京土産も、最近は京ばあむ、阿闍梨餅など種類が増えてきましたが、それでもやっぱり八つ橋は外せないでしょう。けれども、外国人の方に、八つ橋の特徴や歴史など、どう説明しますか?あんまり考えたこともないですよね。そこで、今日は八つ橋を中国語で説明してみたいと思います。
今は生八つ橋が幅を利かせていますが、先ずはその名前の由来でもある、オリジナルの堅焼きの八つ橋煎餅の説明から。
(1)「八つ橋」煎餅の製法と来歴
[訳] うるち米の粉に砂糖、シナモンを加えて捏ね、一定時間蒸したら薄く伸ばし、長方形に切り、断面が弧を描くように焼き上げた煎餅。「八つ橋」の名前は、17世紀の音楽家で、近代の筝曲を創始した八橋検校から取られた。その形状は、楽器の琴を模したものである。八橋検校は死後、京都の、金戒光明寺に埋葬された。それからは、彼の弟子や琴を学ぶ者が、ここをお参りするようになった。寺への参道の傍らの、聖護院付近の茶店が、参拝者へ八つ橋煎餅を販売するようになった。現在も、聖護院の近く、熊野神社の交差点の傍らで、聖護院八つ橋、西尾八つ橋の二軒の八つ橋店が営業を続けている。
(2) 販路の拡大
[訳] 明治時代になって、八つ橋の社長は販路の拡大を考えるようになった。明治末期の20世紀初頭、聖護院の北方ほど近く、現在の京都大学キャンパスの南側にある吉田神社、ここは立春の2月2日から4日までの節分の鬼やらいの豆まき神事が有名で、この時には多くの人がお参りに訪れる。そこでこの機会を利用し、臨時で吉田神社で八つ橋の販売をした。更に、1904年に京都駅が開業したので、駅のホームでの八つ橋販売を開始した。このような努力を経て、八つ橋の名声は次第に拡大し、やがて京都の代表的なお土産となった。
(3) 生八つ橋の誕生
[訳] 1960年、祇園祭の山鉾巡行の前日、すなわち7月16日の夜、茶道の表千家の茶会が、祇園町の「一力」茶屋で行われた。その時の茶会で、抹茶と共に出されたお菓子は、八つ橋の焼かずに蒸しただけの皮で、小豆餡を包んだものだった。このお菓子は茶会参加者から格別な好評を博したので、商品化が決定した。こうして「生八つ橋」が誕生した。
お客様が京都のお土産を買われる際に、このような説明をしてあげると、お菓子に添える土産話になるのではないでしょうか。
今回はこれで終わりです。
尚、全文中国語のプログも公開していますので、そちらもご覧ください。
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