(写真は、燕窩氷糖粥)
今回は、粥と飯の話です。冒頭、毛沢東の言う、農村での粥と飯の区分は、ある意味合理的で、生活の智慧と言えるでしょう。けれども、沈宏非の話はそこから飛躍し、粥は貧しさの象徴か?いや、金持ちが健康のために食う贅沢粥もあるぞ、というような話になっていきます。それにしても、粥と飯と言いながら、その実、粥に対する思い入れが強いことが分かります。そして、最後は残った飯を利用した湯漬け、あるいは茶漬け。いささか冗長な感がありますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
■[1]
( ↓ クリックしていただくと、中国語原文が表示されます)
・干飯 gan1fan4 粥に対する言葉で、ご飯。
・実成 shi2cheng2 熟成する。完全な程度に達する。練れている。
・出入 chu1ru4 不一致。食い違い。
・煩囂 fan2xiao1 騒がしい。うるさい。
・偏偏 pian1pian1 折悪しく
トップ指示―― 偉大な指導者、毛主席は私たちを教え導き、こう言われた:「閑な時は粥を食え、忙しい時は飯を食え。閑か忙しいかで、粥か飯か決めなさい。」
毛主席のこの話は、古い中国の民間の智慧である。“吃稀”とは、お粥を食べることを指し、“吃干”とは、炊いたご飯を食べることである。「閑な時」、「忙しい時」については、ちょっと説明が必要だ。「閑な時は粥を食い、忙しい時は飯を食う」というのは、もともと中国の農村で出た言葉(農家にはまた、もうひとつ似た言い方があり、「忙しい時は飯を食い、閑な時は粥を食い、畑に行く時は飯を食い、家に居る時は粥を食う」と言う)で、伝統的な農業生産で言うと、「閑な時」とは農閑期で、「忙しい時」とは農繁期である。農繁期には、よく「熟成した」飯で、消耗した体力を補ってやらねばならず、農閑期には、粥を食べる機会を増やして、食糧を節約するのである。
毛主席の言う「忙、閑」は、経済が困難であった時期の、農村の食生活への指導であり、総じて言うと、都会の人の「朝9時から夕5時まで」式の「忙と閑」との間には、大きな違いがある。
都会の「忙と閑」は、時には農村と逆のことがある。例えば、天高く馬肥える秋、あなたの夏の販売ノルマがちょうど達成でき、また社長もちょうど不在で、奥さんと都会の喧騒から離れようと、秋の旅行に行くことにし、家の留守番は、家政婦にさせようと思った。ところが、思いがけず、あなたの家の家政婦も折悪しくこの時に休暇を願い出た――あなたも家政婦も目的地は農村で、田畑で熟れている麦の穂が共同の目標である。違いは:あなたは休養のためで、家政婦は(実家の)農業の収穫のためである。
■[2]
・流質 liu2zhi4 流動食。流動性の(食べ物)
・越俎代庖 yue4zu3 dai4pao2 [成語]料理人を差し置いて、他の人が料理を作る。出しゃばること。越権行為の喩え。
・工整 gong1zheng3 きちんと整っている。
・舂 chun1 石臼などで、つく。つき砕く。
・揄 yu2 引っ張る。引き上げる。
・簸 bo3 箕で穀物をふるう。ふるってごみなどを取り除く。
・釈 shi4 水に漬けること。
・叟叟 sou1sou1 米など、穀物を水で研ぐ音。
・浮浮 fu2fu2 ぐつぐつと煮える音。
実は、都会の人はよく「忙しい時は粥を食う」と言う。朝早く、遅れないよう出勤する人にとって、半ば流動食のようになっている中国式のお粥や洋式のコーンフレークは、作る手間が省けるだけでなく、吸収の良さが優れている。
