先日兄を納めた、一心寺はお骨納とおせがきで知られ1185年(約800年前)に創建されました。
開いた方は、その当時京都東山の華頂山の麓(今の知恩院)で新しく念仏の教えを広めておられた
法然上人であります。
法然上人は文治元年(1185)春、当時四天王寺の別当(管長)であられた有名な慈鎭和尚(慈円)
のお招きにより、四天王寺に参拝されました。
その時、四天王寺の西門(さいもん)から更に西数丁の所で美しい日没の光景を目にされました。
空と海を黄金色に染めて落ちてゆく夕陽をご覧になり合掌して南無阿弥陀仏とお念仏を称えられました。
上人はその場所に四間四面の草庵(小さなお堂)をお造りになり、「荒陵の新別所」(あらはかのしんべっしょ)という名を付け特に日想観(にっそうかん)というおつとめを営まれたのであります。
日想観というのは、西方に沈みゆく太陽に向かって念仏を称え、極楽浄土を願う、感無量寿経という
お経に說かれている念仏修業の一つであります。
この草庵は西方が開け眺望が遠く海上に広がり日想観を勤めるには理想的な場所でした。
のちには後白河法皇もおいでになり、法然上人と共に日想観をつとめられました。
難波潟入りにし日をもながむれば
よしあしともに南無阿弥陀物 後白河法皇
阿弥陀仏といふより外は津の国の
何はのいこともあしかりぬべし 法然上人
という歌を残されています。
法然上人が日想観を務められたこの草庵こそ、一心寺のはじまりであります。