“繞口令”は、中国の伝統的なことば遊びで、日本語で言うと、早口言葉である。“繞”というのは、「巻く」という意味で、そこから、「からみつく」、「回り道をする」、「頭がこんがらがって混乱する」という意味を持つ。“繞口”だから、「言いにくくて舌がからみつく」ということである。“令”ling4というのは、酒の席での遊びのことである。
侯宝林の相声(漫才)を聞いていると、よく“繞口令”のことを“口腔体操kou3qiang1ti3cao1 と言って笑わせているが、正に口蓋と舌の運動である。
尚、以下の内容は《百度百科》の記載記事である。
一、“繞口令”概要
“繞口令”rao4kou3ling4 は中国の伝統的なことば遊びである。“急口令” ji2kou3ling4 、“吃口令” chi1kou3ling4 、“拗口令” ao4kou3ling ともいう。“声母”、韻母、声調の混同し易い字を組み合わせ、反復したり、語句を重ねたりし、舌が回らず言いにくいフレーズにし、一気に早口で話すことを要求する。読んでもると、リズミカルで、おもしろい。
(一)“繞口令”の成り立ちと発展
“繞口令”の成り立ちについては、5000年余り前の黄帝の時代まで遡ることができる。古籍中、好運にも残った《弾歌》の“晰竹,続竹,飛土 xi1zhu2 xu4zhu2 fei1tu3 ”は黄帝時代の作と伝えられる。考証によれば、これは原始形態に近い歌謡である。この中に、既に“繞口令”の基本成分である、同じ声母を持ったり韻を重ねた語句がある。ここから推察されるのは、文字の出現以前から、既に人々の口から出ることばの中にその芽生えがあったのではないかということである。
文字や言語の形成、発展に伴い、古代の人々は漢字の並べ方によっては読んだ感じが他と違うことに気づき、同じ声母を持ったり韻を重ねた語句を発見した。これら、同じ声母を持ったり韻を重ねた語句の関係は、うまく並べないと、舌が回らず言いにくい。うまく並べると、ありふれたものとは違う音韻の美しさを生みだす。このため、その規律性を捜し、練習し、口頭で表現しようとする人が現れた。そして、彼らは意識的に音韻の同じ文字を組み合わせ、わざと回りくどい言い方にして、繋ぎ合わせてフレーズを作り、子供たちに憶えさせ、暗誦させた。その中の音韻が美しく、かつ舌が回りにくく、ユーモアのあるフレーズは、子供達を喜ばせただけでなく、多くの青年たちも喜ばせた。このように、人々が諳んじたことばが、口伝され、広まった。広まる過程で、人々は絶えず改良を加え、遂には皆ユーモアのある歌謡となり、益々おもしろみを増した。誰がその作者であるかは、誰も気に留めなかった。
“繞口令”の形が次第に整うと、人々の間で流布するようになり、下層の人々に近い文人もこの一種の通俗的な文学形式に関心をはらうようになった。屈原の少し後の楚の宋玉は、韻を重ねた語句を詩の中に取り入れた。《九辯》は彼の代表作で、その中で韻を踏んだ語句を使い、語句の音節の錯綜、変化により、読んだ感じが音韻の調子がとれ、興趣が尽きない。多くの文人が茶を飲んだり酒を飲んだりるす時、興に乗っていくつかの句をつないで詩を作り、“酒令”(酒の上でのゲーム)としたり、子供に歌わせたりした。今日まで残された古代の“繞口令”は、ほとんどが、文人が民間の“繞口令”を真似て作ったものである。現在も残っているものでは、唐代の詩人、温庭筠の《李先生別墅望僧舍宝刹作双声詩》:“犠息消心象;檐楹yan3ying2溢yi4絶陽,簾槞lian2long3蘭露落,隣里柳林涼,高閣過空谷,孤竿gu1gan1隔古崗,潭庭tan2ting2月淡蕩 dang4,倣佛復芬芳。”がある。宋代の大文学家、蘇軾も《吃語詩》(“散居剣閣隔錦官”)を作った。明代文学家、高啓は《呉宮詞》(“筵前怜嬋娟”)を作った。内容から見れば、これらの繞口令はたいてい酒食が足りて良い心持になった時に興が乗って手慰みに作ったもので、たいした意味は持たないが、形式から見ると、“咬文嚼字”yao3wen2jiao2zi4(文章の文字面にばかりこだわり、意味のないこと)の文字遊びである。書物は堅苦しく、難解であり、下層の人々や子供たちは、“敬而遠之”、つまり「敬して遠ざく」ものであった。このことは繞口令の言語的価値や文学的価値に大きな影響を与え、繞口令の普及、向上に影響を与えた。古代の繞口令については、明代の文学家、謝肇涮の撰した《文海披沙》卷五に、記載がある。
