佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

誕生日 Ⅱ

2016-02-18 18:08:20 | 日々の思い

2度死に掛けた関係でか、いまだに長生きしています、僕を生かせて女房を先に別世界に

送った神さんに、ナゼ?といいたい。

女房がガンにかかるなんて思いもよらなかった、9年の長患いをしていてもいつも笑顔が

たえなかった、苦しいなんて言ったのは長い間に1度だけ聞いたが絶対に直るんだと

自分に言い聞かせていたのだろう、病は気からというからそれを払いのけていたから9年

もの間がんばれたのだろう、本当に代われるなら代わりたかったというのは本心でした。

結婚生活49年付き合いを入れたら53年にはなるだろう、よくしてくれました。

子供がいない分たぶん「好きにさせてあげたのよ」といってるだろうあの世で・・・

 

働き者で仕事に関しては絶対に人に負けたくないと云う信念を持っていたから、どこに

呼ばれていっても1年もしないうちにすべてを任されていた。

私が始めて勤めた設計事務所、千里の大きなレストラン、北の新地のクラブ、本町の大きな

マージャンクラブといろいろな仕事をこなしたがいつもトップにたって仕事をしていた。

 

その上、僕の事務所の会計から事務までやってくれたので何とかなっていたのだと思うが、

当時は彼女に刺激されて僕も24時間営業だなんていって、若い所員とがんばっていた。

そのころの事務所のメンバーは時間の制約はなく自由に出勤していた、ただ2班に分けて

それぞれが仕事を持って締め切りに間に合うようには決めていたので、休むのもその班長に

任せていたが、みんながやる気であったので締め切りにはいつもぎりぎりであるが、間に

あっていたのでした。(大分処理場)(

(1番弟子2番弟子ともよくやってくれました、今は奈良と和歌山で独立してやってますが) 

広島の仕事をしているときなどは、出来上がったのを車に積んで、夜中の2時から翌朝の

9時に間にあうようによく走りました、7時間かけて、当時はまだ広島まで高速道路が

できてなかったので、大変でした。

でも出張は楽しいこともありました、広島から飛行機で東京に移動するときに当時の

巨人軍の長島さんと隣同士になり楽しい話を聞かせてもらいサインもいただきました

今も私の宝物です。

(神戸新多聞処理場)

 

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誕生日

2016-02-17 18:10:52 | 日々の思い

12日に78歳の誕生日を迎えました、長く生きてきたものです。

毎年この日が来る前に、北海道の雪祭りを見に行きたいとそして向こうで誕生日を迎えたい

ものと、いつも思っていても実現できません。

女房が健在なときに話はしていたのですが・・・いつか実現したいものと思っているうちに

人生が終わるのでしょう、それもまたいいのかも、今年は平日のそれもお昼にと吉岡女史が

企画してくれて伊丹の白雪酒造の長寿蔵というお店で食事をいただきました。

声をかけなかった友人には申し訳なく思いますが平日のお昼ということで少し遠慮した。

以前から時々行っている店で、値段の割にはおいしいものを食べさせてくれる、めずらしい

ムール貝もでてくるし、お店のウェートレスさんがお酒を継ぐためのバフオーマンスを

披露してくれたのでみんなが感心していた

この年になってお祝いをしてもらうのは嬉しい様な気恥ずかしいような気分です、

でも正直嬉しくありがとうといいました。

 

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私の魚拓からその10 

2016-02-16 18:16:20 | 釣り

カンダイ 拓正会前川さんの作品

平成13年5月の日振島(体長76センチ、7,2キロ)

日本釣連盟連絡協議会が、華やかなりし頃の話

長く続いてきたこの会も、各団体の凋落が激しく特に大阪などは見る影もない様な

状態で、若い新大阪荒磯クラブの西君が引き継いだようで苦労していることでしょう

これは磯釣の人口が極端に減ったためでもあろう、今の若い人は磯にはあまり興味が

ない様で釣といったら、ルアーとなるようです。

磯の面白さや楽しさよりも危ないというほうが先に来るようですので・・・

当時は和歌山の志賀さん、兵庫の藤沢さん、大阪の新竹さん、滋賀の曽我さんといった

そうそうたるメンバーがおられて会をひっぱっておられて1年に1回の大きな大会が

行われたのでした。

その大会を遠く四国の端の日振島まで出かけて、選手、役員さんら100人近く参加した。

この大会はグレの大会であるが、私のように底物をするものも、お手伝いに借り出される

のであるが、選手全員が磯に上がると後は検査官だけおればよいので、釣をさせてもらえる

その時に釣り上げたのがこのカンダイ、足場の悪い狭いところにあげられたものですから

取り込むときに海に落ちそうになりながら取り込んだもので、この磯の横で見ておられた

和歌山の副会長である尾西氏が後で,

はまるかとおもいヒヤヒヤしていたと話してくれた。

なんせ幅が1mもない断崖の磯でしたから・・今ならよう上がらん磯です。

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私の魚拓からその9

2016-02-15 18:04:27 | 釣り

グレ

昭和63年1月、種子島にて私が釣ったグレの最大のものです。

この当時、この種子島は沸きグレでにぎわっていたそうで、和歌山県釣り連盟の

会長のグレ釣り名人といわれた志賀氏に、今は亡き仲のよい釣友でも合った、

中谷氏と連れて行ってもらいました。

ここのグレは沖に船をかけて磯釣りと同じように撒き餌をしてグレを浮かせて釣る

という方法で、沖合い20mぐらいの所にグレが沸きあがってくるという、

そのグレたるや皆40~60ぐらいはあるというのが海面にバシャバシャとエサを食べに

出てくるのであるから、今時の釣り人はそんなのを見たこともないであろう。

サオも3号クラスを使いハリスも4号、5号で食ってくるのであるからすごい。

ウキが消えた瞬間に竿が海面に突き刺さっていくような感じで手元まで一気に締めてくる

ので爽快でした。

 

その沸きグレがあちこちにできるのであるから、当時はここにはグレがワンサといたので

あろうと思える、ウキを流し撒き餌をしていくと、一瞬その沸きグレが姿を消したように

見える、その瞬間にサオが手元まで曲がってくるのであるから・・・

そしてあがってくるのが皆40以上の良く肥えたグレばかりなのだから、腕が痛くなるほど

よくつれました、今の若い磯釣師には気の毒なようです、今から28年も前の話でした。

 

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魚拓

2016-02-14 16:23:04 | 日々の思い

拓正会の魚拓

太刀魚

下村さんの作品

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