中国語学習者のブログ

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《西蔵和平解放60年》白書に見る、チベットの歴史(4)

2011年07月30日 | 中国史

 ※写真は、青蔵直流聯網工程 (青海・チベット電力ネットワーク直結プロジェクト)

  最後は、1951年のチベット解放から今日までの、チベットの経済、社会インフラの発展を、統計資料で見ていきたいと思います。
 中国政府の政治的な思惑から、国庫からのばら撒き支援の傾向は多少見られるものの、青蔵鉄道や、青海~チベット間の送電網建設といった巨大プロジェクトの推進によるインフラ整備、チベットの人々の生活改善の為の各種の支援政策、また民族産業振興、観光開発などによる雇用創出など、総合的に見ると、現政権のチベット政策は成功していると思います。

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・停滞不前 ting2zhi4 bu4qian2 停滞して前進しない
・凋零 diao1ling2 草木が枯れる。花がしぼむ。(そこから転じて)落ちぶれる。
・聊生 liao2sheng1 生活のよりどころとする。生計をたてる。(→否定に用いる場合が多い)[用例]民不~(民衆が生活の手立てを失う)。無所~(安心して暮らせるところがない)。
・跨越性発展 kua4yue4 xing4 fa1zhan3 様々な歴史条件によって遅れていた人や組織、地域が、先進的なものが通常歩む発展段階を超越し、常識を覆すような発展行為を実現すること。

□ 平和解放前、チベット経済は長期間停滞して前進せず、様々な産業が衰退し、民衆は生活の手立てを失っていた。平和解放後、チベットは常識を覆すような発展の路線を歩んだ。チベットの経済、社会の発展を推進する為、中央政府はチベットの経済、社会の発展の現実に基づき、多くの特別な優遇政策を制定したが、それは金融、財政・税務、投資、インフラ建設、産業発展、農牧業と農牧地域、環境保護、教育、衛生、科学技術、文化、スポーツ等の各方面に及び、更に財務力、物質面、人材面で大いに支援と援助を行った。中央の財政はチベットから金を一銭たりとも持ち出さず、却ってチベットに対する財政上の移転支払いを絶えず強化し、1952-2010年の中央のチベットに対する財政補てんは3000億元に達し、年平均22.4%増加した。この60年、中央のチベットに対する直接投資は1600億元を上回り、異なる時期に43項目、62項目、117項目、188項目など多くのチベットの長期的発展と人民生活に関わる重大なプロジェクトを相次いで手配し、道路、鉄道、空港、通信、エネルギーなどの一連の重点インフラを相次いで建設し、チベットのインフラと人民の生産活動の条件を最大限改善した。統計によれば、1994-2010年、面対面でチベットを支援した省や直轄市、中央の国家機関及び中央の国営企業は、6回に分け、全部でチベットの経済、社会建設のプロジェクト4393項目を支援し、総投資額は133億元、全部で4742名の優秀な幹部を選抜してチベット支援に派遣した。

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□ 中央政府の強力な支えと全国各地の支援の下、チベット経済は歴史的な目覚ましい発展を実現した。統計によれば、1959-2010年、チベット社会の固定資産投資累計は2751億元に達し、年平均の増加幅は15%以上であった。そのうち1994-2010年の、全社会固定資産投資累計は2643億元で、年平均増加幅は20%以上に達している。1951年、チベット地区のGDPは1.29億元に過ぎず、2010年に507.46億元に達し、比較可能価格により計算すると111.8倍、年平均成長は8.3%であった。その中で、1994年以来、チベット地区のGDPは連続18年二桁成長を続け、年平均成長は12%に達した。第11次五カ年計画の期間(2006年-2010年)、チベット地区のGDPは前後して300億元、400億元、500億元の三大ステップを乗り越えた。2010年のチベット自治区の1人当たりGDPは17,319元、地方財政一般予算収入は36.65億元に達し、連続8年20%以上の成長を維持した。

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・門 men2 [量詞]学科や技術を数える。通常、“三門学科”(3科目)というような使い方をする。
・青祼 qing1ke1 ハダカムギ。