一方、民間に流布した繞口令はその通俗でわかりやすい特徴が保持され発揚し、益々完成度が上がり、かつ収集、整理された。清朝末期、イタリアの官吏で中国駐在のVitale(中国語訳:韋大利)が収集した《北京児歌》(1896年出版,英漢対照本)の中に、繞口令《玲瓏塔》がある。何蘭が収集した《孺子歌図》の中にも、繞口令《禿丫頭》がある。
“五四”新文化運動以降、中国の現代文学は益々下層の人々に接近し、それに伴い児童文学も次第に文芸の一部として認められるようになり、このことは繞口令の発展に新たな道を拓いた。しかし、社会の意識、創作者の思想の限界から、多くの繞口令の基調は低俗なものだった。
例えば、《螺螄和騾子》:
“胡子担dan1了一担dan4螺螄 luo2si1,駝子騎了一匹騾子。
胡子的螺螄撞了駝子的騾子,駝子的騾子跴cai3了胡子的螺螄。
胡子要駝子賠胡子的螺螄,駝子要胡子賠駝子的騾子。
胡子罵駝子,駝子打胡子,螺螄也爬到騾子頭上去齦ken3鼻子。”
(ひげの男が一担ぎのマキガイを天秤棒で担いで来た。せむしの男はラバに乗ってやってきた。ひげ男のマキガイがせむし男のラバにぶつかり、せむし男のラバはひげ男のマキガイを踏みつけた。ひげはせむしにひげのマキガイの弁償をしろと言い、せむしはひげにせむしのラバの弁償をしろと言った。ひげはせむしを罵り、せむしはひげをたたき、マキガイもラバの頭に上って鼻を噛んだ。)
これは、かつての社会の“人不為己,天誅地滅”ren2bu4wei2ji3 tian1zhu1di4mie4 (自分のためを謀らない人には、天地の罰が当たる)という社会意識を反映し、人と人の間の赤裸々な利害関係を反映していた。
中華人民共和国成立後、繞口令の内容にも明らかな変化が見られるようになった。
例えば、1960年代に流布した繞口令《賠缽缽》:
“你婆婆借給我婆婆一個缽缽bo1bo,我婆婆打爛了你婆婆的缽缽。
我婆婆買来一個缽缽,還給你婆婆。
你婆婆説什麼也不要我婆婆賠缽缽,我婆婆硬気把買来的缽缽還給你婆婆。”
(あなたのお母さんが私のお母さん(義母)に鉢を貸してくれた。私のお母さんはあなたのお母さんの鉢を壊してしまった。私のお母さんは新しい鉢を買ってきて、あなたのお母さんに返した。あなたのお母さんはどうしても私のお母さんが鉢を弁償する必要はないと言い、私のお母さんはどうしても買ってきた鉢をあなたのお母さんに返すと言い張った。)
これは、1960年代の社会の人間関係を反映しており、当時の建国間もない時代の人々の意識が表現されている。
(二)繞口令は舌がこんがらがればこんがらがるほどおもしろい
繞口令の特徴は、同じ声母が並んだり、韻が重なった語句や、発音が同じ、或いは良く似た語句や、混同しやすい文字を意識的に同じところに集め、組み合わせて簡単で面白い韻を踏んだ語句を作り、読んでみると舌がこんがらがり、しかし大変面白い言語芸術である。提起すべきは、繞口令は言語訓練の良い教材であり、真面目に繞口令を練習すると、頭の回転を良くし、ことばが明晰になり、発音がはっきりし、吃音を防ぐことができ、また閑な時に人を笑わせることのできることばの遊びである。
例えば、
■ 山前有個厳圓眼,山后有個楊眼圓,二人山前山后来比眼;
不知厳圓眼比楊眼圓的眼圓,還是楊眼圓比厳眼的眼圓。
厳さん、楊さんというふたつの姓のまんまる眼(まなこ)を持った人の話。
(山の手前に厳のまんまる眼、山の向こうに楊のまんまる眼がいて、ふたりは山の前と後ろで互いの眼を比べた。厳のまんまる眼が楊のまんまる眼の眼より丸いか、楊のまんまる眼が厳のまんまる眼の眼より丸いかわからない。)
日本語で言ってもこんがらがりそうな話である。
《算卦的和挂蒜的》は、韻を踏んだ調子が良い。
■ 街上有個算卦的,還有一個挂蒜的。
算卦的算卦,挂蒜的売蒜。算卦的叫挂蒜的算卦,挂蒜的叫算卦的買蒜。
算卦的不買挂蒜的蒜,挂蒜的也不算算卦的卦。
(街に八卦見がいて、またニンニクを吊るしている男がいた。八卦見は占いをし、ニンニクを吊るしている男はニンニクを売っていた。八卦見はニンニクを吊るしている男に占いをするよう言い、ニンニクを吊るしている男は八卦見にニンニクを買うように言った。八卦見はニンニクを吊るしている男のニンニクを買わず、ニンニクを吊るしている男は八卦見に占いをしてもらわなかった。)
