四合院は外から見て、周りを塀で覆っているので、門はその屋敷の中に通じる唯一の入口となり、その家の顔であり、そこに住む人の身分を表わしています。それゆえ、歴史上も、門の形式は特別に重視されてきました。歴代の法令や制度では、門には厳格な等級規定があったそうです。それを表す成語もあり、「書香門弟」(読書人の家柄)、「朱門大戸」(朱塗りの門の大富豪)、「柴門草戸」(柴の戸や草葺屋根の貧しい家)などという言い方があります。
また、風水の面から見ると、門の位置、色、門の向きなどの要素が、この家の家族の盛衰に影響する重要な問題でした。部屋の入口が表門にまっすぐ向いていないのは、聞くところによると亡霊が歩く時に曲がることができず、部屋の入口が表門にまっすぐ向いていなければ、亡霊がたとえ表門から入ってきても、まっすぐにしか進めず、部屋の中に入って来られないからだそうです。
一本の胡同の中で、隣どうしの家の門は向かい合わないよう配置されます。さもないと邪気がぶつかりあい、不吉だからです。凶を避け、吉を求めるという心理や願望から、屋敷の前方が後方をできるだけ遮ることがないように、前方の建物は後方より高さが低くなるように設計されています。屋敷の表門は左右の家の門よりできるだけ突出するように設計されています。それは周りを威圧するためで、このため多くの通りや故同は曲がりくねり凹凸があり、直線になっていないケースが多かったようです。このように、表門と吉凶や禍福の関係は、昔の風水の重要な話題のひとつであったことが分かります。
門のことを「門楼」と言いますが、その本来の意味は、四合院の門の上部を指し、レンガや瓦で構成される屋根の部分のことです。建築学的には、「門楼」というと、屋根以外に、抱鼓石、門簪、石段や、門の傍らの側壁なども含まれます。王府(皇族の邸宅)の宮門の門楼は、風格や身分に気が配られていますが、形式上の変化はあまりありません。一般の人々の家の門楼は、王府の宮門のように規定が厳格ではなく、自分の好みや経済条件により、自由に設計できました。それで、これらの門楼は形式が多様で、装飾も多様で、それぞれ特徴を持ち、たいへん凝っていました。
北京で最も多い四合院の門は「道士帽式」というものです。ここで俗に「道士帽」と呼ばれるのは、中国の土着の宗教である道教の僧侶、道士のかぶっている帽子が、その門の形とよく似ているからです。
道士帽(純陽巾)
道士帽式門楼
上の写真が純陽巾という種類の道士帽で、その下の写真の門の屋根の形とよく似ている、ということです。
こういう門楼は一般の四合院の中では比較的凝ったもので、作るのに手間がかかり、費用も高くなります。こうした門を建てる手間は、家を建てるのとほぼ同じです。屋根の上は、比較的厚い漆喰の上に、陰陽瓦を積み上げて作ります。「陰陽瓦」というのは半円形の瓦で、積み上げる時に、一列は開口部を下に向け、一列は開口部を上に向けるので、「陰陽瓦」と呼ばれます。
陰陽瓦
「清水脊門」(又は魚脊門(魚の背形の門)と呼ばれる)は、外観は道士帽式と大同小異ですが、見た感じがそれより多少複雑です。棟を上げなければならないだけでなく、彫刻のある磚を積み上げたものもあり、建てるのにかなり費用がかかります。前、後に屋根の傾斜があり、両方の傾斜は陰陽瓦で形作られ、てっぺんには円筒瓦が積み上げられ、一番上端にはそれぞれ跳ね上がった尾根の先があり、門楼全体が青黒色に塗られており、「清水脊」の名はここから来ています。
清水脊門
「轂轆銭門」(「轂轆」は車輪のこと。銅銭門)は、一般の人々が住む四合院の中でごく普通の門楼です。通りに面した門の両側に四つのレンガ積みの突起が立っており、突起と突起の間は瓦でつないで装飾模様がいくつか作られていて、俗に「轂轆銭」(銅銭模様)と呼ばれます。上端はレンガを平らに積み、更に白い漆喰で車輪や銅銭形の模様を白色に塗り、周囲は青みがかった灰色にします。「清水脊」の門楼と異なり、「轂轆門」のレンガの突起とレンガの隙間は外側に露出していて、漆喰を塗りません。この門のことを、「歩歩上台階、階階上有銭」(一歩一歩石段を上がると、一段上がる度にお金が儲かる)と言います。一種の縁起かつぎですね。
轂轆銭門
次回は、門楼を構成する各パーツについて、紹介していきたいと思います。