中国・中央電視台の人気番組、《百家講壇》で放映された、中国師範大学 于丹教授の講演、《論語心得》の原文を読んでいます。是非、ビデオ版の講演で、于丹教授の歯切れの良い、中国語を味わってください。“百家講壇 于丹 論語心得”で検索すると、ヒットするはずです。
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□[1] これは何と誇らしいことだろうか。一人の人間が富める生活に惑わされることなく、また貧しくとも人としての尊厳と精神の快楽を維持することができるとは。このような儒家思想は継承され、歴史上、多くの精神の豊かな君子が出現した。東晋の詩人、陶淵明はその中の一人である。 陶淵明は83日間だけ彭澤の県令をしたことがある。それはごく小さな官吏であった。そしてある事件により、彼は官を辞して故郷へ帰った。ある人が彼に、上部の役所から人を派遣し仕事の検査に来るので、「束帯して之に見(まみ)え」なければならないと言った。つまり今日と同様、正装し、ネクタイを締めて、上役に会わなければならないと言う。陶淵明は言った。「我、五斗米の為に郷里の小児(田舎のこわっぱ)に向け腰を折る能わず。」つまり、彼はこのような役職の「給料」を守る為に、人にぺこぺこしたくなかった。そこで佩用した官印を置いて、故郷に帰った。家に帰ると、彼は自分の心情を《帰去来の辞》に著した。 彼は言う。「既に自ら心を以て形を役すに、なんぞ惆悵して独り悲しむ。」私の体はもう、心の欲するところに任せることにした。それは、良い物を食べ、良い所に住む為には、人にぺこぺこし、こびへつらわざるを得ず、心に多大な苦痛を受けたからに他ならない。「悟りて、已に往くものは諌めず、来るものは追うべしと知り」(過去のことはとやかく言ってもしかたがない。これから来る未来を追求するべきだと悟り)、そして故郷の田園に帰ってきた。陶淵明の真意は、詩の中に置かれた虚構の田園にあるのではなく、より重要なのは、彼が一人一人の心の中に一片の楽土を拓いたことにある。
■[2]
□[2] 「貧困に安んじて道を楽しむ」というのは、現代人の眼からは、頗る向上心に欠ける感じがする。このような激烈な競争を前にして、全ての人が自分の事業を発展させようと努力しており、収入の多少、職位の高低が、一人の人が成功したか否かの標しになっているかのようである。しかし、競争が激烈であればあるほど、益々精神状態を調整し、他人との関係を調整することが必要になる。それでは、現代社会で、私達はどのような人となりにならなければならないのだろうか。 ここで、また子貢が先生に、たいへん大きな問題を問うた。「一言にして、終身これを行うべきもの有るか。」先生、私に一字で、一生実践することができ、且つ永遠に有益な文字を教えてくださいませんか。先生は相談するような口調で彼に言った。「それ“恕”か。」もし一文字で言うとすれば、それは“恕”という文字であろう。どういうことを“恕”と言うのか。先生はそこで八文字を用いて解釈した。すなわち、「己(おのれ)の欲せざる所を、人に施すこと勿れ。」すなわち、あなた自身がやりたくない事を、他の人にやるよう強制してはならない、ということである。人は一生このことを実践できれば十分である。
■[3]
□[3] どういうことを「半冊の《論語》で天下を治める」というのか。時には一文字か二文字を学べば、一生涯それを用いることができる。これこそ本当の聖人というもので、聖人はあなたにたくさんのことを憶えさせようとはせず、時には一文字憶えれば十分であることもある。 孔子の弟子の曽子も嘗てこう言ったことがある。「夫子の道は、“忠恕”のみ。」先生は一生、学問の精華を学びなさいと言われた。それはつまり、“忠恕”の二文である。簡単に言うと、自己をしっかりと持ち、同時に他人を思いやるということである。 少しかみくだいて言えば、“恕”とは、他人に無理強いしてはならない、他人を傷つけてはならないということである。言外の意味は、もし他人があなたを傷つけても、できるだけ寛容でありなさい、ということである。しかし、本当に寛容であるのは口で言うほど簡単ではない。多くの場合、ある事情は本来もう過ぎ去ってしまっているのに、私達はまだ相変わらずそう思っている。このような憎むべきことを、どうして赦すことができるだろうか。そうして絶えず自分で咀嚼しているうち、一回一回また心が傷つくことになる。
■[4]
□[4] 仏教で一つ、おもしろい話がある。小坊主が老和尚と寺を出て托鉢に行き、川のほとりに来た時、一人の少女が川を渡れず困っていた。老和尚は娘に、「私がおまえをおぶって川を渡ってやろう」と言った。そして少女を背中に背負って川を渡った。小坊主はびっくりして目を見張り、口がきけなくなり、何も言うことができなかった。そうしてまた20里(10キロ)の道のりを歩くうち、我慢できなくなって、老和尚に言った。「お師匠様、私達は出家した者でありますのに、あなたはどうしてあの娘を背負って川を渡ることができたのですか。」老和尚は淡々と小坊主に言った。「ご覧、私はあの娘を背負って川を渡ってすぐ下ろしてやったのに、おまえはどうして20里もそのことを背負ったままでまだ下ろさないのかね。」 この話の道理は、実は孔子が私達に教えていることと同じで、重荷を下ろさないといけない時は下ろし、他人に寛容であれということで、自分の心を大空のように広々と、何のわだかまりもないようにしておきなさいということだ。何の所以(ゆえん)で「仁者は憂えず」と言うのか。あなたの心持ちが無限に大きければ、多くの事が自然と取るに足らない小さな事になるということだ。