これらふたつの繞口令は、たいへん妙趣に富んでいる。
繞口令の構造には、“対遇式”と“一貫式”の二種類がある。“対遇式”は、ふたつの句が対遇、つまり相対し、並行して順繰りに展開していく。
例えば、
■《四和十》四是四,十是十;
要想説対四,舌頭碰牙歯;要想説対十,舌頭別伸直;
要想説対四和十,多多練習十和四。
(四は四、十は十。正しく四を言うには、舌の先を歯に当てなければならない。正しく十を言うには、舌の先を伸ばしてはいけない。正しく四と十を言うには、もっと十と四を練習しなければならない。)
対遇式の繞口令で最も有名なのは、民間に流布している“繞口聯”で、例えば、
■ 童子打桐子,桐子 落,童子 楽;
丫頭齦鴨頭,鴨頭 咸,丫頭 嫌。
(男の子が桐の木を叩くと、桐の実が落ちてきたので、男の子は喜んだ。
女中がアヒルの頭を食べる(噛む)と、アヒルの頭は塩辛かったので、女中は嫌がった。)
この“繞口聯”は、同音異義で、舌が回りづらく、たいへん巧妙に作られている。
■ 求自在不自在,知自在自然自在;
悟如来想如来,非如来如是如来。
(自在を求めても自在にはならないが、自在を知れば自ずと自在になる。
如来を悟って如来を思えば、如来にあらざれどもかくのごとく如来である。)
上の聯と下の聯にそれぞれ四つの“自在”と“如来”が出てきて、この四回それぞれの意味が異なり、味わいがある。
“一貫式”の繞口令は、一気呵成で、句と句が合い繋がり、次第に内容が深まっていく。
例えば、
■ 遠望一堆 灰,灰上蹲個亀,亀上蹲個鬼。
鬼儿無事挑担水,湿了亀的尾,亀要鬼 賠 亀的尾,鬼要亀 賠 鬼的水。
(遠く積った灰を見ると、灰の上に亀がうずくまっており、亀の上には鬼がうずくまっていた。鬼はすることもないので天秤棒で水を担いだが、亀の尾を濡らしてしまった。亀は鬼に亀の尾の弁償をしろと言い、鬼は亀に水を弁償しろと言った)
■ 化肥発灰,灰化肥発。
化肥発灰 会 揮発,灰化肥 揮発会発,灰化肥発 揮発会発灰。
(黒い化学肥料が灰になった、灰の化学肥料が黒くなった。黒い化学肥料は灰になり揮発した。灰の化学肥料は揮発して黒くなった。灰の化学肥料は黒くなり揮発して灰になった。)
■ 一面小花鼓,鼓上画老虎。
宝宝敲破鼓,媽媽拿布 補,不知是布 補 鼓,還是布 補 虎。
(一個の太鼓があり、太鼓の上には虎の絵が描かれていた。宝宝は太鼓を叩いて破ってしまったので、お母さんは布を持ってきて修理したが、布で太鼓を修理したのか、布で虎の絵を繕ったのか、わからない。)
■ 墻上一根釘,釘上挂条縄,滑落縄下瓶,打碎瓶下灯,砸破灯下盆。
瓶打灯,灯打盆,盆罵灯,灯罵瓶,瓶罵縄,縄罵釘,釘怪縄,縄怪瓶,瓶怪灯,灯怪盆。
叮叮当当当当叮,乒乒乓乓乓乓乒!
(壁に一本の釘があり、釘には縄がかかっていて、縄の下の瓶が滑り落ち、瓶の下の電灯を打ち壊し、電灯の下のたらいを打ち壊した。
瓶は電灯を打ち、電灯はたらいを打ち、たらいは電灯を罵り、電灯は瓶を罵り、瓶は縄を罵り、縄は釘を罵り、釘は縄を恨み、縄は瓶を恨み、瓶は電灯を恨み、電灯はたらいを恨んだ。)
これらを見ていくと、繞口令の多くはふざけた感じで生き生きとしており、リズミカルである。方言で朗読したものはより郷土の特色が濃厚となり、毛沢東は生前、繞口令を好んだ。ある時、彼は中南海文工団の余という名の四川省出身の女兵士から、四川方言の繞口令を教わった。“一出南門走六歩,碰到六舅和六叔。好六叔,好六舅,借我六升六斗好緑豆。過了秋,再還六叔六舅六升六斗好緑豆。”四川語の“六”、“緑”、“陸”の音は似ている。毛沢東は声を出して言えば言うほどおもしろくなり、“過了秋”のところを何気なく“收了秋”に変えて言ったところ、うまい具合に穀物を収穫する情景が体現できるようになった。
伝統的な繞口令は、多くはただ字句の“諧音”(音が同じか似ていること)のみ重視し、その内容には重きを置いていなかった。しかし、現在、民間で新たに創作される繞口令は、
中身もあるものになっている。
例えば、
■《数獅子》“公園有四排石獅子,毎排是十四只大石獅子,
毎只大石獅子背上是一只小石獅子,毎只大石獅子脚辺是四只小石獅子,
史老師領四十四個学生去数石獅子,你説共数出多少只大石獅子和多少只小石獅子?”
