八木さんの楽しいダボ鯊の戯言の連載を
洋の東西を問わず、人間の考えることにあまり変わりがないなァ~と思い当ることがよくあります。同工異曲、似たり寄ったり、です。裏返せば、国や人種、言葉は違っても、結局、思いついたり、行動に移したりすることに、大差はない、という実感です。
クレオパトラ
潜水夫を雇う
釣りは「絶対」という言葉のない行為です。どうしても釣りを「絶対」にしたいなら、水中にあらかじめ、生きた魚を持った人を潜らせ確実に魚の口にハリを刺し、テグスを引く。これこそは確実な釣りの「絶対化」です。実現するには、相当の権力者でないとできません。さもなければ、あくどい金儲け主義者です。
そんな事象を、古代ローマ、中国清王朝、現代アメリカを舞台に、それぞれ見てみましょう。
先ず、四百年以上もの昔に書かれたシェイクスピアの戯曲。『アントニーとクレオパトラ』。ご存知古代ローマ時代に恋に身を滅ぼすアントニウスとクレオパトラを描いたものですね。
二人で釣りに興じ、クレオパトラが雇った潜水夫が、アントニウスの釣りバリに魚を付け、「釣れた、釣れた」と抱き合って喜び、ローマンスへと発展していく。
これには異説もあって、互いが潜水夫を雇い、アントニウスの釣りバリには塩漬けの魚を付け、つりあげさせて、居並ぶギャラリーの失笑を買うように仕向けた…などの解釈もあるようですが、いずれにしても水底に人を配し、ハリに魚を装着し、釣り上げさせるという発想です。
この「思いつき」は、ローマから東へ数千キロ離れた中国大陸でも実践されていました。時は今から二百五十年ほどの昔、中国清王朝六代目皇帝、乾隆帝(けんりゅうてい)が主人公。
江蘇省揚州は塩の交易で栄えた都。ある時、痩西湖(そうせいこ)という風光明媚な湖に来た乾隆帝は、いきなり釣りをしたいと言い出し釣りを始めたもののなかなか魚が釣れなかったようです。揚州の塩商人や塩役人たちはこれは一大事と、地元の漁師を水中に潜らせて、皇帝が垂れる釣りバリに魚を取り付けた。何も知らない乾隆帝は、次々と釣れる魚に上機嫌になり、この場所が好きになった。以来そこを「釣魚台」と呼び、名所になっています。そこはもともと音楽が演奏される場所として建てられたそうですが、観光で訪れた方ならお分かりでしょうが、釣りには最高の「出っ張り」です。
まあ、これは権力者への究極のゴマすりですね。
最後にアメリカの風刺漫画(模写)です。だぼ鯊がたまたま旅の道すがら土産に求めた「トランプ」53枚。そのすべてに、ウィットに富んだマンガが描かれています。「釣り上げようぜ」というケースの表書きに「釣り」のものなら何でも欲しかった当時のだぼ鯊が衝動買いしたものです。帰りの機内で、退屈しのぎに封を切ったら、思わず吹き出しそうなヒトコマ漫画が次から次へ、時を忘れてしまいました。
すべてが諧謔、滑稽、ユーモアに満ち満ちて、1枚の題材からいろんなストーリーが生まれそうな、そんな笑いの玉手箱。その中で思わずクレオパトラや乾隆帝を思い出し、笑いを禁じ得なかったのが、この一枚です。
ゼニ儲けの下心から釣船のオーナーが潜ったのでしょうね。いかにも強欲そう…。(イラストも・からくさ文庫主宰)