中国語学習者のブログ

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『紅楼夢』第一回・その(2)

2025年01月06日 | 紅楼夢
 前回で甄士隠の幼い娘の英蓮への不吉な予言がこのあと的中するのか気になるところですが、隣の葫芦廟に住む、貧しい書生の賈雨村がこのあと登場します。

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 士隠が考え込んでいると、ふと隣の葫芦廟に身を寄せているひとりの貧しい儒者の姿が見えた。姓は賈、名は化、字は時飛、号を雨村という者である。この賈雨村は元々湖州の人で、学問で身を立て、役人を出す一族であったが、彼は一族が衰えた末世に生まれ、父母の代には先祖からの蓄えもあらかた使い尽くし、人口は衰え、ただ彼ひとりが残り、故郷にも家産無く、このため都に上って功名を得、再び一族発展の基礎を整えようと考えていた。前の年にここに来たのだが、生活に困り、しばらく廟の中に身を寄せ、毎日手紙の代書や文書を書いて生計を立てていたので、士隠はいつも彼とやりとりがあった。

 雨村は士隠を見るとすぐさま、急いで手を組んで礼をすると、おべっか笑いを浮かべて言った。「老先生、門のところにたたずんで外を眺めておられたが、街で何か変わったことでもあるんですか。」士隠は笑って言った。「そうではなくて、ちょうど娘が泣くものだから、外に連れ出してあやしているんですよ。本当に退屈で仕方ありません。賈さん、ちょうど良いところに来られた。書斎にお入りください。お互い一緒にこの長い昼をやり過ごしましょう。」そう言うと、家の者に娘を連れて入らせ、自分は雨村を連れて書斎に入り、子供の召使に茶を持って来させた。三々五々話をしたと思ったら、ふと家人が急ぎの知らせをもたらした。「厳の旦那様がお越しになりました。」士隠は慌てて立ち上がり、謝って言った。「せっかくお越しいただいたのに、お相手出来なくなりました。しばらく座っていてください。わたしはすぐ戻って来てお相手させていただきますので。」雨村は身を起こし、譲って言った。「老先生、お気遣いなく。わたしはいつも来ている者ですから、しばらくお待ちするなど何でもないですよ。」そう言っているうち、士隠はもうそこを出て入口の間に行った。

 書斎で雨村はしばらく詩籍をパラパラめくって気を紛らしていたが、ふと窓の外から女性が咳をする音が聞こえたので、雨村は立ち上がって外を見ると、ひとりの小間使いの女がそこで花を摘んでいた。彼女の容貌は俗ならず、目鼻立ちが清々しく、たいへんな美人という訳ではないが、人の心を動かすところがあり、雨村は思わず見惚れてしまった。その甄家の小間使いは花を摘んでいて、ちょうど行こうと思っていた時に、さっと頭を上げると、窓の中に人がいるのが見えた。ぼろぼろの布の旧い服を着、貧しい身なりではあるが、身体は腰回りがふっくらして背中が分厚く、顔が広く口の形が整っていて、眉はりりしく目はきらきらとし、鼻筋が通り頬骨が張っていた。この小間使いの女は、身体の向きを変えて視線を避けたが、心の中ではこう思った。「この方は体つきがこんなに雄々しいのに、こんな貧しい身なりをされている。このお宅にはこのような貧しいお友達はいらっしゃらないから、この方はきっとご主人様がいつもおっしゃっている賈雨村とかいう方に違いない。道理でこの方はいつまでも困窮されている人ではないとおっしゃった通りだ。いつもこの方のご援助をしたいとお思いだが、ただ良い機会が無いとか。」そう考えると、また一度ならず振り向いて覗かざるを得なかった。雨村は彼女が振り向くのを見て、この女は心の中では彼に気があると思い、遂に狂喜するを禁じ得ず、この女は人を見る眼がある、この厳しい世の中で知己(ちき)を得たと思った。

 しばらくして子供の召使が入って来たので、雨村が聞いてみると、あちらでは食事を出されると聞いたので、これ以上お邪魔してはと思い、遂に裏の通路を通って、勝手口から出て行った。士隠は、客の接待が終わり、雨村が既に帰ったと知ったが、再び呼びにやるようなことはしなかった。

 中秋の佳節に入ったある日、士隠の家では宴も終わったので、書斎にもう一席設け、彼は自ら満月の下を歩き、廟の中まで行って雨村を招待した。

 実は、雨村はあの日、甄家の小間使いの女が二度振り向いて自分を見たので、自ら知己を得たと思い、いつも心に気にかけていたが、今また正に中秋に当り、月に思いのたけを願うのを免れず、それで五言の律詩を口ずさんだ。