(公園に四列の石の獅子がおり、各列には十四匹の大きな石の獅子がおり、どの大きな石の獅子も背中に一匹の小さな石の獅子を背負い、どの大きな石の獅子も脚の横に四匹の小さな石の獅子がいた。史先生は四十四人の学生を連れて石の獅子を数えに行った。さて、全部で何匹の大きな石の獅子と何匹の小さな石の獅子がいるでしょう。)
算数の文章問題のようになっている。
内容が意味深長な繞口令もある。
■“一些事没有人做,一些人没有事做,一些没有事做的議論做事的做的事;
議論做事的総是没事,一些做事的総有做不完的事,一些没有事做的不做事不碍事,一些有事做的做了事却有麻煩事;
一些不做事的挖空心思惹事,譲做事的做不成事,大家都不做事是不想做事的做事;
做事的做不成事傷心,不做事的不做事開心。”
(いくつかの事は誰もやらない。何人かの人は何もすることがない。何人かの何もすることが無い人が何かをした人のした事を議論した。何かをした人のことを議論しても総じてどうということもない。何人かの何かをした人にはいつもやり終わらなかった事があり、何人かの何もすることがない人のしなかった事はするのを妨げられている事ではなく、いくつかのある事をした人がした事は面倒くさい事である。何人かの何もしない人が知恵を絞って引き起こした事は、できる人にできなくさせる事であり、皆がしない事は何もしたくない人がする事である。できる人はできなかった事で悲しみ、何もしない人は何もやらなかったので愉快である。)
・挖空心思 wa2kong1xin1si1 苦心惨憺する。ない知恵を絞りだす
こうなると、単なることば遊びの域を超え、思想的、教訓的な意味合いも出てくる。
二、代表的な繞口令
(一)声母が同じの繞口令
“声母”は漢字の音節の最初の子音のことで、“声母”が同じ語句を集めた繞口令である。
■ b-p:補破皮褥子不如不補破皮褥子(《補皮褥子》)
■ b-p:吃葡萄不吐葡萄皮儿,不吃葡萄倒吐葡萄皮儿(《葡萄皮儿》)
■ d:会燉我的燉凍豆腐,来燉我的燉凍豆腐,不会燉我的燉凍豆腐,
就別燉我的燉凍豆腐。
要是混充会燉我的燉凍豆腐,燉壊了我的燉凍豆腐,哪就吃不成我的燉凍豆腐
(《燉凍豆腐》)。
■ l:六十六歳劉老六,修了六十六座走馬楼,楼上擺了六十六瓶蘇合油,
門前栽了六十六棵垂楊柳,柳上拴了六十六個大馬猴。
忽然一陣狂風起,吹倒了六十六座走馬楼,打翻了六十六瓶蘇合油,
圧倒了六十六棵垂楊柳,吓跑了六十六个大馬猴,気死了六十六歳劉老六
(《六十六歳劉老六》)。
■ d-t:大兔子,大肚子,大肚子的大兔子,要咬大兔子的大肚子
(《大兔子和大肚子》)。
(二)韵母が同じの繞口令
“韵母”は漢字の音の声母のうしろに付く母音のことである。ここでは、“韵母”が同じ語を集めた繞口令を紹介する。
■ a:門前有八匹大伊犁馬,你愛拉哪匹馬拉哪匹馬(《伊犁馬》)。
■ e:坡上立着一只鵞 e2,坡下就是一条河。
寛寛的河,肥肥的鵞,鵞要過河,河要渡鵞。
不知是鵞過河,還是河渡鵞(《鵞》)。
■ i:一二三,三二一,一二三四五六七。
七个阿姨来摘果,七個花籃儿手中提。
七棵樹上結七様儿,蘋果、桃儿、石榴、柿子,李子、栗子、梨
(《七棵樹上結七様儿》)。
■ u:鼓上画只虎,破了拿布補。不知布補鼓,還是布補虎(《鼓上画只虎》)。
■ ai:買白菜,搭海帯,不買海帯就別買大白菜。
買売改,不搭売,不買海帯也能買到大白菜(《白菜和海帯》)。
■ an:出前門,往正南,有個面舗面衝南,門口挂着藍布棉門簾。
摘了它的藍布棉門簾,棉舗面衝南,給他挂上藍布棉門簾,面舗還是面衝南
(《藍布棉門簾》)。
■ ang—eng:長城長,城墻長,長長長城長城墻,城墻長長城長長(《長城長》)。
■ iou:一葫芦酒,九両六。一葫芦油,六両九。
六両九的油,要換九両六的酒,九両六的酒,不換六両九的油(《酒換油》)
■ ian:半辺蓮,蓮半辺,半辺蓮長在山澗jian4辺。
半辺天路過山澗辺,発現這片半辺蓮。
半辺天拿来一把鎌lian2,割了半筐kuang1半辺蓮。
半筐半辺蓮,送給辺防連(《半辺蓮》)。
■ iang:楊家養了一只羊,蒋家修了一道墻。
楊家的羊撞倒了蒋家的墻,蒋家的墻圧死了楊家的羊。
楊家要蒋家賠楊家的羊,蒋家要楊家賠蒋家的墻(《楊家養了一只羊》)。
■ ua:一个胖娃娃,画了三個大花活蛤蟆;
三個胖娃娃,画不出一個大花活蛤蟆。
画不出一個大花活蛤蟆的三個胖娃娃,真不如画了三個大花活蛤蟆的一個胖娃娃。
(《画蛤蟆帽》)。
■ uo(o):狼打柴,狗焼火,猫儿上炕kang4捏窩窩wo1wo,
