中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

中国語の音韻による修辞(1)

2010年05月09日 | 中国語
 今回は押韻、平仄といった、中国語の音韻による修辞について、みていきたいと思う。
テキストの原文は、胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年である。

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 中国語を話す人々は、音声の美しさに注意を払う。このことは、中国語の語音の特徴と切り離せない。中国語は、母音が優勢を占め、声調による抑揚の変化と音節の長短の配合により、音楽性に富んでいる。千数百年にわたり、中国人は言語の音律の研究と運用を重視し、韻文で音律の調和に注意を払うだけでなく、散文でも、「リズミカルで朗々と読むことができる」(中国語で“鏗鏘有声,琅琅上口”)ことを要求された。
・鏗鏘 keng1qiang1 楽器などのリズミカルな音
・琅琅 lang2lang2 明るく澄んだ読書の声。朗朗
・上口 shang4kou3 朗読が流暢である。すらすら読める。“琅琅上口”で、詩文などがすらすらと口から出てくる

  先人は、中国語の特徴に基づき、多くの音声美に注意を払った言語形式を創造した。詩歌、戯曲、説唱文学(語りの部分と歌の部分を含む芸能形式。唐代の“変文”、宋代の“諸宮調”、現代の“評弾”、“大鼓”など)等が一定の格律を持つだけでなく、成語や格言等も、音の美に注意が払われている。

 ことばは音と意味の結合である。ことばが構成する文には、音の配合の問題がある。音をうまく組合せることは、意味の表現伝達の助けになる。ある文章は、読んでみると、「音の調子がリズミカルで、耳に快く、聞く人を感動させる」(中国語で“声調鏗鏘,悦耳動聴”)。ある文章は、「舌が回らず言いにくく、耳ざわり」(中国語で“拗口刺耳”)で、読み終えるのが困難である。

 曹靖華はこう言っている。“不但詩講節奏,散文也講這些,講音調的和諧。也応下字如珠落玉盤,流伝自如,令人聴来悦耳,読来順口,不致佶屈聱牙,聞之刺耳,給人以不快之感。” (詩がリズムに注意が払われるだけでなく、散文もこのように、音や調子の調和に注意が払われるべきである。また文字を選ぶ時は、真珠が玉の盆に落ちるように、自在に伝わり、聞く者の耳に快く、読んでも語呂が良くなければならず、ごつごつとして読みづらく、聞くと耳ざわりで、人に不快感を与えるようではだめである。)(曹靖華《談散文》(《飛花集》P293上海文藝出版社1978年)
・珠落玉盤 zhu1luo4yu4pan2 真珠が玉の盆の中に落ちるように、音が聞く人を感動させること
・佶屈聱牙 ji2qu1ao2ya2 文章がごつごつして読みづらい。

                   (一)音韻の調和

 音韻の調和は主に音、韻、声調の組合せを指す。音と韻の組合せは、“双声”(“丁当”ding1dang1、“倣佛”fang3fu2 のように同じ声母(子音)をもつ二字から成る語)“畳韻”(“闌干”lan2gan1、“千年”qian1nian2 のように、2音節の二つの文字の韻母(母音)が同じ語)と“押韻”の問題が現れる。声調との組合せでは、平仄の問題が現れる。

1、双声と畳韻の利用 

 双声と畳韻は中国語独特の語音を利用した表現内容の形式である。二つの音節の声母が同じものを双声と言い、韻母が同じものを畳韻と言う。中国の古典詩の中で双声、畳韻を運用したものが数多くあり、現在使われている多くの成語でも、“意気風発”、“粗茶淡飯”、“循序漸進”、“流離失所”、“惨淡経営”、“冠冕堂皇”等、双声、畳韻の方法を運用して構成されている。
・意気風発 yi4qi4feng1fa1 意欲に満ちあふれて気持が奮い立つさま。[双声]
・粗茶淡飯 cu1cha2dan4fan4 質素な食事[畳韻]
・循序漸進 xun2xu4jian4jin4 順を追って次第に進む[双声]
・流離失所 liu2li2shi1suo3 さすらって身を落ち着ける所がない。路頭に迷う[双声]
・惨淡経営 can3dan4jing1ying2 事を進めるのに苦心惨憺する[畳韻]
・冠冕堂皇 guan1mian3tang2huang2 表向きは堂々としてりっぱである[畳韻]

 多くの“聯綿詞”(連綿語。声母、または韻母が同じか類似した二つの音節で構成される単語。双声詞(声母が同じ。“倣佛”fang3fu2、“伶俐”ling2liなど)、畳韻詞(韻母が同じ。“闌干”lan2gan1、“逍遥”xiao1yao2など)、それ以外(“妯娌”zhou2li、“瑪瑙”ma3nao3など)がある)で、それを構成する二つの音節が常に双声関係、或いは畳韻関係である。例えば、“輝煌”hui1huang2、“慷慨”kang1kai3、“陸離”lu4li2、“逍遥” xiao1yao2、“従容”cong2rong2、“輾転”zhan3zhuan3 などがある。