本当に李漁が言っているように、「飯と粥の二物は、日常生活に必要なもので、その外観は知らぬ者はいないのに、どうして料理人でもない者がでしゃばって勝手なことを言うのか。」けれども、一旦、私たちが閑か忙しいかで飯にするか粥にするか決めたら、生活と米の飯の二つの異なる状態の中に、一つの新たなモデルを構築するので、それによってこのモデルの中で、米の飯に対し、別の種類の体験をもたらすかもしれない。例えば、「閑か忙しいかで、粥か飯か決める」というのは、ロジックや文の構造としてはきちんと整っているが、都会の人には理解しづらい。言い換えると、何に対し「粥か飯か」どちらを食べるか判断するには、ある程度、何時から何時までであれば、その日が「閑か、忙しいか」と見做すことができるかを決めてやる必要がある。
“稀”であれ、“干”であれ、粥も飯も穀物の二種の異なる調理方式である。
公輸般(魯般)が石臼を発明する以前、中国人は完全に粒食の民族であった。たとえ麦でも、それを煮炊きして、麦飯や麦粥にして食べざるを得なかった。その様子は、ちょうど《詩経・生民》で言っているように、「これを臼で撞いて引き上げ、これを箕でふるって手で揉み、これを水に漬けて研ぎ、これをぐつぐつと蒸す」という風であった。
■[3]
・糾葛 jiu1ge2 もつれ。ごたごた。いざこざ。
・口腹之欲 kou3fu4 zhi1 yu4 飲み食いに対する欲。
・分而治之 fen1 er2 zhi4zhi1 分割して支配する。分割統治する。
・灌水文章 guan4shui3 wen2zhang1 読む値打ちの無い文章。
・泡澡 pao4zao4 風呂に入る。
粉食は大いに中国の主食の形態、料理と口当たりを豊かにしただけでなく、ある程度、南方人と北方人の違いの一つの判断基準になったようである。林語堂先生はこう言ったことがある:「ご覧なさい、歴代、都を建てた帝王は皆長江以北出身で、南方出身は一人もいない。だから、中国にはこういう言葉がある:小麦を食べる者は皇帝になることができ、米を食べる者は皇帝になれないと。曾国藩は不幸にも長江以南に生まれ、また湖南は米を産する地域で、米を食べ過ぎた。そうでなければ、彼はとっくに皇帝になっていただろう。」
帝政が廃されて以来、南人と北人の粒食と粉食の上の違いは次第に縮小し、不明確になってきた。けれども、粒食陣営の内部では、このような差異は引き続いて存在している。ただ、皇帝になれるかどうかが、貧乏人と金持ちの間のいざこざに変わっただけである。
炊いた飯、或いは調理した飯は、その始まりから富貴の象徴であった。“周八珍”の序列の一位と二位が、それぞれ“珍淳熬”、“珍淳毋”。すなわち米の飯と黍飯であった。それと同時に、粥が貧乏人の主食と見做された、道理は明らかに次のことにある:一斤(500グラム)の米を炊くと、二、三人の腹を満足させ、体力を回復することができる。もし同じ分量の米で粥を作ると、しばしば四五人を満足させることができるか、たとえ気持ちの上では不満が残っても、なんとか空腹感は満たすことができる。
もちろん、貧しい人も炊いた飯を食べる時がある。もし、「閑」が貧乏人の絶対的に貧しい状態とするなら、「忙」は貧乏人が絶対的に貧しい情況の下の、相対的に豊かな時期である。
貧しい人について言えば、粥の役割は、飲み食いに対する欲求を分割統治することにあり、電子掲示板の中の読むに値しない文章に相当する。完全に湯や水の干渉を排除し、ドライ・スチームの形で出現した飯とは異なる。だから私は、人民は決してサウナが必要ないのではなく、ただバスタブの中にしばし屈んでいるに過ぎないと信じている。
■[4]
・成敗 cheng2bai4 成功と失敗。
・淋漓尽致 lin2li2 jin4zhi4 [成語]文章や話が、詳しく徹底しているさま。余すところがない。