雀儿飛来蒸餑餑bo1bo(《狼打柴狗焼火》)。
■ ong:衝衝栽了十畦葱,松松栽了十棵松。
衝衝説栽松不如栽葱,松松説栽葱不如栽松。
是栽松不如栽葱,還是栽葱不如栽松?(《栽葱和栽松》)
■ uan—uang:那辺劃来一艘船,這辺漂去一張床,船床河中互相撞,
不知船撞床,還是床撞船(《船和床》)。
■ üan:圓圈圓,圈圓圈,圓圓娟娟画圓圈。
娟娟画的圈连圈,圓圓画的圈套圈。娟娟圓圓比圓圈,看看誰的圓圈圓
(《画圓圈》)。
【原文】百度百科《繞口令》http://baike.baidu.com/view/1815.htm?fr=ala0_1_1
韻を踏む、というのが、中国語のことばの調子の良さ、美しさのひとつの表現で、漢詩の表現などが代表的なものだが、日常の会話でも“諧音”としてよく見られる。日本語のしゃれことばに相当するが、それをことば遊びに応用したのが“繞口令”であると言えると思う。
侯宝林の相声(漫才)を聞いていると、よく“繞口令”のことを“口腔体操kou3qiang1ti3cao1 と言って笑わせているが、正に口蓋と舌の運動である。
尚、以下の内容は《百度百科》の記載記事である。
一、“繞口令”概要
“繞口令”rao4kou3ling4 は中国の伝統的なことば遊びである。“急口令” ji2kou3ling4 、“吃口令” chi1kou3ling4 、“拗口令” ao4kou3ling ともいう。“声母”、韻母、声調の混同し易い字を組み合わせ、反復したり、語句を重ねたりし、舌が回らず言いにくいフレーズにし、一気に早口で話すことを要求する。読んでもると、リズミカルで、おもしろい。
(一)“繞口令”の成り立ちと発展
“繞口令”の成り立ちについては、5000年余り前の黄帝の時代まで遡ることができる。古籍中、好運にも残った《弾歌》の“晰竹,続竹,飛土 xi1zhu2 xu4zhu2 fei1tu3 ”は黄帝時代の作と伝えられる。考証によれば、これは原始形態に近い歌謡である。この中に、既に“繞口令”の基本成分である、同じ声母を持ったり韻を重ねた語句がある。ここから推察されるのは、文字の出現以前から、既に人々の口から出ることばの中にその芽生えがあったのではないかということである。
文字や言語の形成、発展に伴い、古代の人々は漢字の並べ方によっては読んだ感じが他と違うことに気づき、同じ声母を持ったり韻を重ねた語句を発見した。これら、同じ声母を持ったり韻を重ねた語句の関係は、うまく並べないと、舌が回らず言いにくい。うまく並べると、ありふれたものとは違う音韻の美しさを生みだす。このため、その規律性を捜し、練習し、口頭で表現しようとする人が現れた。そして、彼らは意識的に音韻の同じ文字を組み合わせ、わざと回りくどい言い方にして、繋ぎ合わせてフレーズを作り、子供たちに憶えさせ、暗誦させた。その中の音韻が美しく、かつ舌が回りにくく、ユーモアのあるフレーズは、子供達を喜ばせただけでなく、多くの青年たちも喜ばせた。このように、人々が諳んじたことばが、口伝され、広まった。広まる過程で、人々は絶えず改良を加え、遂には皆ユーモアのある歌謡となり、益々おもしろみを増した。誰がその作者であるかは、誰も気に留めなかった。
“繞口令”の形が次第に整うと、人々の間で流布するようになり、下層の人々に近い文人もこの一種の通俗的な文学形式に関心をはらうようになった。屈原の少し後の楚の宋玉は、韻を重ねた語句を詩の中に取り入れた。《九辯》は彼の代表作で、その中で韻を踏んだ語句を使い、語句の音節の錯綜、変化により、読んだ感じが音韻の調子がとれ、興趣が尽きない。多くの文人が茶を飲んだり酒を飲んだりるす時、興に乗っていくつかの句をつないで詩を作り、“酒令”(酒の上でのゲーム)としたり、子供に歌わせたりした。今日まで残された古代の“繞口令”は、ほとんどが、文人が民間の“繞口令”を真似て作ったものである。現在も残っているものでは、唐代の詩人、温庭筠の《李先生別墅望僧舍宝刹作双声詩》:“犠息消心象;檐楹yan3ying2溢yi4絶陽,簾槞lian2long3蘭露落,隣里柳林涼,高閣過空谷,孤竿gu1gan1隔古崗,潭庭tan2ting2月淡蕩 dang4,倣佛復芬芳。”がある。宋代の大文学家、蘇軾も《吃語詩》(“散居剣閣隔錦官”)を作った。明代文学家、高啓は《呉宮詞》(“筵前怜嬋娟”)を作った。内容から見れば、これらの繞口令はたいてい酒食が足りて良い心持になった時に興が乗って手慰みに作ったもので、たいした意味は持たないが、形式から見ると、“咬文嚼字”yao3wen2jiao2zi4(文章の文字面にばかりこだわり、意味のないこと)の文字遊びである。書物は堅苦しく、難解であり、下層の人々や子供たちは、“敬而遠之”、つまり「敬して遠ざく」ものであった。このことは繞口令の言語的価値や文学的価値に大きな影響を与え、繞口令の普及、向上に影響を与えた。古代の繞口令については、明代の文学家、謝肇涮の撰した《文海披沙》卷五に、記載がある。
