shāo rǔ zhū
子豚のロースト
出典:沈宏非著『飲食男女』(2004年江蘇文芸出版社)
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烤乳猪(子豚のロースト)のことを、広東人は焼乳猪、或いは焼猪と言う。この点については、ことばの規範のことであまり質問すべきではない。なぜなら、 烤乳猪であろうと焼乳猪であろうと、この料理は広東人が発明したものだからである。それはちょうど、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、その後そこの土着民をずっと「インディアン」と呼び続けたのと同様、服従せざるを得ない。
『礼記』の中で取り上げられた「炮豚」が現代の焼猪の調理法と比較的似ているけれども、「炮」páo、炙られたものがいったい乳猪であるかどうかは、言葉が簡単すぎて分からない。これに比べ、広州での考古学的発見はもっと説得力があり、南越王第2代、王趙胡(紀元前122年頃)の墓の中で、焼乳猪用のコンロ、フォーク(子豚の身体に突き刺し、火にかけ全体を炙るのに使う串)、子豚の残骨などが発見された。
広東の焼乳猪が天下に抜きん出た技法であることを除き、乳猪(子豚)の広東の人々の風俗の中での様々な付加的用途も、たいへん明らかである。婚礼の祝宴には必ず出さねばならない他、清明節のお墓参りに、広東人は焼乳猪をお供えする。毎年この時期は、焼腊店(ローストした豚、鶏、ダックや燻製のベーコン、腸詰を商う店)では「祭祖金猪」(祖先にお供えする金の豚)を大量に販売し、大いに金儲けをするゴールデンタイムであった。この他、焼乳猪は珠江デルタ一帯の昔の風習では、貞節か否かの符丁と見做された。新婚初夜、女性の方に出血が見られれば、初めての里帰りの日に、男性方は必ず赤い紙に包んだ焼乳猪をお礼に贈り、それを持って行く道々鐘や楽器を打ち鳴らし、以て近隣にこのことを公示した。
もし出血が見られなければ、やはり里帰りのセレモニーはするが、ただ焼乳猪が焼鵞(ガチョウのロースト。一説には生の豚の耳一対)に変わった。劉万章著『広州的旧婚俗』によれば、「新婦が貞節であったか否かは、焼乳猪が贈られたかどうかを見れば明白で、もし焼乳猪が贈られなければ、訴訟沙汰となり、たいへん悲しいことであった。」
広東、香港一帯では、今日でも依然女性が結婚前に貞節を失うことをからかって「失猪」と言うけれども、焼乳猪がどういう訳で貞操と関連付けられるのかは、考えないといけない問題である。イギリスの作家、チャールズ・ラムは『烤猪技藝考原』(豚のローストのテクニックの研究)の一文の中でこう言っている。「それはまだ月足らず(月経の周期に達していない)のちっぽけなもので、未だ曾て汚されていない豚たちの世界の悪習に過ぎない。つまり色欲の観念で、それは彼らの遠祖から代々伝わって来た悪習である……」
やはり少しこじつけの感がある。そうでなければ、誰か代わりに劉心武先生に聞いてみてくれないだろうか。
食べるのはつまり皮の部分である
北京ダックを食べる時、皮に付いたやわらかい肉さえあれば、あんなに大きいアヒルの身体は捨ててしまって顧みないので、いささかもったいなく感じさせる。けれども、焼乳猪は、食べるのは一枚の皮だけで、北京ダックよりずっと高慢である。
この黄金色でもろくてさくさくした皮について、チャールズ・ラムはこう書いている。「わたしは終始こう信じている。この世に、オーブンの担当のコックが極めてすばらしい火加減の超絶なテクニックで作り出した、あの一噛みすれば砕け、少し口に触れれば融けて無くなり、芳しくてサクサクし、歯触りが心地よい、茶褐色で脆(もろ)い子豚の皮に比べられる美味は存在しない。この「脆皮」ということばを、別のことばで置き換えることはできない。それは、あのサクサクし(「酥」)、しっとりした壊れやすい薄い外皮を噛んでみようと思わざるを得ず、そうして思う存分、その中の全てのすばらしい内容を楽しもう。あの凝固した脂肪(「凝脂」)のような糊状のねばねばしたもの、脂肪という言葉ではあまりに不十分で、言葉では表現し難い暖かみのあるもの、それはすなわち油脂の花、そのつぼみは初期であれば摘み取ることができ、芽をふく時は食べることができ、その無邪気で邪(よこしま)な思いが無い段階、つまり……脂身と赤身、脂と肉のめったにないすばらしい結合で、この時両者はとっくに融け合ってひとつになり、緊密で分かちがたく、このため玉露や玉から作った美酒(「玉露瓊漿」)のような非凡な逸品に変化した。」
