中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

『紅楼夢』第二回

2025年01月08日 | 紅楼夢
 第一回で、甄士隠は気の毒にも最愛の娘が行方知れずになり、また家財も火災で全て失い、絶望の果てに失踪してしまいました。そんな中、妻の姑の封粛が新任の知県(知事)に呼び出しを受けるのですが、果たしてその用件とは?また士隠の金銭的支援で、科挙の試験の受験のため都に上った賈雨村のその後はどうなったのでしょうか。紅楼夢第二回の始まりです。

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賈夫人は揚州城にて逝去し、冷子興は栄国府を物語る

 さて、封粛は知県様からの使者の呼び出しを聞き、急いで出て行って作り笑いを浮かべて尋ねると、これらの人はただ大声でこう言った。「早く甄様を出て来させよ。」封粛は慌てて笑みを浮かべて言った。「わたくしの姓は封といい、甄ではありません。ただ以前、娘婿に甄という者がおりましたが、もう出奔して一二年になります。してあやつに何をお尋ねで。」役人たちは言った。「我らも「真」や「假」や何のことか分からぬ。あんたの娘婿なら、おまえを連れて知県様の前で申し上げればそれでいい。」役人たちは封粛を引っ張って行ってしまい、封家の人々は驚き慌て、何事が起こったか分からなかった。

 二更の時分(夜の9時から11時の間)になって、封粛はようやく戻って来たので、人々は急いで事のあらましを聞いた。「実は新任の知県様は姓を賈、名を化といい、元は湖州の人で、曾て娘婿と旧交があり、我が家の門口で小間使いの嬌杏が糸を買っているのが見えたので、娘婿がここに移り住んでいると思ったので、お呼びに来られたのだ。わたしはいきさつをはっきりお答えすると、知県様は悲しんでため息をつかれた。また娘の生んだ女の子のことを聞かれたので、ランタンを見に行った時にいなくなったとお答えした。知県様は「わたしが人を出して、必ず捜し出そう」とおっしゃり、別れる時に、わたしに二両の銀子をくださったんだ。」甄家の嫁はそう聞くと、思わず悲しみが湧いた。その晩はそれ以外話はなかった。

 翌朝、雨村は人を遣って二包みの銀、四匹の錦を届け、甄家の嫁にお礼をした。また一通の密書を封粛に送り、彼に託し、甄家の嫁にあの嬌杏を側室に欲しいと頼んだ。封粛は嬉しくて相好を崩し、知県様に追従したくてたまらず、娘の前で精一杯たきつけて、その夜のうちに駕籠に嬌杏を乗せて役所へ送り届けた。雨村は喜んで、言うまでもないが、また百金を包んで封粛に贈り、甄家の嫁にも多くの贈り物を送り、彼女が自活できるようにしてやり、それで娘を捜して帰って来るのを待つようにさせた。

 さて、小間使いの嬌杏は、曾て雨村を振り返って見たことがあり、今回偶然に彼を見かけたことから、今回の奇縁をもたらし、これも予期せぬことであった。誰知ろう、彼女の運命は(天命と運命)双方がとても良く、思いがけず雨村のお傍に来ることができ、わずか一年で一子をもうけることができた。また半年して、雨村の正妻が突然伝染病にかかって世を去り、雨村は彼女を支えて正室の夫人にした。正に:
 たまたま一回顧みたことにより、人の上の人と為り。

 もともと、雨村はあの時士隠が銀を贈って後、彼は16日に出発して都に赴き、大比(会試)の年に当り、試験はたいへんよく出来て、進士に合格し、外地への任官者に選ばれ、今はこの県の知県(知事)に昇ったのであった。才能はたいへん優れていたが、いささか貪欲で残酷のきらいがあった。しかも自分の才を頼んで上司を侮ったので、同僚たちは皆横目で見(恥ずかしくて正視できない)、一年もしないうちに、上司に罪を告発され、それには彼はうわべは才あるように見えて、性格は実は狡猾であると言い、また一二の民を害する賦役、郷紳(官を辞し故郷に帰った有力者、勢力のある地主)との結託などが報告された。帝は大いに怒られ、直ちに罷免を命じられた。中央が公布した公文書が到着するや、この府の役人で喜ばぬ者はいなかった。かの雨村はたいへん羞じて悔やんだが、顔には恨みの色は全く出さず、普段通りにこやかに、公務の引継ぎをし、数年来蓄えた財産と家族などは、原籍に送って適切に処理したが、自分自身は何の負担も心配もなく、天下の名所旧跡を遊覧して回った。その日、たまたま維揚という地方に至り、今年の塩政に任じられたのが林如海だと聞いた。