一人の広州人として、ある種の現実主義的な姿勢を示さないといけない。或いはこう言うかもしれない:「粥があれば粥を食うし、飯があれば飯を食う。」しかし、この人物が断固とした行動に出る前に、或いは、こう言って自分を励ますだろう:「粥を食べるか、飯を食べるか、事の成敗はこの一挙にあり」と。
明らかに、粥は貧しい人の主食であるだけでなく、失敗の象徴である。もっと言うなら、長い間粥を食べ続けるのは、国家の弱体化と民族の不幸の原因の一つになるかもしれない。この意味では、王蒙が小説《硬い粥》の中で登場する家族の子供の口を借りて、余すところなく、そのことを語っている。
■[5]
・戕 qiang1 傷つける。損なう。
・式微 shi4wei1 国家や名門の家柄が衰えること。
・兆征 zhao4zheng1 兆し。兆候。
・休克 xiu1ke4 ショックを起こす。
・白脱 bai2tuo1 バター
・団 tuan2 連隊
・師 shi1 師団
・及早 ji2zao3 早めに。
「朝、マントウと粥と漬けものを食う……ああ神よ!これがどうして1980年代の中華の大都市の「中の上」の収入を得ている現代人の楽しみであろうか。ああ恐ろしい!なんて愚かなんだ!お粥と漬けもの自体、アジアの病人の象徴じゃあないか!慢性的なサディストじゃあないか!無知!炎帝、黄帝の子孫の恥さらし!中華文明の没落の根源!黄河文明の衰退の兆候!もし私たちがこれまでお粥や漬けものを食べるのでなく、バターとパンを食べていたら、1840年のアヘン戦争で、イギリスは勝利できただろうか。1900年の八カ国連合軍で、西太后は承徳にまで逃げていただろうか。1931年に日本の関東軍は918事変(柳条湖事変)を発動する勇気があっただろうか。1937年に日本軍どもは芦溝橋事変を発動する勇気があっただろうか。日本軍が攻めて来ても、ひと目、中国人が皆バターを食べているのを見たら、やつらは、連隊全部でなくても、師団単位でショックを受けたのではないか。もし1949年以降、私たちの指導者は早めにお粥と漬けものを消滅させることを決意し、全国が皆、バターとパンを食べる他に、ハム、ソーセージ、卵、ヨーグルト、チーズを加え、ジャム、蜂蜜、チョコレートを加えていたら、我が国の国力、科学技術、芸術、体育、住宅、教育、自家用車の平均保有台数は、とっくに世界のトップクラスに到達していたのではないか。つまるところ、粥と漬けものは私たち民族の不幸の根源であり、私たちの社会が安定性を欠く発展をし、進歩がない根源ではないか。徹底的に粥と漬けものを消滅させろ!粥と漬けものが消滅しないと、中国には希望がない!」
■[6]
・多此一挙 duo1ci3 yi1ju3 [成語]余計な世話をする。いらぬことをする。
・与否 yu3fou3 ……かどうか。
・吊詭 diao4gui3 パラドックス。矛盾。
・渾身 hun2shen1 全身。体中。
・充沛 chong1pei4 満ち溢れている。みなぎっている。
初めて《硬い粥》を読んだのは、十年前のことである。ここで、私はこれにどうでもよい脚注を一つ加えたいと思う:粥は古くは糜と称し、たいへん薄いものだけが粥と呼ばれた。だから“稀粥”(つまり薄いお粥)の二文字は純粋に(一文字が)余計だが、硬いかどうかは、別に議論すべきである。
貧しい人が粥を食べるのは、生きるためであり、金持ちが粥を食べるのは、健康のためである。このことは正に粥のパラドックスである。