□ 近代工業はゼロから出発し、現在では既にエネルギー、軽工業、紡織、採鉱、建材、化学工業、製薬、食品加工、民族手工業、チベット医薬等、20以上のカテゴリーを含む、チベットの特色に富んだ近代工業大系が立ち上げられた。工業総生産額は1956年の0.014億元から2010年には75.61億元に増加し、年平均14.1%成長した。特色の優れた産業は絶えず大きく発展し、甲瑪銅多金属鉱床が正式に生産を開始し香港での上場に成功し、ラサ青祼ビール、5100鉱泉水(ミネラルウォーター)、甘露蔵薬等の一連の特色ある商品が国内外の市場に投入された。旅行業は大幅な成長を維持しており、2010年に受け入れた旅行客は685.14万人回で、旅行業収入は71.4億元に達し、正に重要な世界の旅行目的地として発展しつつある。

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・管道 guan3dao4 パイプ・ライン。
・行政村 xing2zheng4 cun1 政府が行政管理の都合上、郷(県の下の行政単位)の下の村を管理するのに、隣接するいくつかの小村を合わせて管轄する区域を“行政村”という。
・墨脱公路:墨脱は中国で唯一、自動車道路の通じていない県であったが、2010年12月に墨脱公路の開通で解消された。波密、墨脱の両県を結び、全長117キロ。途中、嘎隆拉雪山を貫く3315メートルの嘎隆拉隧道がある。
・畜駄 chu4 tuo2 家畜が(荷物を)背負う。
・駅站 yi4zhan4 宿場。宿駅。

□ エネルギー、交通等のインフラ産業も盛んに興っている。平和解放の前は、チベットには125キロワットの、少数の上層の貴族のみが使える小型発電所1基があっただけだが、現在では水力発電を主力にし、地熱、風力、太陽エネルギー等、多様なエネルギーが相互に補完する振興のエネルギー大系が形成されている。2010年、チベットの発電装置の総容量は97.4万キロワットに達し、電力使用の人口カバー率は82%以上に達した。青海・チベット電力ネットワーク直結プロジェクトの建設が始まり、チベットの電力ネットワークの孤立運用の歴史は間もなく終了する。平和解放前のチベットには一本の自動車道路も無かったが、今では自動車道路、鉄道、パイプラインを中心とする総合交通運輸大系が初歩的に構築され、チベットの全ての郷・鎮と80%以上の行政上の村に自動車道路が通じ、自動車走行可能距離は5.82万キロに達した。墨脱公路と嘎隆拉隧道が開通し、全国唯一の自動車道路の通じていない県の歴史が間もなく終了する。青海・チベット鉄道が開通し、チベットに鉄道の無い歴史は終了した。ラサ貢嘎空港の誘導灯プロジェクトは運用を開始し、林芝米林空港、阿里昆莎空港、日喀則和平空港が開港し、チベットの夜間の航空機運行が無く、航空路線の支線が一本しかない歴史が終了した。現在、チベットでは、ラサ貢嘎空港を幹線とし、昌都邦達、林芝米林、阿里昆莎、日喀則和平を支線とする飛行場の分布が初歩的に形成され、22の国際・国内の航空路線が開通した。旧チベットの通信は人が背負い家畜が背負う、宿駅式の伝達であったが、今日、チベットも情報化時代に足を踏み出し、光ケーブル、人工衛星、ネットワークを基幹とした現代通信ネットワーク大系が構築され、基本的に郷と郷の間はブロードバンドが通じ、村と村の間は電話が通じている。


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 □ 旧チベットの農牧業は基本的に天気任せの生活で、天気任せの牧畜をしていたが、今では農牧業の近代化レベルは大幅に向上した。チベットの一次産業の成長は、1959年の1.28億元から2010年は68.13億元に増加し、年平均4.8%の成長であった。穀物生産は1959年の18.29万トンから2010年は92万トンに増加した。穀物の1畝(ムー。1/15ヘクタール)当たりの生産量は1959年の91キロから2008年は357.4キロに向上した。年末の家畜の飼育頭数(※)は1959年の956万頭から2010年には2321万頭に増加した。
※年末にはその年に食肉として出荷するものは処分されるので、年末の時点で家畜舎の中で飼育されている家畜頭数が翌年の飼育頭数となる。