 この林如海は、姓は林、名は海、字は如海で、前回の科挙の試験で探花(3位合格)になり、今は蘭台寺大夫に昇格した。本籍は姑蘇の人で、今は帝から巡塩御史に任命され、着任して間がなかった。もともとこの林如海の祖は、曾て列侯を襲名し、今日如海に到り、既に五世であった。当初は襲名は三世までとされたが、今は深い恩恵と盛んな徳行により、それを越えて恩恵が与えられ、如海の父親に至り、また一代襲名が許された。如海に到り、科挙の合格者が出た。代々朝廷から俸禄をいただき爵位を持つ家であったが、読書人の一族であった。ただ残念なことに、この林家は本家も分家も子や孫の数が少なく、成年男子の人数が限られていて、幾つかの系統があり、如海には非嫡系の一族はいるが、正統な嫡男がいなかった。今如海はもう五十歳になり、三歳の子がひとりいたが、昨年亡くなってしまった。妾が何人かいるが、いかんせんこれらに子供が無く、また如何ともしようがなかった。ただ正妻の賈氏が女の子を生み、幼名を黛玉といい、年はやっと五歳で、夫妻は掌の上の珠のようにこの子を愛した。この子は生まれつき聡明で容姿に優れていたので、いくつか文字も教えてやろうと思った。仮に嫡子を養う気持ちになって、後継ぎの子供のいないさびしさを紛らしているに過ぎない。

 さて、賈雨村は旅館でたまたま風邪をひき、それが治った後も旅費が続かず、ちょうど一ヶ所で定住して、生活の拠点となる場所が欲しいと思っていた。たまたまふたりの旧友に出逢い、新任の塩政の役人を知り、この方がちょうど娘さんを教育する家庭教師を捜しておられると知ったので、遂に雨村を推薦して役所に行った。この女学生はまだ幼く、身体も丈夫でなく、授業の多寡は不問であり、他にはふたりの一緒に授業を受ける女中しかいなかったので、雨村は十分手を抜くことができ、ちょうど病を養うのに都合が良かった。

 見る間に一年余りが経過した。思いがけず、女学生の母親の賈氏夫人が病を得て亡くなった。女学生は煎じ薬を奉じてお世話した。服喪の期間を守り礼を尽くしたが、悲しみがひどく、元々身体も弱かったので、このため古い病が再発し、多少身体の具合が良くなっても、机に向かうことが無かった。雨村は暇を持て余し、天気の良い日は、食後外出して散歩をした。この日はたまたま郊外に行き、そこの田舎の風景を鑑賞したいと思い、気の向くままに山を廻り水辺を歩いたが、こんもり茂った竹林の中に、ひっそり廟宇が鎮座していた。門前の小路は寂れ、土壁の表面は剥げ落ちていた。扁額には「智通寺」と書かれ、門の傍らには古いぼろぼろの対聯が書かれていた。

 身後に余り有れば手を縮むるを忘れ、眼前に路(みち)無ければ頭(こうべ)を回(かえ)すを想う。

雨村はこれを見て、こう思った。「この二句の文は書かれていることは甚だ単純だが、その真意は深遠だ。これまでいくつも名山や名刹を遊覧したが、未だ曾てこんな内容のものは見たことがない。その中で、必ず世事の激動をつぶさに経験して、悟りを得たいと思っているが、未だ知ることができない。」境内に入って中を見ると、年老いてよぼよぼの老僧がそこで粥を煮ていたが、雨村がそれを見ても、意に介さぬ様子で、声をかけてみても、その老僧は耳が聞こえず眼も見えず、歯が抜け落ち舌が回らず、聞きもしないことを答えた。