  未だ三生の願いを卜せず、頻(しき)りに一段の愁いを添える。悶(もだ)え来たりし時は額を
  斂(しか)め、行き去りて幾度頭(こうべ)を回(めぐ)らす。自ら風前の影を顧み、誰か月下
  の儔(とも)に堪えん。蟾(せん)光は意有るが如し、先に玉人楼に上(のぼ)る。


雨村は吟じ終えると、また思い返せば、平素からの抱負は、未だ良いチャンスにめぐり合えないのを苦しみ、それでまた頭をかいて天に向け長嘆し、高らかに一聯を吟じた。

  玉は匵(はこ)の中に在って善価を求め、釵(かんざし)は奩(こばこ)の内に于いて
  飛ぶ時を待つ。

ちょうど士隠が歩いて来てこれを聞き、笑って言った。「雨村兄の抱負は実に非凡なものですな。」雨村はそう聞いて追従笑いをして言った。「とんでもない、たまたま昔の人の句を吟じたまでで、何ぞこのような栄誉を期待しているものですか。」それで尋ねた。「老先生は何の興趣でこちらに来られたのですか。」士隠は笑って言った。「今夜は中秋、俗に「団圓の節句」と言いますから、貴兄が僧房に旅寓されていて、寂寥の感をお持ちと思いますので、特にちょっとした酒席をご用意し、貴兄を我が書斎にお招きして一献差し上げたく思いますが、わたしのご招待をお受けいただけますでしょうか。」雨村はそれを聞いて、別段断ることもなく、笑って言った。「もう誤った情愛をお受けしている以上、どうして敢えてその厚意に逆らうことがありましょう。」そう言うと、士隠とまたこちらの書院の中にやって来た。

 しばらく茶を飲んでいる間に、早くも酒杯の盆が設けられ、その美酒や佳き肴のことは、一々言う必要も無いだろう。ふたりは再び対座し、先ずはゆっくりと酒を注ぎ、自由に飲んでいたが、次第にお互い意気投合し、思わず知らず頻繁に杯を挙げ乾杯した。この時街では家々で管弦が奏でられ、歌声が聞こえ、頭上には一輪の明月がまばゆく輝き、ふたりは益々興が乗り、酒が注がれるや杯を干した。雨村はこの時もう七八分方出来上がっていて、突然強烈な興趣がわくのを禁じ得ず、すなわち月に対し思いを含ませ、口をついて絶句を一首吟じた。

  時に三五(十五夜)に逢い便(すなわ)ち団欒す、満把の清光は玉欄を護る。天上の一輪
  ようやく捧げて出づる、人間万姓頭(こうべ)を仰ぎ看る。

 士隠はそれを聞くと大声で叫んだ。「この上なくすばらしい。愚弟はいつも貴兄が久しく人下に居る人ではないと言っていましたが、今吟じられた句には、飛謄される兆しが見えています。近いうち、履物をお召しになり、天上高く上られましょう。まことにおめでとうございます。」それで自ら酒一斗を斟(く)み祝った。雨村はそれを飲み干し、ふと嘆いて言った。「わたしの酒後の狂言ではなく、もし時流に合った学問を論じるなら、わたしも或いは合格名簿に名前が載るかもしれませんが、ただ現在は都までの荷物や旅費が、全く工面の目途が立っていません。都までは遥か遠く、字や文章を書く仕事に頼るだけではどうしようもありません。」士隠は雨村が言い終わる前に、こう言った。「どうしてもっと早く言ってくれなかったのですか。わたしはとっくに援助してさしあげようと思っていたのに、いつもあなたとお会いしても、そうおっしゃってくれないから、わたしも唐突に申し上げる勇気がなかったのです。今そうと分かったからには、わたしは不才ではありますが、義理の二文字は承知しております。しかも喜ばしいことに、来年はちょうど大比(会試)に当っておりますから、貴兄は宜しく速やかに都に入り、春の試験にひとたび受かれば、貴兄が学んだことも無駄になりません。旅費やその他は、わたくしが代わりに処置しますから、あなた様が余計な心配をする必要は無いのです。」すぐに子供の召使に命じて五十両の銀を包んで来させ、また言った。「19日は黄道吉日に当っていますから、貴兄はすぐに船を仕立てて西に上れば、前途の飛躍を待つばかり。来年の冬にまたお目にかかる時は、どうして痛快ならざることがありましょうや。」雨村は銀の包みを受け取ったが、簡単に一言謝意を言っただけで、別に意に介さず、依然酒を飲み談笑をした。その日は太鼓三つ(真夜中)まで酒を飲み、ふたりはようやく分かれた。