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・碘塩 dian3yan2 ヨード添加塩。中国でも、沿海地区ではワカメなど海藻を食べてヨウ素を補給するが、チベットのような内陸部では、ヨウ素を添加した食塩を料理に使って補給するのが一般的。
・可支配収入 ke3 zhi1pei4 shou1ru4 可処分所得。A Disposable Income

□ 平和解放以前、チベットの90%以上の住民は自分の住居が無く、身につける衣服も不十分で、十分な食事もとれない生活であった。この60年、チベットの各民族の人々の生活条件は絶えず改善され、生活レベルは絶えず向上してきた。1951年、チベットの都市部住民の一人当たり平均居住面積は3平米以下であった。2010年末、チベットの都市部住民の一人当たり平均居住面積は34.72平米に達した。2006年から、チベットでは安定居住プロジェクトを突破口とする社会主義新農村建設が開始され、相前後して27.48万戸、140.21万人の農牧民が安全で快適な新居に居住し、一人当たりの居住面積は24平米に増加し、地域全体で全ての住居条件の悪い農牧民が新しい住宅に安心して住めるという目標を実現した。同時に、チベット全体で農牧地区の水、電気、道路、通信、ガス、TV受信、郵便と環境美化の総合建設が推進され、農牧地区の様子は歴史的な変化を遂げた。現在、郷鎮レベルで郵便が通じている比率、同・自動車道路が通じている比率、行政上の村で自動車道路が通じている比率は、それぞれ85.7%、99.7%、81.2%に達し、累計で153.2万人の農牧民の飲用水の安全の問題が解決され、農牧地区のヨード添加塩の普及率は91.2%に達した。2010年、チベットの農牧民の一人当たり平均純収入は4138.7元に達し、8年連続で2ケタの成長を維持し、都市部住民の可処分所得は14,980元に達した。人々の生活が豊かになるにつれ、消費構造は多様化を始め、冷蔵庫、カラーTV、パソコン、洗濯機、オートバイ、携帯電話などの消費財が普通の大衆の家に入ってきた。チベットの農村家庭百戸当たりのカラーTVの所有は73.45台、携帯電話52.64台、自家用車3.98台であり、ラサ市では住民家庭百戸当たりパソコン63台、携帯電話182台、自家用車32台である。放送、テレビ、通信、インターネット等の現代の情報伝達手段は、全国或いは世界と同時に発展し、既に人民大衆の日常生活の中に入ってきている。


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・西蔵班 xi1zang4 ban1 中国内地の学校が、チベット族への高等教育支援の為、チベット族向けに開設したクラス。
・中職班 zhong1zhi2 ban1 “中職”とは「中等職業教育」の意味で、高校生段階で専門の職業訓練を行う、日本の高専のような位置付けの学校。教育年数は、3年、4年何れも存在する。ここでいう“中職班”とは、チベット族向けの高等教育普及支援のため、内地の学校が専門にチベット族向けの職業教育のクラスを設けること。
・毛入学率 mao2 ru4xue2 lv4 ある学年のある教育課程の在校生数の、相当する学齢人口の総数に対する比率。実際の受験者総数を分母にしていないので、あくまで教育機会を表す指標である。