 雨村は我慢できなくなり、外に出て、その村にある店で酒を買い、一杯ひっかければ野趣を増すだろうと、歩いて行った。店の入口を入るや、座って酒を飲んでいた客のひとりが立ち上がって大笑いし、出迎えに来ると、「奇遇、奇遇」と言った。雨村が慌てて見ると、この人は都で骨董の取引きをしている、姓は冷、号を子興という男で、古くからの知り合いであった。雨村はこの冷子興がたいへんやり手だと尊敬しており、この子興はまた雨村の学問の名声を利用しており、それでふたりはたいへん気が合った。雨村は慌てて笑みを浮かべて尋ねた。「兄さんはいつここに来られたんですか。わたしは存じ上げませんでした。今日たまたまお目にかかり、本当に奇遇ですね。」子興は言った。「去年の年末に家に帰り、今はまた都に行くため、これより道に沿って友達を尋ねて話などしながら向かっており、友情を受け、何日か逗留させてもらっています。わたしも何も急ぎの事があるでもなし、しばらく逗留し、月半ばになったら、出発します。今日は友人が用事があり、わたしは閑なのでここへ来ておりましたが、思いがけずこのような巧い偶然に逢うとは。」そう言いながら、雨村を同じテーブルに座らせ、別に酒と肴を誂え、ふたりは無駄話をしながらゆっくり酒を飲み、前回別れてからの事を話した。


 雨村はそれで尋ねた。「最近都で何か新しいできごとはありませんか。」子興は言った。「特に何も新しい事はありませんが、先生のご親戚筋でちょっとした出来事がございました。」雨村は笑って言った。「手前の一族は都におりませんが、どこからそのような話が出たのですか。」子興は笑って言った。「あなたと同じ姓で……、ご一族ではないので。」雨村が誰の家か尋ねると、子興は笑って言った。「栄国の賈様のお屋敷は、ひょっとしてあなた様の家の名声を辱めているのでは。」雨村は言った。「なんだ、あの家のことですか。考えてみれば、手前の一族はかなりの人数で、東漢の賈復以来、分家がいくつもできて、各省に皆あり、逐一考察することもできません。栄国の血筋だけ見ても、元はと言えば同じ一族ですが、あちらはご栄達され、わたしどもはご挨拶にうかがうのも憚られ、益々疎遠になってしまいました。」子興はため息をついて言った。「あなた様、そんなふうに言うものではありませんぞ。今はこの栄、寧のふたつのお屋敷も寂れて、以前の光景とは比べようもありません。」雨村は言った。「以前は寧、栄のふたつのお屋敷は、人口も極めて多かったのですが、どうしてそんなに寂れてしまったのでしょう。」子興は言った。「本当に、言うと長い話になるのですが。」雨村は言った。「去年わたしが金陵に行きました時、六朝の遺跡を遊覧したいと思ったので、その日は石頭城に行くのに、あのお屋敷の前を通ったのですが、街の東に寧国府、街の西に栄国府があって、ふたつの屋敷は連なっていて、ほとんど街の大半を占めています。大門の外はさびれて人の往来も稀ですが、外塀を隔てて一望すると、中のホールや御殿、楼閣は相変わらず大きく聳え立っていました。後方一帯の花園では、木々は青々と茂り、築山の石はしっとり潤いがあり、これのどこが衰え寂れた家と言えましょう。」子興は笑って言った。「それでもあなたは進士のご出身か。なんだ、ご理解いただけないとは。昔の人も「百足の虫は、死しても倒れず」と言っていますが、今は曾てのように盛況ではないと言っても、平素役人をしている家などと比べると、そもそも次元が異なります。今は家族の人数が日増しに増え、事務が日増しに盛んになり、主人も召使も、上の者も下の者も、裕福に慣れ、栄耀栄華を極め、新たに策略を立てようという者などひとりもいません。曾ては見栄を張って、倹約しようなど思いもしませんでした。今は外側の骨組みはまだ倒れていませんが、懐具合はすっからかんです。しかしこれなど小さなこと。もっと大事なことは、あろうことか、このような鐘を鳴らし鼎を並べて食事をするような家柄なのに、今おられるご子息の如きは、一代また一代と以前に及ばなくなってきているのです。」雨村は聞いていたが、また言った。「このような代々礼儀道徳を重んじてきた家が、どうして教育を疎かにするような道理があるでしょうか。他の一族ならいざ知らず、この寧、栄の両お屋敷に限って言えば、最も子弟の教育方針を極められておられるべきものが、どうしてこんな情況に至ったのでしょうか。」