わたしが長々と『烤猪技藝考原』という一文を引用したことをお許しいただきたい。そうせざるを得なかった原因は、第1に、これが今までわたしが読んだことのある焼乳猪に関する最も美しく、最も満足のいく文章であったから。第2に、このような文章が結局イギリス人の手によって書かれたのは、常日頃焼乳猪を食べている中国語作家に恥ずかしさを感じさせるに足るからである。もちろん、高健先生の訳文は、更に原著に忠実であってしかも原著を越えており、しかも「凝脂」や「玉露瓊漿」とは言わず、単に「酥」の一文字だけを使って、どうやって原文のambrosian(神に値する)、adhesive oleaginous(ねばねばした油質の)、crackling(かりかりする上皮)、brittle(脆い)の類の表現の境地に及ぶことができるだろうか。
『烤猪技藝考原』は18世紀の戯れに書かれた文章であるが、詩のような言葉、少しも出し惜しみしない詞藻(しそう)で、歯の浮くような(ロミオとジュリエットの)ロミオに迫るかのような愛情の独白なのである。ただし、チャールズ・ラム本人が正統な広東式の乳猪を本当に食べたことがあるかどうかは、これまでのところ考証した者を知らない。しかし、ラムが文中で紹介している友人のM(マンニング)は、17世紀初めに中国に住んだことがあり、広州で医師をしていた。
乳猪のあの脆い皮をローストするのは、決して容易くできることではなく、誠にラムが言うように、極めて優秀なオーブン担当のコックと絶妙な火加減が必要である。
10キロ以下で、まだ乳を断っていない子豚を殺し、内臓を取り出し、調味料に漬け込み、蜜を塗り、串を挿して炭火の上に置き、上下にひっくり返しながら90分ほどローストすれば出来上がる。ローストする時は、絶えず上下にひっくり返して、均等に加熱し、同時に小さな刷毛で絶えず豚の身に油を塗らなければならない。全体をサクサクした皮に焼き上げる秘訣は、やはり先ず乳猪の胴体の内側を炙り、それから外皮をローストすること。こうしてはじめて、肉の油がゆっくりと表皮に浸透し、遂には「肉の脂身と赤身、脂と肉のめったに見られない絶妙な結合」という、「玉露や玉から作った美酒(「玉露瓊漿」)のような非凡な逸品」が完成するのである。
もっと研究された作り方は、聞くところによれば、耳やしっぽが焦げ付くのを防ぎ、乳猪が完全にきれいな体形を保つため、コックたちは正式にローストする以前に、菜っ葉の葉などでこれらの部分を包み込み、また豚の腹の中を水で満たした瓶で塞ぎ、腹腔が焦げ付かないようにするそうだ。
広州では、皮の表面の違いにより、乳猪の流派には二通りがある。すなわち「麻皮」派と「光皮」派である。「麻皮乳猪」は、また「化皮乳猪」とも呼ばれ、特徴は強火でローストし、また絶えず油を塗り、同時に絶えず錐で皮の表面を突くことで、油がはじけて出る気泡で乳猪の表皮を柔らかくし、最後にゴマ粒のように均一に広がった気泡を形成させ、黄金色を呈し、食べてみると比較的もろくてさくさくとした歯触りで、「口に入れると融けてしまう」と称賛されている。
「光皮乳猪」に至っては、工程上は上記のような技術的な含量を欠いているが、外見は赤や紫の、まばゆい色彩が溢れ、見かけを論じれば、「麻皮派」は全く相手ではなかった。「麻皮乳猪」と「光皮乳猪」は食べ方でも違いがある。前者は薄い皮の下の柔らかい肉も一緒に切り出し、千層餅(小麦粉を捏ね、表面に油を塗って何層にも折りたたんで焼いた、内部がパイ状になったビン)に挟み、海鮮醤(味噌、砂糖、酢、唐辛子などを混ぜて作った調味料)、砂糖や細切りのネギ、赤トウガラシの細切りなどを点けて食べ、後者はただその薄くもろい皮に、甜醤(テンメンジャン)を点ける。
白砂糖と甜醤(テンメンジャン)は、どこの広東料理のレストランでも、焼乳猪を食べる時のお決まりの調味料である。このふたつは極めてありきたりのもので、生のネギと甜醤が北京ダックに欠くべからざるものであるのとは異なるが、ある程度は乳猪の最終の味を決定する。
閃亮登場(スポットライトを浴びて登場する)
乳猪は美味しいだけでなく、見栄えもする。
乳猪の美味は幾多の文章に見ることができるが、それは既にチャールズ・ラムにとどめを刺し、焼乳猪の見栄えの良さに至っては、形(全身に南宋、哥窯(かよう)で焼かれた青磁のようにひび割れの紋様が入っている)、色(エビ茶色や黄金色を呈する)の他、更に正式な宴席で乳猪を出す時の体裁に見て取れる。
『清稗類鈔』の記載によれば、「焼烤席は、俗に満漢大席と言い、宴席の中でもこれ以上ない上品である。ツバメの巣、フカヒレなど珍しい肴以外に、必ず焼猪(焼乳猪)を出し、それは必ず丸焼きでないといけない。酒が三巡すると、焼猪を出し、コックや召使は皆礼服を着て入場する。コックは料理を捧げると待機し、召使が手にした小刀で身を割き、器に盛り、膝を屈して、首座の客に献じる。」