一方、民間に流布した繞口令はその通俗でわかりやすい特徴が保持され発揚し、益々完成度が上がり、かつ収集、整理された。清朝末期、イタリアの官吏で中国駐在のVitale(中国語訳:韋大利)が収集した《北京児歌》(1896年出版,英漢対照本)の中に、繞口令《玲瓏塔》がある。何蘭が収集した《孺子歌図》の中にも、繞口令《禿丫頭》がある。
“五四”新文化運動以降、中国の現代文学は益々下層の人々に接近し、それに伴い児童文学も次第に文芸の一部として認められるようになり、このことは繞口令の発展に新たな道を拓いた。しかし、社会の意識、創作者の思想の限界から、多くの繞口令の基調は低俗なものだった。
例えば、《螺螄和騾子》:
“胡子担dan1了一担dan4螺螄 luo2si1,駝子騎了一匹騾子。
胡子的螺螄撞了駝子的騾子,駝子的騾子跴cai3了胡子的螺螄。
胡子要駝子賠胡子的螺螄,駝子要胡子賠駝子的騾子。
胡子罵駝子,駝子打胡子,螺螄也爬到騾子頭上去齦ken3鼻子。”
(ひげの男が一担ぎのマキガイを天秤棒で担いで来た。せむしの男はラバに乗ってやってきた。ひげ男のマキガイがせむし男のラバにぶつかり、せむし男のラバはひげ男のマキガイを踏みつけた。ひげはせむしにひげのマキガイの弁償をしろと言い、せむしはひげにせむしのラバの弁償をしろと言った。ひげはせむしを罵り、せむしはひげをたたき、マキガイもラバの頭に上って鼻を噛んだ。)
これは、かつての社会の“人不為己,天誅地滅”ren2bu4wei2ji3 tian1zhu1di4mie4 (自分のためを謀らない人には、天地の罰が当たる)という社会意識を反映し、人と人の間の赤裸々な利害関係を反映していた。
中華人民共和国成立後、繞口令の内容にも明らかな変化が見られるようになった。
例えば、1960年代に流布した繞口令《賠缽缽》:
“你婆婆借給我婆婆一個缽缽bo1bo,我婆婆打爛了你婆婆的缽缽。
我婆婆買来一個缽缽,還給你婆婆。
你婆婆説什麼也不要我婆婆賠缽缽,我婆婆硬気把買来的缽缽還給你婆婆。”
(あなたのお母さんが私のお母さん(義母)に鉢を貸してくれた。私のお母さんはあなたのお母さんの鉢を壊してしまった。私のお母さんは新しい鉢を買ってきて、あなたのお母さんに返した。あなたのお母さんはどうしても私のお母さんが鉢を弁償する必要はないと言い、私のお母さんはどうしても買ってきた鉢をあなたのお母さんに返すと言い張った。)
これは、1960年代の社会の人間関係を反映しており、当時の建国間もない時代の人々の意識が表現されている。
(二)繞口令は舌がこんがらがればこんがらがるほどおもしろい
繞口令の特徴は、同じ声母が並んだり、韻が重なった語句や、発音が同じ、或いは良く似た語句や、混同しやすい文字を意識的に同じところに集め、組み合わせて簡単で面白い韻を踏んだ語句を作り、読んでみると舌がこんがらがり、しかし大変面白い言語芸術である。提起すべきは、繞口令は言語訓練の良い教材であり、真面目に繞口令を練習すると、頭の回転を良くし、ことばが明晰になり、発音がはっきりし、吃音を防ぐことができ、また閑な時に人を笑わせることのできることばの遊びである。
例えば、
■ 山前有個厳圓眼,山后有個楊眼圓,二人山前山后来比眼;
不知厳圓眼比楊眼圓的眼圓,還是楊眼圓比厳眼的眼圓。
厳さん、楊さんというふたつの姓のまんまる眼(まなこ)を持った人の話。
(山の手前に厳のまんまる眼、山の向こうに楊のまんまる眼がいて、ふたりは山の前と後ろで互いの眼を比べた。厳のまんまる眼が楊のまんまる眼の眼より丸いか、楊のまんまる眼が厳のまんまる眼の眼より丸いかわからない。)
日本語で言ってもこんがらがりそうな話である。
《算卦的和挂蒜的》は、韻を踏んだ調子が良い。
■ 街上有個算卦的,還有一個挂蒜的。
算卦的算卦,挂蒜的売蒜。算卦的叫挂蒜的算卦,挂蒜的叫算卦的買蒜。
算卦的不買挂蒜的蒜,挂蒜的也不算算卦的卦。