■[5]
□[5] 生活の中で、全ての人が失業や、離婚、別居、友人の裏切り、肉親との別離に遭遇する可能性があるが、それが大事か小事か、客観的な基準は無い。このことは、1寸(3.3センチ)の長さのひっかき傷が、ひどい傷か、それともかすり傷と見做すかということと同じことである。もし甘ったれの女の子なら、一週間泣きわめき続けるかもしれない。もし大雑把な男なら、傷を負ってから治るまで、ずっと気付かないかもしれない。だから、私達の内心が甘ったれ「女」のようであるか、それとも大雑把な「男」のようであるかは、完全に自分で決めることができる。実際、《論語》が私達に教えるのは、事に遭遇してそれに対応できるにせよ放置するにせよ、自分の能力を尽くして助けを必要とする人を助けるべきであるということである。いわゆる「人にバラの花を与えれば、手にはその香りが残る」というのは、人に施しをするのは物を手に入れるよりもっと私達の心を幸福感で満たしてくれるということである。
■[6]
□[6] 皆さんがご存じのように、儒家理論の核心で最大の真髄は、“恕”以外にもう一つ、“仁”である。 孔子の弟子の樊遅は、嘗て極めてうやうやしく先生に“仁”とは何であるか尋ねたことがある。先生が彼に告げたのは“愛人”(人を愛せよ)の二文字だけであった。他人を愛することを仁”というのである。樊遅はまた、“智”とは何であるか尋ねた。先生は言った。「人を知ることである」と。他人を理解することを“智慧”という。他人のことに気を配り、愛することが“仁”であり、他人のことを理解することが“智”である。たったそれだけのことである。それでは、どうすれば仁愛の心を持った人になることができるのだろうか。孔子は言った。「己が立たんと欲して人を立たしめ、己が達せんと欲して人を達せしむ。能(よ)く近く譬(たと)えを取る、仁の方(みち)と謂うべきなり。」《論語・雍也》あなた自身が立とうと思うなら、すぐにできると思っても、他人を立たせなさい。あなた自身が理想を実現しようと思うなら、すぐにできると思っても、他人を助けて理想を実現させてあげなさい。自分の身近の小さな事から始めて、他人の身になって考えてやる。これこそ仁義を実践する方法である。
■[7]
□[7]確か大学の英語のテキストに、トルストイが書いた寓話が載っていたことを憶えている。その話というのは、ある国の王が毎日、三つの最も終極的な哲学の問題を考えていた。この世で、どのような人が最も重要であるか。どのような事が最も重要であるか。どんな時に実行するのが最も重要であるか。この三つの問題について、宮廷の大臣の誰ひとりとして、答えられる者がいなかった。彼はたいへん悩んだ。後にある時、彼はお忍びで城の外に出、辺鄙で遠い所まで行き、名も知らぬ老人の家に泊まった。夜中に、彼は騒がしい叫び声に起こされ、全身血だらけの男が老人の家に飛び込むのを見た。その男は、後ろから追手が来ていると言った。老人は、それなら私の所に隠れなさい、と言うと、その男を隠れさせた。国王はびっくりして眠れずにいると、しばらくして追手が来た。追手は老人に、一人の男が逃げて来なかったか聞いた。老人は、知りません、家には他に誰もいません、と答えた。そして追手が行ってしまうと、その追われている男はお礼を言って出て行った。老人は門を閉めると、また寝てしまった。翌日、国王は老人に訊ねた。どうしてあの男をかくまってやったのか。自分が殺されるかもしれないと恐れることがなかったか。そしてああしてあの男を出て行かせ、どうしてあの男がどういう人物なのか聞かなかったのか。老人は淡々と彼に言った。この世で、最も重要な人は今まさに自分の助けを必要としている人で、最も重要な事は直ちに実行することで、最も重要な時間は今で、一刻も遅れは許されない。国王は、はっと悟った。三つの長い時間考えても分からなかった哲学の問題が、あっという間に解決した。この話は、《論語》の脚注にすることができる。
■[8]
□[8] 実際のところ、孔子でも、荘子でも、陶淵明、蘇東坡からタゴールに至るまで、古今の中国内外の聖賢の意義はどこにあるのか。つまり、彼らの生活での体験を用い、私達一人一人にとって有用な道理を導き出しているのだ。これらの道理はあのレンガのような古典典籍ではなく、皆さん方に拡大鏡を持たせ、《辞海》をめくって、たいへん苦労して一生をかけ探究し理解したものである。真の聖賢は、もったいぶった様子で、顔をこわばらせて話をするようなことはしない。彼らは生き生きした人生経験を、時代を越え、今日まで語り伝え、私達の気持を今なお温かくしてくれる。彼らはといえば千古のかなたに居て、何も言わずに微笑み、注視しながら、私達が今も変わらず彼らの話の中から益を受けているのを見ているだけである。
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