 子興は嘆いて言った。「正に言っているのはこのふたつの一族のことなんです。まあわたしの言うのをお聞きください。元々寧国公は、同じ母親の腹からお生まれになった弟と兄のおふたりでした。寧公が家長をされ、ふたりの男子をもうけられました。寧公の死後、長子の賈代化様が官位を継がれ、ふたりの男子をもうけられました。長男の名を賈敷と言われましたが、八九歳の時に亡くなられ、次男の賈敬様だけが残り、官位を継がれました。今は引退して、ひたすら自分の好きなことをされ、朱沙や水銀を焼いて仙薬を作るのに熱中され、それ以外は全く関わられません。幸い若い時に息子をひとり残され、名は賈珍と言われ、お父様は一心に仙人になろうとされ、官位は息子に継がせられました。彼の父親はまた家に住むのも良しとせず、ただ都の中や城外で道士たちとバカ騒ぎをされていました。この賈珍様も男の子をひとりもうけられ、今年ようやく16歳、名を賈蓉と言われます。今敬旦那様は何事にも関与されませんが、この珍旦那様はどこでまともなお勤めをされているのでしょうか。ただひたすら遊びほうけられるばかり。かの寧国府を傾けてしまわれ、敢えてそれを諫めに来られる方もいらっしゃらない始末です。次に栄府について申し上げますのでお聞きください。実は先ほど申し上げた異事とはこちらで起こったこと。栄公の死後、長子の賈代善様が官位を継がれ、娶られたのが金陵世家史侯のお嬢様を妻とし、ふたりのお子をもうけられました。長男が賈赦、次男が賈政と言われます。今代善様は既に逝去されましたが、ご母堂様はご健在です。長子の賈赦様が官位を継がれましたが、人と為りも普通で、また家事には口出しなさりません。ただ次男の賈政様は、幼い時から勉強がとてもお好きで、人と為りが品行方正で正直で、お爺様が特に可愛がられ、元々この方を科挙出身にさせたいと思われていたのですが、思いがけず代善様が臨終に帝に遺表を上奏されたのを、皇上が先臣をあわれんで、長子に官位を継承させました。また他に何人か子があるか尋ねられ、直ちに引見され、またこの政旦那様に定員外で主事の肩書を賜り、この方に官庁に入って見習いをさせられましたが、今は員外郎に昇格されています。この政旦那様の夫人の王氏が、最初に生んだ男子の名を賈珠といい、十四歳で試験に合格されて生員になられ、後に妻を娶られ、子をもうけられ、二十歳になる前に病気で亡くなられました。二人目に女の子が生まれましたが、それが不思議なことに、一月一日に生まれました。思いがけずそれから十数年して、また男の子が生まれたのですが、もっと不思議なことに、母胎から生まれ落ちるや、口の中に一個の五色に輝く玉をくわえていて、その玉には多くの文字が書かれていたのですが、これがあなたのおっしゃる変わったできごとに当りますでしょうか。」