 優秀な散文作家の中には、双声や畳韻の利用に注意し、ことばの美感を生みだしている人もいる。こうした言語の形式美は、人に与える印象が強い。
(1)她唱的響亮而圓転:当她的船箭一般駛過去時,余音還裊裊的在我們耳際,使我們傾聴向往
・余音裊裊 yu2yin1niao3niao3 余韻が嫋嫋(じょうじょう)として消えない

(2)我必須立刻把它写下来,我願意把它写在奔騰叫嘯而又安静温柔的長江一起,因為它使我聯想到我前天想到的“戦斗―― 航進 ――穿過夜走向黎明”的想像,過去,多少人,従他們艱巨戦斗中相望着一個美好的明天呀!而当我承受着像今天這様燦爛的陽光和清麗的景色時,我不能不意識到,今天我們整個大地,所吐露出来的那一種芬芳寧馨的呼吸,……
・奔騰叫嘯 ben1teng2jiao4xiao4 ごうごうと音をたてて勢いよく流れる。“奔騰呼嘯”とも言う
・燦爛 can4lan4 光り輝く
・寧馨 ning2xin1 すばらしい

(3)真的猛士,敢于直面惨淡人生,敢于正視淋漓鮮血
・鮮血淋漓 xian1xue4lin2li2 血がしたたり落ちる

 上の三つの例の中で、ある文は形式が整っていて、双声と畳韻がはるかに向かい合い、読んでみると均整のとれた韻律美がある。ある文は形式が錯綜し、双声と畳韻が踵を接して来て、声に出して読むと波乱万丈で、情緒たっぷりだ。

2、詩や歌の押韻

 “押韻”とは異なる文の同じ位置で、韻母中の“韻復”(韻母の中の主要母音。例えば“iang”中の“a”)が同じ、或いは“韻復”と“韻尾”が同じ字を使うことを指す。通常は文の末尾に置くので、“韻脚”と言う。

(4)海的眼色像初秋的晚霞, (xia)
  刹那間可以千変万化; (hua)
  漁家姑娘最愛的本色――
  藍錦緞上繍几条雪白的花 (hua)

(5)大雪圧青松,
  青松挺且直; (zhi)
  要知松高潔,
  待到雪化時。 (shi)

 上の二つは韻を踏んだ詩だが、押韻の状況は同じではない。例(4)は第一句で入韻し、一・二・四の三句で押韻がある。韻母の状況からみると、首句の末字は“ia”、二、四の両句は“ua”である。しかし韻復は何れも“a”であり、韻を踏んでいると見做すことができる。例(5)では第一句は入韻しておらず、二、四の両句に押韻がある。

 韻のある詩歌で、第一句は押韻のあるものと無いものがあるが、大切なのは、第二、四句は韻を踏まなければならないということである。したがって、一般に韻脚は偶数番目の句に置かれる。

 現代の韻文は一般に十三轍、或いは十八韻を押韻の拠り所としている。それに近い“轍”(zhe2 戯曲、雑曲、歌詞などの韻)でも韻を踏んだと見做すことができる。
例えば:
(6)小小的一根火柴, (chai)
  劃開了一個新的境界。 (jie)
  好大的火,荒原成了火海! (hai)
  火花飛舞着、旋転着,火柱直衝到九宵雲外! (wai)

 詩歌は一般に一句おきに押韻があるが、時には全ての句に押韻があってもよい。例えば:
(7)我凭依着南窓遠望。 (wang)
  西方的天際一抹斜陽, (yang)
  那儿是薔薇花的故郷, (xiang)
  那儿有金色的明星倘佯。 (yang)
  晩風喲,你是這様的清凉, (liang)
  少時頃你会吹到那西湖辺上, (shang)
  你假如遇着我那姑娘。 (niang)
  你請道我呀平安無恙。 (yang)

 また少数の詩では“随韻”、“交韻”、“抱韻”を用いている。“随韻”とは、二句ごとに韻を取り換えることを言う。例えば聞一多の《発現》の韻脚は、“涙、対;我、火;喜、你;崖、愛;風、胸;你、里”である。劉半農の《教我如何不思她》後半の韻脚は、“流、遊;話、她;揺、焼;霞、她”である。“交韻”とは、四行一節の詩の中で、一、三の両句に押韻があり、二、四の両句に押韻があることを言う。例えば、卞之琳の《大車》の韻脚は、“金、歩、林、土;想、雄、方、風”である。“抱韻”とは、四行一節の詩の中で、第一、四の両句に押韻があり、第二、三の両句に押韻があることを言う。例えば蹇先艾の《雨晨遊龍潭》は、第一段の韻脚が“回、彩、霾、飛”であり、第二段の韻脚が“大、泉、山、花”である。

