浪曲漫才「宮川左近ショー」の暁照雄さん死去
浪曲漫才トリオ「宮川左近ショー」のメンバーで三味線を担当した暁照雄(あかつき・てるお、本名・浜田登志夫=はまだ・としお)さんが29日午前4時32分、下咽頭がんのため亡くなった。78歳だった。告別式は近親者で行う。
徳島県生まれ。1950年に2代目東洋軒雷右衛門に入門し、59年、グループを結成。巧みな演奏を聴かせ、「なんでこんなにうまいんやろ」とおどけ、笑わせるギャグが定番だった。トリオとして72年に上方漫才大賞を受賞。解散後、2008年には、弟子とのコンビで文化庁芸術祭賞大賞(大衆演劇部門)も受けた。
(読売新聞)
本日は訃報が相次ぎましたね。
多分、扱いは一番小さいのかと思いますが、自分としてはいの一番に追悼したい方です。
三味線漫談宮川左近ショーは上方芸人さんなのでテレビでしか拝見する事ができなかったけれど、この手の三味線漫談グループでは一番好きだったなぁ。水に漂う左近ショー
早起き名人会をエアチェックした奴も何度も聴いたもんです。
ギターの松島一夫さんも2年前に亡くなられていて、もう皆さん居なくなってしまったのですね。
案外、男性に対して面食いなあたし、端正な顔立ちと着物、三味線の取り合わせが妙におかしくもあり、メンバーの中では一番印象の強い人でした。影ながら左近ショーのデビッド・ボウイと呼んでおりました。
お弟子さんとのコンビ暁照雄光雄はあまり観る機会が無かったなぁ。演芸番組自体が寂しい事になってる。量的にも質的にも・・・寂しいもんです。
本名:浜田 登志夫。三味線担当。徳島県出身。立ち位置は向かって右。浪曲師一家に生まれ、1948年に二代目東洋軒雷右衛門に修行に出され、入門翌日に東洋軒雷坊で宇和島の融通座で初舞台。天才少年浪曲師として売り出される。芸者に三味線を教わっていたが、変声期に喉を傷めたため1954年に照雄の名で曲師に転身。東京に出て三門博に付いたり、大阪で河内音頭の鉄砲光三郎と組んで鉄砲節の開発に邁進したりした。ショウ加入後は和夫、一夫と揃えるため照夫に改名。
たっぷり照雄さんの三味線を聴いてご冥福を祈ろうじゃありませんか。
宮川左近ショー 「殿中松の廊下」より
宮川左近ショー 柔道
宮川左近ショー 「紀伊國屋文左衛門」
暁照雄・光雄
暁照夫・光夫「1996年お正月番組」
スチャラカ社員
浪曲漫才トリオ「宮川左近ショー」のメンバーで三味線を担当した暁照雄(あかつき・てるお、本名・浜田登志夫=はまだ・としお)さんが29日午前4時32分、下咽頭がんのため亡くなった。78歳だった。告別式は近親者で行う。
徳島県生まれ。1950年に2代目東洋軒雷右衛門に入門し、59年、グループを結成。巧みな演奏を聴かせ、「なんでこんなにうまいんやろ」とおどけ、笑わせるギャグが定番だった。トリオとして72年に上方漫才大賞を受賞。解散後、2008年には、弟子とのコンビで文化庁芸術祭賞大賞(大衆演劇部門)も受けた。
(読売新聞)
本日は訃報が相次ぎましたね。
多分、扱いは一番小さいのかと思いますが、自分としてはいの一番に追悼したい方です。
三味線漫談宮川左近ショーは上方芸人さんなのでテレビでしか拝見する事ができなかったけれど、この手の三味線漫談グループでは一番好きだったなぁ。水に漂う左近ショー
早起き名人会をエアチェックした奴も何度も聴いたもんです。
ギターの松島一夫さんも2年前に亡くなられていて、もう皆さん居なくなってしまったのですね。
案外、男性に対して面食いなあたし、端正な顔立ちと着物、三味線の取り合わせが妙におかしくもあり、メンバーの中では一番印象の強い人でした。影ながら左近ショーのデビッド・ボウイと呼んでおりました。
お弟子さんとのコンビ暁照雄光雄はあまり観る機会が無かったなぁ。演芸番組自体が寂しい事になってる。量的にも質的にも・・・寂しいもんです。
本名:浜田 登志夫。三味線担当。徳島県出身。立ち位置は向かって右。浪曲師一家に生まれ、1948年に二代目東洋軒雷右衛門に修行に出され、入門翌日に東洋軒雷坊で宇和島の融通座で初舞台。天才少年浪曲師として売り出される。芸者に三味線を教わっていたが、変声期に喉を傷めたため1954年に照雄の名で曲師に転身。東京に出て三門博に付いたり、大阪で河内音頭の鉄砲光三郎と組んで鉄砲節の開発に邁進したりした。ショウ加入後は和夫、一夫と揃えるため照夫に改名。
たっぷり照雄さんの三味線を聴いてご冥福を祈ろうじゃありませんか。
宮川左近ショー 「殿中松の廊下」より
宮川左近ショー 柔道
宮川左近ショー 「紀伊國屋文左衛門」
暁照雄・光雄
暁照夫・光夫「1996年お正月番組」
スチャラカ社員
3人のコンビネーションが素晴らしく
しかも3人とも汗だくだったです
宮川左近さんが死んだ時は知ってたのですが
松島さんは気付きませんでした
暁さんも気付きませんでした
浪曲は好きではなかったのですが
この3人だけは別格です
浪曲とゆーより ソウルでブルースでしたね。グルーヴが凄くあったし
高音のキレッキレの三味線と重く渋いギターと左近さんの搾り出すよーな艶のある声の絡み合いが素晴らしく
左近さんが死んでから、他の人との演目を見ましたが やっぱりこの完璧な3人でないと グルーヴが出ないもんでしたね
いくよくるよさんは東京進出していたので、よく寄席で見る事ができましたけど。
東京では玉カルだけれど、あれはあれで良いのだけれど私は左近ショーの方が好きでした。
YOU TUBEで僅かながらグルーヴ感を楽しむしかありません。