 士隠は雨村を送ってから、部屋に戻って休み、そのまま太陽が空高く昇ってからようやく目覚めた。昨夜のことを思い出し、推薦書を二件書いて雨村に持たせて都に行かせ、雨村が仕官する家に渡して、そこに身を寄せられるようにしてやろうと思った。それで使いの者を行かせて請わせたが、その者が帰って来て言うには、「和尚様は、「賈さんは今日太鼓五つ(明け方)にはもう都へ発たれました。伝言を和尚から旦那様に伝えるよう言付かりました。「読書人は「黄道」でも「黒道」でもどうでもよく、必ず事が道理に合うことが肝要で、お目にかかってご挨拶するに及ばぬ。」と。」士隠はそう聞くと、またそうしておく他無かった。

 真に閑な時は時間の経つのが早いもので、たちまちまた元宵の佳節がやって来た。士隠は召使の霍啓に英蓮を抱かせて民間芸能の出し物や飾り提灯を見に行ったのだが、夜半に霍啓が小便をするため、英蓮をある家の敷居の上に座らせ、小便を済ませてまた抱こうとすると、英蓮の姿はどこにも無かった。慌てた霍啓はそのまま夜中までずっと捜したが、夜明けになっても見つからず、かの霍啓も家に戻って主人に会う勇気がなく、自分の故郷へ逃げてしまった。

 かの士隠夫婦は娘が一晩中帰って来ないので、何か良くないことがあったと知り、もう一度何人かに捜しに行かせたが、帰って来た者皆、何の手がかりも無いと言った。夫妻には半生この娘しか生まれておらず、ひとたび失うと、なんという悩み苦しみだろう。このため昼も夜も泣きぬれ、ほとんど命も顧みなかった。こうしてひと月すると、士隠が先に病を得、夫人の封氏も娘のことを思って病気になり、日々医者に来てもらい、八卦見に見てもらった。

 思いがけずこの日、3月15日、葫芦廟の中でお供えの揚げ菓子を作っていて、かの和尚が不注意で天ぷら鍋に引火し、窓に貼った紙が燃え出した。この地方の人家は皆竹の垣根に木の壁で、また劫の数もこのようであったに違いない、そして隣近所へ次々と燃え広がり、街全体が「火焔山」のように火の海となった。この時は軍隊も駆けつけて救助に当ったが、火は既に勢いがついてしまい、どうして救助などできようか。そのまま一晩燃えてようやく収まったが、どれだけの人家が焼けたか知れなかった。ただ気の毒なのは甄家が隣であったことで、とっくに瓦礫の山となってしまった。ただ彼ら夫婦と何軒かの家の人命は傷つくことがなかったが、焦った士隠は地団太を踏み、長嘆するばかりであった。妻子と話し合って田舎の農村に行って暮らすことにしたが、あいにく近年は旱魃で不作に見舞われ、盗賊が蜂起し、官兵が討伐していて、農村も安住し難く、田畑を売り払い、妻子とふたりの小間使いを携え、妻の姑(しゅうと)の家に身を寄せた。

 妻の姑の名は封粛と言い、原籍は大如州の人で、農業を生業(なりわい)としていたが、家の中はまあまあ豊かであった。今、娘婿らが落ちぶれてやって来たのを見て、心中は幾分不愉快であったが、幸いに士隠がまだ田産を売った銀子を手元に持っていて、それを取り出し、彼に頼んで適当に家や土地を買ってもらい、それでこれからの生活をやり繰りするつもりだった。かの封粛はそれで金を半ば使い、半ばは自分の儲けにして、あらまし士隠に痩せた田畑とあばら家を押し付けた。士隠はすなわち読書人であり、農事のあれこれには不慣れで、なんとか一二年は持ちこたえたが、益々困窮してしまった。封粛は面と向かっては、適当なことを言ってお茶を濁すが、表面(おもてづら)と裏の本音があり、また士隠に生活力が無く、もっぱら美食ばかりして何もできないのを怨んでいた。士隠はこうしたことが分かり、心の中では未だ後悔の気持ちを免れなかったが、年をとって怯えがひどくなり、行き詰って憤懣やるせなかった。既に人生の終盤にさしかかり、貧しさと病に同時に襲われたのにはなんとか持ちこたえたが、遂にあの世の光景も次第に見えるようになってきた。折も折、この日は杖をついて身体を支え、街に出て気晴らしをしていると、ふとあちらからびっこの道士がやって来るのが見えた。気違いじみているが、細かいことには拘らぬ様子で、麻縄で編んだ靴、ぼろぼろの服を着て、口の中でぶつぶつ詞句を念じた。