漢方医は、こう信じている:粥を食べることは養生になる。したがって、四季折々の気候の変化に合わせて作った「富貴粥」の数々は、専ら養生の用途に供せられる。寒い冬の朝にサツマイモ粥、ナツメ粥、犬肉粥、鶏肉粥を食べると、食べた後、体中が暖かくなり、精力が満ち溢れる。盛夏の夕方、緑豆粥、蓮の身粥、山楂子粥、レンコン粥を食べると、さわやかで気持ちが良く、養分を補充する功能がある。この他、年老いて体が弱った者が食べるものとして、蜂蜜粥、百合粥、枸杞粥、などがある。
■[7]
・腴 yu2 太っている。肥えている。
・困居 kun4ju1 制約などがあり、仕方なくその場に留まる。
・撰写 zhuan4xie3 文章を書く。著作する。
・挙家 ju3jia1 一家を挙げて。家全体で。
・賖 she1 掛けで売り買いをする。
粥は清の宮廷の料理のメニューにも現れ、それはトウモロコシ粥と氷砂糖粥に分類され、前者は乾隆帝が胃の具合を整えるのに使った「雑穀」であり、後者は西太后が美容に使ったものである。
「富貴粥」の中の最高のものは、間違いなく、ツバメの巣粥に他ならない。《養生随筆》にこう書かれている:「上品の燕窩粥は、粥を煮るに淡く食せ、肺を養い、痰をとかし、咳を止め、滋養を補い、体に滞らず。」《紅楼夢》を開くと、そのホルモン作用の他、空気中にもツバメの巣粥の味わいがあるかのようである。宝釵、宝玉、黛玉、そして秦可卿など、皆ツバメの巣粥の達人である。第45回に、宝玉と黛玉の間でのツバメの巣粥についての対話があり、それを聞いてみると、ちょうど今日の男女のカップルが化粧品の効果について話し合っているかのようである。「穀物を食べると長生きできる。あなたが普段食べているものは、精神や気や血を補い養うことができないから、良くない……。昨日、私はあなたの持っている薬の処方を見ましたが、人参や肉桂が多過ぎるように思います。気を益し精神を補うと言っても、あまり激しすぎるものはよくありません。私に言わしてもらえば、先ず肝臓を平らげ、胃を健やかにするのが肝要で、(陰陽五行でいう)肝の火が平らげられると、土に克つことができないので、胃の気から病がなくなり、飲食をちゃんとすれば、体を養生することができる。毎日、朝起きたら上等のツバメの巣が一両と氷砂糖を五銭取って、銀の薬缶でじっくり煮出して粥を作りなさい。食べ慣れると、薬よりも効き目があり、最も陰を増し、気を補います。」
若い人たちに比べると、賈のご隠居様はより粥がお好きだったようだが、決してあのばあさんの「少しばかりお粥があるだけよ」という言葉に騙されてはいけない。次のことを知っておかないといけない:賈のご隠居が第62回の中で、「茶碗に半分食べただけ」というお粥は、実は手を抜いたものではなく、その粥は、「御田の胭脂米」を煮て作ったもので、清代の劉廷璣の《石頭記》によれば、胭脂米とは、康煕帝が豊澤園の宮廷の御田に播いた稲の中の優良品種で、内膳、すなわち皇族方の食事に用いられたものである。米の色はかすかに赤みがかり、粒は長く、良い香りがし、味は豊かであった。曹家が当時金持ちであったとしても、曹雪芹がやむを得ず黄叶村で暮らし、《石頭記》を著作している時には、生活は「一家を挙げてお粥を食い、酒はいつも付け買い」という清貧の毎日であった。
■[8]
・泡飯 pao4fan4 ご飯に湯や汁をかけたもの。茶漬け。
・屋檐 wu1yan2 家の軒。
・話柄 hua4bing3 話の種。語り草。
・擺弄 bai3nengbai3nong4 もてあそぶ。翻弄(ほんろう)する。
・情調 qing2diao4 ムード
・別致bie2zhi4 奇抜な。ユニークな。
・顕擺 xian3bai みせびらかす。ひけらかす。
・反差 fan3cha1 コントラスト。
・通連 tong1lian2 続いている。
・捎帯 shao1dai4 ついでに。