「満漢大席」はすなわち「満漢全席」で、中華料理の最高峰の料理である。許衡の『粤菜存真』が記載する広州、四川両版の 満漢全席メニューによると、そのどちらにも 焼乳猪が現れる。広州のメニューでは、焼乳猪は「二回目」の「熱葷」(肉、魚料理)として、フカヒレの姿煮、翡翠珊瑚、口蘑鶏腰といった料理のすぐ後に出され、この度の最後のメイン料理となる。比較的簡略な四川膳のメニューでは、焼乳猪は「叉焼奶猪」の名で、「四紅」(すなわち叉焼奶猪、叉焼宣腿、烤大田鶏、叉焼大魚)の首位に列せられる。
もし例えば結婚式、同窓会、表彰式の類でその宴会を取り仕切ることになったら、乳猪を出しておけば、宴会の格式は他に勝りこそすれ決して劣らないものとなるだろう。楽器や太鼓が一斉に鳴り響き、数十頭の乳猪が数十台の色とりどりに飾り付けられた輿に乗せられ、古代の料理店の給仕に扮した服務員が1列縦隊で輿を担いで登場し、乳猪の両眼には赤色の電球が取り付けられ、会場の照明が暗くされると、子豚の両眼から絶えず点滅する赤い光が突出し、これは掛け値なしの「光り輝く登場」であり、主人の面子も賓客たちの気持ちも、この時に頂点に達する。
もっとすごい演出の場合、会場を練り歩いた乳猪が厳かにテーブルの上に置かれても、依然会場の照明は落とされたままで、一筋のきらきら光るスポットライトが乳猪の上に当てられ、まるでその子豚がすぐにスピーチを始めるかのようだ。
乳猪全体(子豚の丸焼き)
広東では、焼乳猪はレストランで食べることができるし、街の焼腊店(ローストした豚、鶏、ダックや燻製のベーコン、腸詰を商う店)で買うこともできるが、何れにせよ、乳猪を食べる時はその一部だけ買うのは良くなく、丸々一匹の丸焼きが良い。
いわゆる乳猪の一部というのは、一匹の乳猪の身体から切り取られた十や二十の枚数の皮である。もちろん、子豚一頭全体のローストが素晴らしければ、その一部の焼け具合も決して遜色無いだろう。ただ、外観の印象は、一頭全体のあの満足感は感じられず、またそれ以外にも、並べて冷凍されるので、皮の歯ざわりやサクサクした脆さが多少差し引いて考えないといけなくなりがちである。一頭丸焼きの乳猪は、レストランのメニューを書いた看板では、「乳猪全体」と書かれ、メインディッシュの名称である。しかし、「乳猪全体」を食べようと思ったら、数人で行ってもだめで、おそらく「友達全員」とか「親密な友人全員」を集めなければならない。人数は十分に集めるのが難しいだけでなく、「全体」(一頭丸ごと)の乳猪は通常予約が必要である。
不幸なことに、乳猪は会食や宴会でしばしば「雰囲気を作り出す」重要な役割を担っており、およそ「乳猪全体」が出される場合は、十中八九が皆「全体大会」の類で、その盛況さは空前で、にぎやかで混乱した現場では、実際に乳猪を子細に楽しむことが大いに妨げられる。今年のはじめ、香港で「万衆一心千禧耀東華」(大衆が心をひとつに長しえの幸福を祝い、東中国を照らす)という慈善公演に参加した芸人たちのグループは、主催団体の手配でレストランに行き、祝賀宴会を開催し、大衆と共に楽しんだが、最後は気まずい思いで別れた。その原因は、主に騒々し過ぎたからで、舞台の下で「参加者全員が飲み食い」するのはまあ良い。それ以外に大声で酒席のゲームをする者、更には大声でカラオケを歌う者までいた。しかし、宴会に多少関与した歌手の楊千嬅が事後に芸能ニュースの記者に語ったところでは、彼女はこうした「回りがたいへんにぎやか」なところで歌を歌うのは別段気に留めていない。というのも、これまで彼女は様々な経験をしたが、彼女がはっきり憶えているのは、こうした場所で歌を歌う時、お客の中にはテーブルの上の焼乳猪を食べることばかり考え、更に食べる時に音を立てる。楊千嬅が言うには、こういう情況は本当に受け入れ難く、自分が甜醤(テンメンジャン)になったように感じると。それで、彼女は誓いを立て、自分にこう言い聞かせた。「気を付けて歌を歌おう。決して乳猪の甜醤にはなるまい。」
甜醤と言えば、わたしは実際、これはあるレストランの乳猪を試すひとつの重要なめやすだと思う。わたしは、大部分の乳猪を売るレストランは、焼き加減は皆悪くないのだが、ただ一般に誠意に欠けるということを発見した。豚と一緒に出される甜醤と白砂糖は、皆固まってしまっている。明らかに、これは厨房の中で長い間貯蔵されていたという悪い結果である。
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