(街に八卦見がいて、またニンニクを吊るしている男がいた。八卦見は占いをし、ニンニクを吊るしている男はニンニクを売っていた。八卦見はニンニクを吊るしている男に占いをするよう言い、ニンニクを吊るしている男は八卦見にニンニクを買うように言った。八卦見はニンニクを吊るしている男のニンニクを買わず、ニンニクを吊るしている男は八卦見に占いをしてもらわなかった。)
これらふたつの繞口令は、たいへん妙趣に富んでいる。
繞口令の構造には、“対遇式”と“一貫式”の二種類がある。“対遇式”は、ふたつの句が対遇、つまり相対し、並行して順繰りに展開していく。
例えば、
■《四和十》四是四,十是十;
要想説対四,舌頭碰牙歯;要想説対十,舌頭別伸直;
要想説対四和十,多多練習十和四。
(四は四、十は十。正しく四を言うには、舌の先を歯に当てなければならない。正しく十を言うには、舌の先を伸ばしてはいけない。正しく四と十を言うには、もっと十と四を練習しなければならない。)
対遇式の繞口令で最も有名なのは、民間に流布している“繞口聯”で、例えば、
■ 童子打桐子,桐子 落,童子 楽;
丫頭齦鴨頭,鴨頭 咸,丫頭 嫌。
(男の子が桐の木を叩くと、桐の実が落ちてきたので、男の子は喜んだ。
女中がアヒルの頭を食べる(噛む)と、アヒルの頭は塩辛かったので、女中は嫌がった。)
この“繞口聯”は、同音異義で、舌が回りづらく、たいへん巧妙に作られている。
■ 求自在不自在,知自在自然自在;
悟如来想如来,非如来如是如来。
(自在を求めても自在にはならないが、自在を知れば自ずと自在になる。
如来を悟って如来を思えば、如来にあらざれどもかくのごとく如来である。)
上の聯と下の聯にそれぞれ四つの“自在”と“如来”が出てきて、この四回それぞれの意味が異なり、味わいがある。
“一貫式”の繞口令は、一気呵成で、句と句が合い繋がり、次第に内容が深まっていく。
例えば、
■ 遠望一堆 灰,灰上蹲個亀,亀上蹲個鬼。
鬼儿無事挑担水,湿了亀的尾,亀要鬼 賠 亀的尾,鬼要亀 賠 鬼的水。
(遠く積った灰を見ると、灰の上に亀がうずくまっており、亀の上には鬼がうずくまっていた。鬼はすることもないので天秤棒で水を担いだが、亀の尾を濡らしてしまった。亀は鬼に亀の尾の弁償をしろと言い、鬼は亀に水を弁償しろと言った)
■ 化肥発灰,灰化肥発。
化肥発灰 会 揮発,灰化肥 揮発会発,灰化肥発 揮発会発灰。
(黒い化学肥料が灰になった、灰の化学肥料が黒くなった。黒い化学肥料は灰になり揮発した。灰の化学肥料は揮発して黒くなった。灰の化学肥料は黒くなり揮発して灰になった。)
■ 一面小花鼓,鼓上画老虎。
宝宝敲破鼓,媽媽拿布 補,不知是布 補 鼓,還是布 補 虎。
(一個の太鼓があり、太鼓の上には虎の絵が描かれていた。宝宝は太鼓を叩いて破ってしまったので、お母さんは布を持ってきて修理したが、布で太鼓を修理したのか、布で虎の絵を繕ったのか、わからない。)
■ 墻上一根釘,釘上挂条縄,滑落縄下瓶,打碎瓶下灯,砸破灯下盆。
瓶打灯,灯打盆,盆罵灯,灯罵瓶,瓶罵縄,縄罵釘,釘怪縄,縄怪瓶,瓶怪灯,灯怪盆。
叮叮当当当当叮,乒乒乓乓乓乓乒!
(壁に一本の釘があり、釘には縄がかかっていて、縄の下の瓶が滑り落ち、瓶の下の電灯を打ち壊し、電灯の下のたらいを打ち壊した。
瓶は電灯を打ち、電灯はたらいを打ち、たらいは電灯を罵り、電灯は瓶を罵り、瓶は縄を罵り、縄は釘を罵り、釘は縄を恨み、縄は瓶を恨み、瓶は電灯を恨み、電灯はたらいを恨んだ。)
これらを見ていくと、繞口令の多くはふざけた感じで生き生きとしており、リズミカルである。方言で朗読したものはより郷土の特色が濃厚となり、毛沢東は生前、繞口令を好んだ。ある時、彼は中南海文工団の余という名の四川省出身の女兵士から、四川方言の繞口令を教わった。“一出南門走六歩,碰到六舅和六叔。好六叔,好六舅,借我六升六斗好緑豆。過了秋,再還六叔六舅六升六斗好緑豆。”四川語の“六”、“緑”、“陸”の音は似ている。毛沢東は声を出して言えば言うほどおもしろくなり、“過了秋”のところを何気なく“收了秋”に変えて言ったところ、うまい具合に穀物を収穫する情景が体現できるようになった。
伝統的な繞口令は、多くはただ字句の“諧音”(音が同じか似ていること)のみ重視し、その内容には重きを置いていなかった。しかし、現在、民間で新たに創作される繞口令は、
中身もあるものになっている。
例えば、
■《数獅子》“公園有四排石獅子,毎排是十四只大石獅子,
毎只大石獅子背上是一只小石獅子,毎只大石獅子脚辺是四只小石獅子,
史老師領四十四個学生去数石獅子,你説共数出多少只大石獅子和多少只小石獅子?”