 中国語で、伝統的な民間の詩歌は皆、押韻がある。中国の新しい詩も大部分が韻を踏んでいる。時には押韻のため、作者は語順を変えないといけない場合がある。例えば郭小川の詩で、
(8)粛殺的秋天畢竟過了,繁華的夏日已経来臨,
  這香甜的甘蔗秘喲,哪還有青紗帳里的艱辛!
  時光像泉水一般涌啊,生活像海浪一般推進,
  那遥遠的青紗帳喲,哪曾有甘蔗林里的芳芬

(9)我們的祖国
         為了撫育我們
                  従来没有吝惜過辛労,
  現在我們長大成人了
                該怎様奮不顧身地
                           把祖国答報

 ここでは韻を踏むため、“芬芳”をひっくり返して“芳芬”とし、“報答”をひっくり返して“答報”としている。これは修辞のために採った臨時の措置で、勝手に造語したと叱責することはできない。

3、音の言いづらさ(“拗口”ao4kou3)を避ける

 ことばの運用で、ことばがすらすら言えて耳に心地よいことに気をつけなければならず、それにはことばの間の音の組合せに注意しなければならない。音の組合せがうまくないと、言いづらく、耳ざわりになる。中国語の中に、早口言葉(“拗口令”、或いは“繞口令”)がたくさんあるが、音の良く似たことばをうまく組み合わせ、言うのに苦労し、聞くのもたいへん骨が折れる。したがって、文章を書く時は音の似ている字をいっしょに組合せることは避けなければならない。いくつかのことばは見ただけでもよくわかり、口に出して言ってみると、わずらわしい感じがする。例えば、“黄土高原 套平原”は、読んでみると、“黄土高原 套平原”のようにすらすら言うことができない。また、“他口頭上説得冠冕堂皇,事実上并不実事求是”は、“他口頭上説得冠冕堂皇,実際上并不実事求是”とした方がずっと言い易い。

 音の言いづらさを避けるには、平仄の調和にも注意しなければならない。中国語は声調のあることばで、中国語の音節の組合せで、声調の協調運用に注意することはことばの美感を大いに増強することができる。

 音の平仄の調和に注意することは、決して推測不可能なことではない。多くの四字格の成語は平仄の協調に注意が払われている。例えば、
“前功尽棄”、“餐風飲露”、“単槍匹馬”、“来龍去脉”、“銅墻鉄壁”、“偸工減料”等は皆“平平仄仄”である。
“視死如帰”、“異想天開”、“画餅充飢”、“問道于盲”、“断簡残編”、“痛改前非”等は仄仄平平である。
 四字格の中の平仄の対応は、読んでみると十分耳に心地よい。

 いくつかの文章はこうした平仄の対応関係に注意し、読んでみると抑揚が巧みである。
(10)一張白紙,没有負担,好写最新最美的文字,好画最新最美的画図

(11)大歴四年的冬天,寒流侵襲潭州(長沙),大雪下得家家灶冷戸戸衣単

 例(10)の上句の“白紙”は平仄で、下句の“負担”は仄平である。上句の“文字”は平仄で、下句の“画図”は仄平である。ここでは“画図”を用い“図画”を用いないのは、明らかに平仄の協調を斟酌してのことである。

 例(11)の“家家灶冷”は平平仄仄、“戸戸衣単”は仄仄平平である。筋回しがよく、調和がとれ聞く人を感動させる。

 平仄の配列に注意しないと、書いた文は、読んでみるとたいへん言いづらい。
例えば:
(12)是四月天,天上没有一絲雲,日頭光炎炎的。風是又悶又熱,地上干裂了縫,有一指寛。這是副産区,以果菜為主。果樹焦了梢,菜儿蔫了叶,一連八个月没有下一場像様的雨。……
  この文の句式の運用、音節の配合には多くの問題があり、声に出してみると、たいへん耳ざわりである。ことばがばらばらで、統一した構成がなく、まるで指揮者のいないオーケストラのようで、各人がそれぞれの調子で演奏していて、雑然としている。最後の一句“場像様”の三文字は音が類似しており、また仄音ばかり続き、読むのに骨が折れる。

 まとめると、平仄の調和は主に二つの面で表現される。一つは異なるセンテンスの末尾は平仄の呼応に注意しなければならない。一般に前が仄、後ろが平である。もう一つは、同一のセンテンスの中で平仄の重複と変化に注意しなければならない。一般に二文字で変わる。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年