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同じ監督が時を隔てて時分の製作した映画をリメイクするのってどういう心境が考えられるだろう。
最近では市川昆の「犬神家の一族」がありますね。(観てませんが
)
まずは、前作が失敗作だと思って、それを打ち消したいために作り直す。
あるいは、前作はそれなりの成功だったが、自分自身の成長、または時代の変化、撮影技術の向上によってより良い作品を作る事に意欲が湧く。
キャスト、魅力的な女優の登場によって、もう一度この娘で撮りたいと意欲とどスケベ心が沸く。
「痴人の愛」は木村恵吾監督にとって京マチ子、宇野重吉による1949年の作品以来11年ぶりのセルフ・リメイク。
「痴人の愛」1960年 大映 監督:木村恵吾
大胆な解釈ともいえる1949年版がどうも腑に落ちず、(譲二とナオミの形勢逆転のエンドで、終わったあと心中「こんなのありかよ」と憮然としてしまった。)興味はリメイクされた作品のそこんところがどんな具合か?その一点。
譲二(船越英二)とナオミ(叶順子)の再会の結末が大きく違う。正しい痴人の愛になっていて、ナオミが馬乗りになって最後まで譲二を翻弄。馬がくずれて騎手を組敷き・・・
今回見て思うに、あくまで推測ですが、女に翻弄され振り回されるままいいようにされて行く男というストーリーは1949年という時代、小説では許せてもスクリーンでは思いっきり表現するのに抵抗があったのかもしれないなぁ、と。
1960年ともなり、初めて「痴人の愛」のテーマに即した作品を作る環境が整ったとか・・・
カラーになった事も大きな違いで、カラー作品を意識した色使いも、奔放なナオミの青春を表すのに役立っているようです。
叶順子の媚びた科白回しはあまりにもベタ。そこが却って喜劇的で突っ込みを入れながらニヤニヤ観る。
再会場面で独り言を言いながら挑発するナオミ、完全に彼女のペース。それは明らかなのに彼女の肉体の魅力に負け屈服してしまう。
「痴人の愛」はナオミ=痴人と解釈してきたけれど、実は譲二=痴人でもあるわけなんですね。
嗚呼、悲しきは愚かなる雄。
イチコロの男どもの可笑しい事。
ナオミと合鍵で逢引していた浜ちゃん(川崎敬三)、一端譲二さんに露見となると吐くは、吐くは・・・
事実を知った、譲二の悶え苦しみ、悶える、悶える・・・
鎌倉から逢引のため浜田の元へオープンカーを走らせるナオミ。橋を暴走していると下で蒸気機関車が通り、橋の両端から煤煙が沸き起こる場面が印象的でした。
ポーッ!
1949年版よりも進化は見せてくれた。それでも大谷崎の原作にはまだまだ遠い。
ラピュタ阿佐ヶ谷「荷風と谷崎」
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最近では市川昆の「犬神家の一族」がありますね。(観てませんが
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まずは、前作が失敗作だと思って、それを打ち消したいために作り直す。
あるいは、前作はそれなりの成功だったが、自分自身の成長、または時代の変化、撮影技術の向上によってより良い作品を作る事に意欲が湧く。
キャスト、魅力的な女優の登場によって、もう一度この娘で撮りたいと意欲とどスケベ心が沸く。
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「痴人の愛」は木村恵吾監督にとって京マチ子、宇野重吉による1949年の作品以来11年ぶりのセルフ・リメイク。
「痴人の愛」1960年 大映 監督:木村恵吾
大胆な解釈ともいえる1949年版がどうも腑に落ちず、(譲二とナオミの形勢逆転のエンドで、終わったあと心中「こんなのありかよ」と憮然としてしまった。)興味はリメイクされた作品のそこんところがどんな具合か?その一点。
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譲二(船越英二)とナオミ(叶順子)の再会の結末が大きく違う。正しい痴人の愛になっていて、ナオミが馬乗りになって最後まで譲二を翻弄。馬がくずれて騎手を組敷き・・・
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今回見て思うに、あくまで推測ですが、女に翻弄され振り回されるままいいようにされて行く男というストーリーは1949年という時代、小説では許せてもスクリーンでは思いっきり表現するのに抵抗があったのかもしれないなぁ、と。
1960年ともなり、初めて「痴人の愛」のテーマに即した作品を作る環境が整ったとか・・・
カラーになった事も大きな違いで、カラー作品を意識した色使いも、奔放なナオミの青春を表すのに役立っているようです。
叶順子の媚びた科白回しはあまりにもベタ。そこが却って喜劇的で突っ込みを入れながらニヤニヤ観る。
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再会場面で独り言を言いながら挑発するナオミ、完全に彼女のペース。それは明らかなのに彼女の肉体の魅力に負け屈服してしまう。
「痴人の愛」はナオミ=痴人と解釈してきたけれど、実は譲二=痴人でもあるわけなんですね。
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嗚呼、悲しきは愚かなる雄。
イチコロの男どもの可笑しい事。
ナオミと合鍵で逢引していた浜ちゃん(川崎敬三)、一端譲二さんに露見となると吐くは、吐くは・・・
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事実を知った、譲二の悶え苦しみ、悶える、悶える・・・
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鎌倉から逢引のため浜田の元へオープンカーを走らせるナオミ。橋を暴走していると下で蒸気機関車が通り、橋の両端から煤煙が沸き起こる場面が印象的でした。
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1949年版よりも進化は見せてくれた。それでも大谷崎の原作にはまだまだ遠い。
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ラピュタ阿佐ヶ谷「荷風と谷崎」
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さすればやはり叶となりましょうか。