 雨村は笑って言った。「確かに不思議なできごとですね。おそらくこの方はたいへんないわれをお持ちでしょう。」子興は冷ややかに笑って言った。「万人がそうおっしゃるので、お婆様は珍しい玉のように愛されました。満一歳になられた時、政旦那様はこの子の将来の志向を試そうと、世の中のあらゆるものを、無数に並べてこの子に掴ませようとされたのですが、この子はそれらを一切手に取らず、手を伸ばしてただおしろいや簪の類を掴んでいじくりました。かの政旦那様はお気を悪くされ、将来はただの酒色の徒になるだろうとおっしゃり、それであまり大切にされませんでした。ひとり、かの太君が命の綱のように思っておられました。言うも奇妙なことですが、今は十歳余りに成長し、やんちゃがひどかったのですが、賢く機敏で、百人寄ってもこの子ひとりに適いません。この子の言うことも変わっていて、「女は骨や肉が水でできている。男は泥でできている。ぼくは女を見ると晴れ晴れし、男を見ると汚らしくて臭くてたまらない」と言うのです。可笑しいじゃないですか。将来色気違いになるのは間違いないですね。」雨村は滅多にないほど怖い顔をして言った。「そんなことはない。残念ながらあなたがたはこの子のいわれをご存じない。おそらく政大先輩も間違って淫らな色気違いだと思っておられる。これは書物をたくさん読んで知識を得、それに物事の原理法則をつきとめた功を加え、道を悟り玄妙な力を得た者でないと、理解できないのです。」

 子興は雨村がこんなに重大なことを言うのを見て、急いでその所以を尋ねた。雨村は言った。「天地に人が生まれてより、大仁大悪を除き、それ以外の者はあまり違いがありません。大仁の者は時運に応じて生まれ、大悪の者は邪気に応じて生まれます。世が盛んになると天下は治まり、末世に入ると、天下は乱れます。堯、舜、禹、湯、文、武、周、召、孔、孟、董、韓、周、程、朱、張は皆時運に応じて生まれました。蚩尤、共工、桀、紂、始皇、王莽、曹操、桓温、安禄山、秦檜らは、皆邪気に応じて生まれました。大仁の者は天下を治め、大悪の者は天下を乱します。清明霊秀は天地の正気で、仁者の掌握するところです。残忍、偏屈は天地の邪気、悪者の掌握するところです。今国運が隆盛の時期に当り、平和で何もする必要のない世の中は、清明霊秀の気が掌握し、上は朝廷から、下は在野に至るまで、どこでも同じです。余った秀気は、これといって帰するところが無く、遂に甘露となり、和風となり、普遍的に四方八方を潤します。かの残忍、偏屈の気は、陽の当たる空の下では溢れ出ることができず、遂に深い溝や大きな谷の中に固まり詰め込まれ、たまたま風や雲に揺り動かされ、ほんの少し、間違って外に漏れ出たものが、霊秀の気と調和し、正は邪を容れず、邪はまた正を嫉み、両者は相容れないので、風水雷電のように、地中で出逢うと、消すことができず、譲ることもできず、必ず衝突するに至る。既に漏れ出た以上、その邪気はまた必ず人に授けられ、仮に男でも女でも、たまたまこの気を持って生まれた者は、上は仁者、君子になることができず、下は大凶大悪になることもできません。これを千万人の中に置くと、その聡明、霊秀の気は、千万人の上に上に在ります。そのひねくれて人情に合わない姿は、千万人の下に在ります。もし侯爵や富貴の家に生まれていれば、痴情に迷った色気違いになり、清貧な読書階級の家に生まれれば、人品高潔な人になります。たとえ貧しい身分の低い家に生まれても、奇才や名優、名娼になり、断じて単なる走り使いや召使で終わり、甘んじて平凡な人と見做されることはありませんでした。例えば以前の許由、宋徽宗、劉庭芝、温飛卿、米南宮、石曼卿、柳耆卿、秦少遊、最近では倪雲林、唐伯虎、祝枝山、さらに李亀年、黄旛綽、敬新磨、卓文君、紅拂、薛涛、崔鶯、朝雲の類であり、これらは皆環境は違えど同じ種類の人でした。」