□ 旧チベットには現代的な意味での学校は一校も無く、寺院が教育を独占し、ごく少数の僧官学校があるだけで、大多数の生徒は貴族の子弟で、多くの農奴や奴隷は教育を受ける権利を剥奪され、適齢の児童の進学率は2%に満たず、青年・壮年の文盲率は95%に達し、現代科学技術の普及は尚更皆無であった。1951年から2010年まで、国が累計で投入したチベットの教育経費は407.3億元で、チベットの教育事業の発展を力強く推進した。現在、チベットには幼児教育、小学教育、中学教育、職業教育、高等教育(注:大学など)、成人教育、特殊教育等を包含した、地方の特色と民族の特徴を備えた現代教育体系が構築されている。2010年、チベットには普通高等教育学校(注:日本の大学や短大に相当)が6校、各級の中学が122校、小学校が872校有り、在学生は50万人以上に達する。中国内地のチベット族クラスの在校生は2万人余り、内地の12の省、直轄市で42の学校が中等職業教育クラスを開設した。現在、チベットの就学適齢児童の入学率、初中(注:日本の中学に相当)入学率、高中(注:日本の高校に相当)入学率、高等教育(注:大学等)の概略入学率はそれぞれ99.2%、98.2%、60.1%、22.4%に達した。青年壮年の文盲率は1.2%に低下し、満15歳以上の人口の1人当たり平均の教育受講年限は7.3年に達した。国は農牧民の子女と都市部の貧困家庭の子女の食事、住居、学習費用を全額援助する支援政策を実施し、これには就学前、小学校、中学・高校段階が包含され、現在、これらの支援経費の年間補助標準は2000元に達している。科学技術事業はゼロから出発し、迅速に発展した。2010年、チベットには各種の独立した科学研究所が34か所、民営の科学研究機構が9か所、農牧技術の普及機構が140あり、各種の専門技術者は52,107人で、国家及び自治区の重点科学技術プロジェクトを3,253完成させた。経済発展の中で科学技術の比重は明らかに高まり、うち科学技術の経済成長への貢献率は33%に達し、農牧業成長に対する貢献率は40%に達した。

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・人均預期寿命 ren2 jun1 yu4qi1 shou4ming4 正式には“人口平均預期寿命”。平均寿命のこと。Life Expectancy
・第六次全国人口普査: 第6回国勢調査。2010年11月に行われ、2011年4月に結果が発表された。

□ 医療衛生事業は絶えず健全に発展してきた。平和解放以前は、チベットには3か所の設備が貧弱で、規模のたいへん小さい官営のチベット医の病院とわずかな私営の診療所しかなく、医療に従事する人員は百人に満たなかった。2010年末現在、チベットの各級各種の医療衛生機構は1,352、病床数8,838、衛生技術者9,983人である。政府支出を中心として、各個人が口座を持ち、大病への備えと医療救助を結合させた農牧地区医療制度が全面的に構築され、ラサを中心に、都市部、農村部にあまねく分布する医療衛生網が構築され、どの郷にも病院があり、どの村にも診療室があるという情況が実現した。人民の健康レベルは明らかに向上した。妊婦の死亡率は1959年の10万人中5000人から、同174.78人に下降し、乳幼児の死亡率は平和解放以前の1000人中430人から、同20.69人に下降した。平均寿命は35.5歳から67歳に向上した。第6回国勢調査によれば、チベットの人口は平和解放以前の100万人から300.22万人に増加、うちチベット族が271.64万人で、90.48%を占める。

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□ 養老、医療、失業、労働災害、出産の五大保険を主体とする、都市住民をカバーする社会保障体系が構築された。2009年11月に「新型農村社会養老保険」(“新農保”と略称)事業が展開されて以来、2010年末までに、73の県(市、区)が全て“新農保”の試験実施範囲に織り込まれ、累計で満60歳以上の農牧地区住民に基礎養老金7631.55万元が支給され、企業の定年退職者は1人当たりの養老保険からの支払いが毎月2439元に達し、全国平均レベルを上回った。都市住民の医療保険政策の範囲内の入院費用は保険支払い比率が75.1%に達した。2010年の年度医療費の最高の保険支払い額は13万元に達し、チベットの都市部住民の1人当たり可処分所得14,980元の8.7倍である。社会保険加入総数は166.23万人に達し、各社会保険待遇項目は17.32億元が実行された。都市就業者総数は52.71万人に達し、都市部の登録失業率は3.81%である。


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