・平心而論 ping2xin1 er2lun4 [成語]公平に言うならば。
・寒酸 han2suan1 貧乏くさい。
・黏糊 nian2hu ねばねばする。
・纏綿 chan2mian2 まとわりつく
・堪称 kan1cheng1 ……ということができる。
・大夢初醒 da4meng4 chu1xing3 深い眠りから目覚めたように。間違ったことに長い間ごまかされていたのが、間違いに気付き始めることの喩え。
・柴魚粉 chai2yu2fen3 干した小魚などを粉にした、ふりかけ。
・煦 xu4 暖かい。
・縹緲 piao1miao3 かすかで、はっきりしない様。
・隠約 yin3yue1 かすかなさま。はっきりしないさま。
随園先生はこう書いている:「水が見えて米が見えぬのは、粥に非ず。米が見えて水が見えぬのも粥に非ず。必ず水と米が融合し、柔らかさと粘りが一体になり、然る後に粥と謂う。」この基準に従うと、水と米が各々我が道を行く茶漬け(湯漬け)は、粥と米飯の間に介在する第三勢力であるかのようである。
湯漬けは嘗ては上海の軒下での標準的な朝食であった。同時に、上海人のことを外地で人々が話す時の語り草の一つであった。私は嘗て、新聞で女流作家、蒋麗萍の、上海女を嘲笑する文章を読んだことがある:「上海女について言えば、必ず「ムード」に翻弄される。(注:以下のキーワードには、こんな言葉が含まれる:バー、コーヒー、灯(ともしび)の揺らめく酒のグラス、アンティーク家具、パーティー)。けれども、私が見るところ……たとえあなたが奇抜な衣装を選んだところで、それはあなたが今日食べた湯漬けと胡瓜の漬物と同様、ありふれたものだ……さもなければ、いささか流行遅れのもの?何か自慢できるところがあるの?」
言っているのは、けれども、上海人は朝湯漬けを食べるということで、衡山路のバーとは確かに相当大きなギャップがある。いわゆる上海の湯漬けというのは、朝起きたら、昨晩の食べ残し(或いはわざと余らせた)の米飯をお湯で洗い、飯であって飯のようでなく、粥であって粥でないようなものにしたものだ。時間が無い時は、通常、加熱の手間を省き、お湯の温度を利用し、漬物と油条を付けて、ズルズルとかき込むのである。
公平に言うと、「昨晩の飯」及び「お湯を注ぐ」ことでもたらされる貧乏くさい感覚が免れ難いことの他は、湯漬けは実は別に不味いものではなく、一晩経った冷飯を一たび、朝一番の薬缶で沸かした湯を掛けて目覚めさせると、お粥のようにねばねばまとわりつくようなことは全くないだけでなく、却って条理がはっきりしていて、深い眠りから目覚めたような感じがする。この他、湯漬けは環境に優しいとも言える。もちろん、このような愉快な体験をしようと思ったら、心の中で飯のことを考えてはだめで、また粥のことを思ってもだめだ、これは粥でなければ、飯でもない。これは湯漬けだ、湯をかけた飯である。
台湾人も湯漬けを食べるが、彼らが食べるのは、ほとんどが日本式の茶漬けである。基本的な作り方は:白米の飯を一碗、各人が好みで小魚のふりかけ、白ゴマ、海苔の細切り、塩、抹茶、ゴマ、刺身、菊の花などをふりかけたり、梅干しを一粒載せ、卵の黄身、最後に適量の煎茶をかける……この味わい、暖かさ、暖かい中に少しかすかな甘みがあり、またかすかな苦み渋みがあり、できたものは、小津安二郎の映画である。
(小津安二郎 《お茶漬けの味》)
【出典】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月
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