  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ功名を忘れられず。古今将相(将軍や宰相)
  何方(いずく)にか在る、(彼らの)荒塚は一堆の草に没す(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ金銀を忘れられず。終朝(終生)ただ恨む
 (金銀を)聚めるも多く無く、(金銀が)多き時に到るに(寿命が尽き)眼を閉ず(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ姣妻(美しい妻)を忘れられず。君生きれば日日恩情を
  説き、君死すれば又人に随いて去る(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ児孫(子や孫)を忘れられず。痴心(親ばか)の父母は
  古来多けれど、孝順(孝行)なる子孫を誰か見る(了)。

士隠はそれを聞き、道士を出迎えて言った。「あなたはずっと何を言っておられたのですか。「好了」、「好了」しか聞き取れませんでした。」その道士は笑って言った。「「好了」の二字を聞き取れたのなら、あなたは分かっておられる。世上の全ては、好ければ終わり(了)、終われば好しだ。終われなければ好くなく、好かれと思えば、終わらねばならない。私のこの歌は『好了歌』と言う。」士隠は生まれつき賢い人なので、こう言われるのを聞くと、心の中ではとっくに悟り、それで笑って言った。「お待ちください。わたしがあなたの『好了歌』に注釈を付けてみますが、如何ですか。」道士は笑って言った。「やってみなさい。」士隠はすなわち説いて言った。

  陋室(あばらや)や空堂(あきや)も、当年(当時)は(高官が朝廷に上る時手に持つ)
  笏(しゃく)が床(寝台)に積まれていた。荒廃した空き地は、曾ては歌舞場であった。
  蜘蛛の巣が彫刻を施した梁一面を覆い、高価な緑の紗も今はあばら家の窓に貼られている。
  口紅が濃いとか白粉(おしろい)が香るとか言って、今や(年老いて)両鬢が真っ白になって
  いる。昨日は隴山の墓地に死者の骨を埋めたと思ったら、今宵は婚礼で赤い沙の帳(とばり)の
  鴛鴦床で寝ている。金が箱に満ち、銀が箱に満つと思えば、目を転じれば乞食となり人に
  そしられる。人の命の長からざるを嘆いていても、まさか自分が死んで葬られようとは。
  家で厳しく躾けても、将来強盗盗賊にならない保証は無い。娘を富貴な家に嫁入りさせても、
  誰が最後には落ちぶれて女郎に身をやつすなど想像できようか。役人の官服の帽子が小さいと
  嫌がっていると、手枷足枷を付けられ刑場に送られる。昨日破れた上着の寒さを悲しんでいると、
  今日は紫の蟒蛇(うわばみ)の刺繍の官服が長いと嫌がる。ワイワイガヤガヤ、そちらが歌い
  終わればこちらの出番。他郷と思っていた所が実は我が故郷。実にでたらめ。結局、他人の
  ために花嫁衣裳を作ってやっているようなもの。

かの気違いでびっこの道士はそれを聞いて、手を叩き大笑いして言った。「正にその通り、その通り。」士隠は一声「行きましょう」と言い、道士が肩に担いでいた袋を奪って背負うと、遂に家に帰らず、気違いの道士と一緒に飄々と行ってしまった。

 すぐさま街は大騒ぎになり、人々はこの事件をあちこちに伝えた。封氏はこの知らせを聞くと、嘆き悲しんだが、父親と相談し、人を遣って方々を尋ね歩かすしかなかった。どこに消息があるだろうか。仕方なく、父母に頼って暮らすしかなかった。幸い身辺にはまだふたりの昔からの小間使いが仕えてくれていたので、主人と召使三人で、日がな針仕事をし、父親の出費を助けた。かの封粛は毎日不平をこぼしていたが、どうしようもなかった。

 この日、かの甄家の小間使いの女が門前で糸を買っていると、ふと街にお役人の先払いの声が聞こえた。人々は言った。「新しい知県様が赴任された。」小間使いが門の内に隠れて見ると、先見の小役人が一組一組通り過ぎ、俄かに大駕籠に担がれ、黒い官帽、赤い官服を着た役人がやって来た。この小間使いはぼおっとし、ひとり思った。「このお役人はやさしそうな顔つきをされている。はて、どこかでお目にかかったような。」そして部屋に入ると、もうそのことは忘れてしまい、気にかけなかった。夜になってちょうど寝ようとしていると、ふと声がして門が叩かれ、多くの人が口々に叫んで言った。「当県の知県様からのお使いがお尋ねである。」封粛はそれを聞いて、びっくりして呆気に取られた。どんな禍(わざわい)が起こったか分からない。まずは次回の講釈をお聞きください。

 これで第一回は終了。第二回は、甄士隠が失踪した後、残された彼の妻の姑の封粛が、新しく赴任した知県の呼び出しを受け、役所に出頭するところから始まります。乞うご期待。