(公園に四列の石の獅子がおり、各列には十四匹の大きな石の獅子がおり、どの大きな石の獅子も背中に一匹の小さな石の獅子を背負い、どの大きな石の獅子も脚の横に四匹の小さな石の獅子がいた。史先生は四十四人の学生を連れて石の獅子を数えに行った。さて、全部で何匹の大きな石の獅子と何匹の小さな石の獅子がいるでしょう。)
算数の文章問題のようになっている。
内容が意味深長な繞口令もある。
■“一些事没有人做,一些人没有事做,一些没有事做的議論做事的做的事;
議論做事的総是没事,一些做事的総有做不完的事,一些没有事做的不做事不碍事,一些有事做的做了事却有麻煩事;
一些不做事的挖空心思惹事,譲做事的做不成事,大家都不做事是不想做事的做事;
做事的做不成事傷心,不做事的不做事開心。”
(いくつかの事は誰もやらない。何人かの人は何もすることがない。何人かの何もすることが無い人が何かをした人のした事を議論した。何かをした人のことを議論しても総じてどうということもない。何人かの何かをした人にはいつもやり終わらなかった事があり、何人かの何もすることがない人のしなかった事はするのを妨げられている事ではなく、いくつかのある事をした人がした事は面倒くさい事である。何人かの何もしない人が知恵を絞って引き起こした事は、できる人にできなくさせる事であり、皆がしない事は何もしたくない人がする事である。できる人はできなかった事で悲しみ、何もしない人は何もやらなかったので愉快である。)
・挖空心思 wa2kong1xin1si1 苦心惨憺する。ない知恵を絞りだす
こうなると、単なることば遊びの域を超え、思想的、教訓的な意味合いも出てくる。
二、代表的な繞口令
(一)声母が同じの繞口令
“声母”は漢字の音節の最初の子音のことで、“声母”が同じ語句を集めた繞口令である。
■ b-p:補破皮褥子不如不補破皮褥子(《補皮褥子》)
■ b-p:吃葡萄不吐葡萄皮儿,不吃葡萄倒吐葡萄皮儿(《葡萄皮儿》)
■ d:会燉我的燉凍豆腐,来燉我的燉凍豆腐,不会燉我的燉凍豆腐,
就別燉我的燉凍豆腐。
要是混充会燉我的燉凍豆腐,燉壊了我的燉凍豆腐,哪就吃不成我的燉凍豆腐
(《燉凍豆腐》)。
■ l:六十六歳劉老六,修了六十六座走馬楼,楼上擺了六十六瓶蘇合油,
門前栽了六十六棵垂楊柳,柳上拴了六十六個大馬猴。
忽然一陣狂風起,吹倒了六十六座走馬楼,打翻了六十六瓶蘇合油,
圧倒了六十六棵垂楊柳,吓跑了六十六个大馬猴,気死了六十六歳劉老六
(《六十六歳劉老六》)。
■ d-t:大兔子,大肚子,大肚子的大兔子,要咬大兔子的大肚子
(《大兔子和大肚子》)。
(二)韵母が同じの繞口令
“韵母”は漢字の音の声母のうしろに付く母音のことである。ここでは、“韵母”が同じ語を集めた繞口令を紹介する。
■ a:門前有八匹大伊犁馬,你愛拉哪匹馬拉哪匹馬(《伊犁馬》)。
■ e:坡上立着一只鵞 e2,坡下就是一条河。
寛寛的河,肥肥的鵞,鵞要過河,河要渡鵞。
不知是鵞過河,還是河渡鵞(《鵞》)。
■ i:一二三,三二一,一二三四五六七。
七个阿姨来摘果,七個花籃儿手中提。
七棵樹上結七様儿,蘋果、桃儿、石榴、柿子,李子、栗子、梨
(《七棵樹上結七様儿》)。
■ u:鼓上画只虎,破了拿布補。不知布補鼓,還是布補虎(《鼓上画只虎》)。
■ ai:買白菜,搭海帯,不買海帯就別買大白菜。
買売改,不搭売,不買海帯也能買到大白菜(《白菜和海帯》)。
■ an:出前門,往正南,有個面舗面衝南,門口挂着藍布棉門簾。
摘了它的藍布棉門簾,棉舗面衝南,給他挂上藍布棉門簾,面舗還是面衝南
(《藍布棉門簾》)。
■ ang—eng:長城長,城墻長,長長長城長城墻,城墻長長城長長(《長城長》)。
■ iou:一葫芦酒,九両六。一葫芦油,六両九。
六両九的油,要換九両六的酒,九両六的酒,不換六両九的油(《酒換油》)
■ ian:半辺蓮,蓮半辺,半辺蓮長在山澗jian4辺。
半辺天路過山澗辺,発現這片半辺蓮。
半辺天拿来一把鎌lian2,割了半筐kuang1半辺蓮。
半筐半辺蓮,送給辺防連(《半辺蓮》)。
■ iang:楊家養了一只羊,蒋家修了一道墻。
楊家的羊撞倒了蒋家的墻,蒋家的墻圧死了楊家的羊。
楊家要蒋家賠楊家的羊,蒋家要楊家賠蒋家的墻(《楊家養了一只羊》)。
■ ua:一个胖娃娃,画了三個大花活蛤蟆;
三個胖娃娃,画不出一個大花活蛤蟆。
画不出一個大花活蛤蟆的三個胖娃娃,真不如画了三個大花活蛤蟆的一個胖娃娃。
(《画蛤蟆帽》)。
■ uo(o):狼打柴,狗焼火,猫儿上炕kang4捏窩窩wo1wo,
雀儿飛来蒸餑餑bo1bo(《狼打柴狗焼火》)。
■ ong:衝衝栽了十畦葱,松松栽了十棵松。
衝衝説栽松不如栽葱,松松説栽葱不如栽松。
是栽松不如栽葱,還是栽葱不如栽松?(《栽葱和栽松》)
■ uan—uang:那辺劃来一艘船,這辺漂去一張床,船床河中互相撞,
不知船撞床,還是床撞船(《船和床》)。
■ üan:圓圈圓,圈圓圈,圓圓娟娟画圓圈。
娟娟画的圈连圈,圓圓画的圈套圈。娟娟圓圓比圓圈,看看誰的圓圈圓
(《画圓圈》)。
【原文】百度百科《繞口令》http://baike.baidu.com/view/1815.htm?fr=ala0_1_1
韻を踏む、というのが、中国語のことばの調子の良さ、美しさのひとつの表現で、漢詩の表現などが代表的なものだが、日常の会話でも“諧音”としてよく見られる。日本語のしゃれことばに相当するが、それをことば遊びに応用したのが“繞口令”であると言えると思う。