釣りに関しての長い人生でのことを書かれておられる僕の崇拝する八木さんの文をまた載せさせてもらいます
「ダボ鯊の戯言」
渓流釣りシーズンになると、必ず読み返すのが文豪、井伏鱒二の釣り短編集「川釣り」です。
コンパクトな新書版の中に二十編もの“釣り文学”が収まっていますが、とりわけ「白毛」が含蓄に富
んだ作品に仕上がっています。
サヨナラだけが
人生だ
舞台は、渓流釣りの河原。出会った若い釣り人二人に、羽交い締めにされ、主人公が
頭から“白毛”を抜かれます。
「おッさんの白毛をよこせ。おとなしくよこせ」。男たちは白毛を渓流釣りのハリスにしようという魂胆なのです。
若い男は主人公の体の向きを変え、後ろから両腕で固く抱きしめます。たいして抵抗もできないまま、もう一人に三十五本ほどの白髪を抜かれる。よくまぁ、数えていたものですね。釣り場でこんな事があってたまるか、という薄ら寒い気になると同時にぷっと吹き出しそうにも。
憤懣やるかたない主人公はしばらくしてアユ釣りで懇意になったある年長者に、白毛強奪の顛末を打ち明けると「あなたの白毛がテグス三毛(03号)としてもその追剥たちは4寸のハヤなら釣り落としたでしょうね」と慰められます。
それから話は髪の毛の強度と栄養、はては禁欲する、しないで髪の毛の弾力性にひらきがあるなんて話になり最終的に次のような話を紹介し、読者を少しホッとさせてくれます。
曰く。ある釣り人が、メダカを釣るのに、よその娘さん三人に頼み込んで、額の生え際の生毛をもらって使った。
二人の娘さんのは切れて、一人だけ切れなかった。なぜ?
「実は、切れない生毛をくれた娘さんはまだ男を知らなかったのです」とその釣り人が小声で明かしてくれたとか…。
とまあ、ここで「お後がよろしいようで…」と話は終わるわけですが、だぼ鯊はイマイチ吹っ切れません。
それは、「山椒魚は悲しんだ」で始まる井伏鱒二のデビュー作「山椒魚」以来、「不運」な主人公が気になってならないからです。「白毛」の主人公も「不運」極まりない。
そんな不運な主人公たちへの「厄除け札」のつもりで書いたのでしょうか井伏作品には「厄除け詩集」というのがあります。
詩集は「創作詩」と有名な漢詩を訳した「訳詩」から構成されており、漢詩訳では于武陵(うぶりょう)の「勧酒」の訳がとくに有名です。題して「サヨナラだけが人生だ」。
(元の漢詩)
勧君金屈巵/満酌不須辞/花発多風雨/人生別離足
(和訳=直訳)
君にこの金色の大きな杯を勧める/なみなみと注いだこの酒遠慮はしないでくれ/花が咲くと雨が降ったり風が吹いたりするものだ/人生に 別離はつきものだよ
(井伏鱒二の訳)
コノサカヅキヲ受ケテクレ/ドウゾナミナミツガシテオクレ/ハナニアラシノタトヘモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダ
釣り場で「白毛」を強奪された男も、洞穴の出口に頭が閊(つか)えて外へ出られなくなった山椒魚も、「サヨナラだけが人生だ」で吹っ切れる?だぼ鯊は、なかなか吹っ切れませんが…。(イラストも・からくさ文庫主宰)