 子興は言った。「あなたの言い方なら、「成功すれば侯爵、負ければ賊」ですね。」雨村は言った。「正にそういう意味です。あなたはまだご存じないが、わたしは罷免されて以来、この二年各省を遍歴し、ふたりの変わった子供に出逢ったのです。だから先ほどあなたがその宝玉さんのことを言われたので、わたしは十中八九、この一派の人物だと推察しました。遠くのことを言うまでもなく、この金陵城内だけでも、欽差金陵省の体仁院総裁甄家と言えば、あなたもご存じでしょう。」子興は言った。「知らぬ者などいるものですか。この甄府は賈府のご親戚で、両家の間の往来は極めて親密です。わたしもこのお屋敷には毎日のように寄せていただいています。」

 雨村は笑って言った。「去年わたしは金陵で、甄府の家庭教師に推薦してくださる人があり、わたしはお屋敷の中に入って拝見したのですが、この家は栄耀栄華を誇っておられますが、「富んで礼を好む」家で、こんな家はたいへん珍しい。けれどもこのお子さんを教えるのは、科挙の受験生を教えるよりまだ骨が折れました。言うも可笑しなことですが、この方が言うには、「必ず女の子をふたり、一緒に勉強させてくれなくっちゃ。そうすれば、僕は字が憶えられるし、よく理解できるんだ。そうでないと、僕はばかになっちゃう。」またいつもこの子にお付きの召使たちにこう言いました。「この「女子」の二文字はとても貴くて清浄なもので、瑞獣珍禽、奇花異草よりもっと珍しく貴いものなんだ。おまえたちの汚い口や臭い舌で、決していきなりこの二文字を言うんじゃないぞ。絶対だぞ。もし言わないといけない時は、必ずきれいな水や清々しい香りのお茶で口を漱いでからにするんだぞ。もしそうしなかったら、歯を引っこ抜き目玉を刳り貫くぞ。」その狂暴で愚劣なことと言ったら、どれもこれも異常です。でも勉強を終えて出て来て、女の子たちを見かけると、その温厚で穏やか、聡明で上品な様子は、先ほどとは別人のようです。このためお父君も何度も木の杖でひっぱたいて折檻されましたが、改まらず、毎回叩かれて痛くてたまらない時は、「お姉さま」「妹よ」とやたらと叫ばれるんです。後で中で聞いた女の子たちが、彼をからかって「どうしてひどく叩かれてひたすら姉、妹と叫ぶの。姉妹たちと叫んで、情に訴え許しを請おうって言うんじゃないの。こんなことして恥ずかしくないの。」と言ったんですが、この子の答えが最も奮っていて、「ひどく痛い時は、「お姉さま」「妹」という文句を叫びさえすれば、或いは痛みが無くなるかもしれない、まあやってみないと分からないのだけれど、それで一声叫んでみると、果たして痛みが少し和らいだので、遂に秘法を会得したと、毎回痛みがひどくなる度、姉妹と叫ぶようになったんだ。」どうです、可笑しいでしょう。この子のお婆さまが分けも分からず溺愛され、毎回お孫さんのことで、先生が子を責めると侮辱されるので、わたしは辞職してお屋敷を出て来ました。こんな子弟では、きっとお爺様の祖業を守ることはできないでしょう。師友からの忠告です。ただ残念なのは、この家の何人かの姉妹たちはなかなかのものだったことです。」

