際映画祭
映画が見た東京
~男と女が見る風景~
「如何なる星の下に」 1962年 東京映画 監督:豊田四郎

高見順の小説を読んで、映画にもなっているのなら是非観たいと思っておりました。
高見順の小説では戦前の浅草芸人との交流をお好み焼き屋染太郎を舞台に書かれていましたが映画は昭和30年代後半、染太郎は佃島のおでん屋となっています。
シチュエーションは違えども原作のテーマは絶妙に再現されているように思えました。
何しろ登場人物が多彩で、それぞれが病的なのが凄い。
おでん屋染太郎の長女美佐子(山本富士子)は美貌を持ちながら苦労を一手に引き受けている馬鹿で弱い女の一面を見せる。次女玲子(池内淳子)は歌手志望だが売り出し中の色男五郎(植木等)に捨てられる。この池内淳子がめちゃくちゃ暗い。自殺しちゃうんですが・・・、三女小柳雅子(大空真弓)は可憐なダンサーだが、やっぱり五郎に香港へ売り飛ばされる。


植木等が調子の良い悪役で、お決まりの台詞もところどころさりげなく使ってくれていた。「こりゃ、癪だった。」

インテリ倉橋(池部良)は小柳雅子にご執心だが
「私は愛情の問題で一度失敗しています。」「ただ見ているだけで良いんです。」などと完璧に逃避パターンのダメっぷり。
対して現実に向き合い自らの星の下から抜け出そうと足掻く美佐子との対比は何処まで行っても交わる事がない。この対比が見所となっている。
原作では倉橋は雅子への思いを「鯛に食い飽きて鰯を食おうとしている」と言われ、またそれを決して否定できない心情を恥かしがったりしている。映画でも最後まで外野席のインテリ倉橋なのでありました。

美佐子の元亭主田島(森繁久彌)が美佐子を粘着質に口説く場面も凄い。危なっかしく逃れて、帰るといい人である倉橋が染太郎に居て一変媚びる美佐子も凄い。

しかしなんと言っても美佐子たちの両親。
傷痍軍人となり大神楽芸人を辞めざる得なくなり娘にいい旦那が付く事ばかり望む父親(加藤大介)は卒中で倒れ半身不随で「オレを見捨てないでくれ」と泣き付くし、娘のためだけに生きてきたのに誰一人幸せになりゃしないと酒を煽り酒乱で暴れる母(三益愛子)
密かに美佐子に思いを寄せるドサカン(西村晃)の性質もジメジメ。

企画の趣旨である変り行く東京の姿。昭和37年当時の東京は鮮明に記憶しているわけではないけど、淡路恵子の喫茶店の窓から見えるバス、都電には不思議な懐かしさを感じる事ができた。
でも、現在埋立てられて高速道路になったという築地川の存在なんて、流石に知らんわ。
ちなみに映画冒頭で山本富士子が「このあたりの川もずいぶん汚くなってしまった」と嘆いていました。

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