 子興は言った。「それにしても、賈府の今の三人の方もたいしたものです。政旦那様の長女は名を元春といい、善良でやさしく才徳を兼ね備えられていることから、選ばれ宮中に入られ、女史をされています。二番目のお嬢様は郝旦那様の妾腹の娘さんで、名を迎春といいます。三番目のお嬢様は政旦那様の妾腹の子で、名を探春といいます。四番目のお嬢様は寧府の珍旦那様の実の妹で、名を惜春といいます。史老夫人はお孫さん達をたいへん愛されているので、皆さんをお婆様のもとに引き取られ、一緒に勉強をさせておられ、おひとりおひとりすばらしいと聞いております。」雨村は言った。「更にすばらしいのは甄家の風習で、女の子の名前は、皆男の名前に従い、他所の家と違い、別にこうした「春」「紅」「香」「玉」などあだっぽい字を用いることはありませんでした。どうして賈府がまたこうした俗っぽい名付けをされたのでしょうか。」子興は言った。「そうではないのです。ただ今は一番上の女の子が正月元旦に生まれたので、「元春」と名付けました。それ以外の女の子も「春」の字を付けることになったのです。それより上の世代の娘には、男の兄弟の名付け方に従いました。今照らし合わせてみると、今あなたの雇い主の林公の夫人は、栄府の郝、政二公の同腹の妹君で、まだ家におられた時は名を賈敏と言われました。うそだとお思いなら、帰られて詳しく聞かれたら分かります。」雨村は手をたたき、笑って言った。「たいへんすばらしい。わたしの女生徒は名を黛玉と言いますが、彼女は本を読んで毎回「敏」mǐnの字があると皆「密」mìの字に読み、字を書く時も「敏」の字があると一、二画はぶくので、わたしは心の中で毎回怪訝に思っていたのですが、今あなたの説明を聞いて、合点が行きました。道理で彼女はことばや振舞いは他の女の子と同じですが、普通の女の子と違うのは、母親が平平凡と違う暮らしをされ、この子が生まれたせいですね。今栄府の外孫を、珍しいとするに当らないことが分かりました。でも残念なことに、先月その母君が亡くなられたのです。」子興はため息をつき言った。「姉妹三人の中で、この方は一番下だったのに、亡くなってしまわれた。前の世代の女兄弟はひとりも残っていません。いったいこのもうひとつ下の世代の将来の娘婿はどうなるのでしょう。」

 雨村は言った。「本当にそうです。先ほど、政公が玉を銜えた子をもうけたと言いましたが、その長子の残したお孫さんがおられるし、まさか郝様にひとりもお子がいらっしゃらないことはありますまい。」子興は言った。「政公は玉のお子をお産みの後、そのお妾がまたひとりお産みになられましたが、おいくつになられたかは存じません。ただ目下二子一孫ですが、将来どうなるかは分かりません。郝旦那様についても、ひとりお子がおられ、名を賈璉といい、今はもう二十歳を越えておられます。親戚同士で婚姻され、もう四五年になります。この璉様ご自身は現在は同知の株を買われましたが、この方も仕事はお好きではありません。社交が得意で臨機応変に対応され、口八丁手八丁、それで今は叔父の政旦那様の家住で、家事を取り仕切っておられます。思いもかけなかったのですが、この若奥様を娶られて後は、地位が逆転し、誰ひとり、この奥様をほめそやさぬ者はおらず、璉様は一歩後ろに退かれました。奥様のご器量はとてもお綺麗で、言葉もてきぱきしておられ、心配りも細やかで、本当に男でも全く歯が立ちません。」

 雨村はそう聞いて笑って言った。「わたしが言ったことが満更間違いでないことがお分かりになったでしょう。わたしたちが先ほど話したこれらの人々は、おそらく正邪の両賦を併せ持った、同種の人で、まだどちらとも決められないのです。」子興は言った。「「正」でも「邪」でも良いじゃないですか。どのみち他人の家のことを心配しているだけじゃないですか。あなたは一杯やってればいいんですよ。」雨村は言った。「ちょっと話に集中し過ぎましたな。どんどん飲みましょう。」子興は笑って言った。「他人の家の陰口というやつは、ちょうど良い酒の肴になりますな。ちょっと飲み過ごしたって大丈夫ですよ。」雨村は窓の外を見て言った。「もう夕方で、城門が閉められるのに気を付けないと。ぼちぼち城内に戻って、話の続きをするのも、だめではないでしょう。」それでふたりは立ち上がり、酒代の精算をした。出て行こうとすると、ふと後ろから人の呼び声が聞こえた。「雨村兄貴、おめでとうございます。特に喜びの知らせを持って上がりました。」雨村は急いで振り返ると、さて誰が声をかけたのでしょう。まずは次回の講釈をお聞きください。

 金陵の名家、賈一族の家族関係は複雑ですが、家族関係図を貼り付けておりますので、ご参照ください。さて、この後の賈雨村の運命はどうなるのか。また彼が教えていた林薫玉は、母を失ってどうなるのでしょうか。お話しの続きは第三回をお楽しみに。