ようやく甲斐へ戻った勘助
大歓迎でしたね
ようやく武田家の一員になった瞬間です
砥石崩れの原因を作った真田幸隆、家中の冷たい視線を
一身に浴びていますね
さぞかし肩身の狭い思いだったのでしょう
そんな幸隆に秘策を授ける勘助。
やっぱり武田の軍師は山本勘助、あなたですね
海野家の再興を餌に、ついに常田隆永を寝返らせました
さすが勘助、盲目の次男龍芳を海野家の姫と結婚させるとは
考えたものですね

龍芳(信親)は武田家が滅亡した時に自刀して果てるのですが
息子(信道)は逃げ延び、高家武田家として続くのです
この時、龍芳に海野家の名跡を継がせたため武田の名前は
残ったともいえますね
因みに、次男の龍芳を信玄は大変可愛がっていたそうですよ
それにしても、砥石城を守っていた須田新左衛門まで味方に
つけるとは、上手くいく時はこういうものです

難攻不落の砥石城も戦わずしてあっけなく武田のものになる
のですから
いや、武田ではありません、真田のものでした
真田庄に入った幸隆にとって、万感迫る思いがあったでしょうね
紆余曲折がありましたが、遂に幸隆は旧領を回復した訳です。
仇敵である武田に就いた幸隆の判断が間違ってなかったと
云う事です
今回の大河を見て槍・刀・鉄砲より調略は最大の武器だという
ことが良く分かりました
ところで
毘沙門天と言うとやっぱり上杉謙信ですよね
自らの軍旗に『毘』の旗を掲げ毘沙門天の化身とまで思って
いたのですから…
実は武田信玄も毘沙門天に深く帰依していたのです
謙信と違うところは、いろんな宗教も信仰していたと云う事
なのです
臨済宗・天台宗・真言宗などなど。
神仏では八幡神・諏訪明神・飯綱(いづな)明神・不動明王
そして毘沙門天などです。
不動明王は悪魔を退治する武神ですし、毘沙門天は仏の住む
北方を守護する神なのですが、古より戦の神として崇められ
てきたのです
謙信は、天皇の北方を守護する自分と毘沙門天とをダブらせ
ていたのでしようね
正義の味方、上杉謙信。毘沙門天の生まれ変わりとして…
同じことが信玄にも言えるのです。
違うのは、戦の神として崇めても謙信の様に一つの神に執着
はしなかったのです。
あくまでも戦勝祈願やご利益の為、神仏に縋ったのではないかと
思うのです
うがった見方をすると、川中島の戦は毘沙門天同士の戦いとも
言えなくはありません
同じ神様でも二つに分かれて戦うのです
イスラム教やキリスト教もそうですが、人間は今の時代も同じ事
を続けていますよね
歴史は繰り返すのです



大歓迎でしたね

ようやく武田家の一員になった瞬間です

砥石崩れの原因を作った真田幸隆、家中の冷たい視線を
一身に浴びていますね

さぞかし肩身の狭い思いだったのでしょう

そんな幸隆に秘策を授ける勘助。
やっぱり武田の軍師は山本勘助、あなたですね

海野家の再興を餌に、ついに常田隆永を寝返らせました

さすが勘助、盲目の次男龍芳を海野家の姫と結婚させるとは
考えたものですね


龍芳(信親)は武田家が滅亡した時に自刀して果てるのですが
息子(信道)は逃げ延び、高家武田家として続くのです

この時、龍芳に海野家の名跡を継がせたため武田の名前は
残ったともいえますね

因みに、次男の龍芳を信玄は大変可愛がっていたそうですよ

それにしても、砥石城を守っていた須田新左衛門まで味方に
つけるとは、上手くいく時はこういうものです


難攻不落の砥石城も戦わずしてあっけなく武田のものになる
のですから

いや、武田ではありません、真田のものでした

真田庄に入った幸隆にとって、万感迫る思いがあったでしょうね

紆余曲折がありましたが、遂に幸隆は旧領を回復した訳です。
仇敵である武田に就いた幸隆の判断が間違ってなかったと
云う事です

今回の大河を見て槍・刀・鉄砲より調略は最大の武器だという
ことが良く分かりました

ところで
毘沙門天と言うとやっぱり上杉謙信ですよね

自らの軍旗に『毘』の旗を掲げ毘沙門天の化身とまで思って
いたのですから…
実は武田信玄も毘沙門天に深く帰依していたのです

謙信と違うところは、いろんな宗教も信仰していたと云う事
なのです

臨済宗・天台宗・真言宗などなど。
神仏では八幡神・諏訪明神・飯綱(いづな)明神・不動明王
そして毘沙門天などです。
不動明王は悪魔を退治する武神ですし、毘沙門天は仏の住む
北方を守護する神なのですが、古より戦の神として崇められ
てきたのです

謙信は、天皇の北方を守護する自分と毘沙門天とをダブらせ
ていたのでしようね

正義の味方、上杉謙信。毘沙門天の生まれ変わりとして…
同じことが信玄にも言えるのです。
違うのは、戦の神として崇めても謙信の様に一つの神に執着
はしなかったのです。
あくまでも戦勝祈願やご利益の為、神仏に縋ったのではないかと
思うのです

うがった見方をすると、川中島の戦は毘沙門天同士の戦いとも
言えなくはありません

同じ神様でも二つに分かれて戦うのです

イスラム教やキリスト教もそうですが、人間は今の時代も同じ事
を続けていますよね

歴史は繰り返すのです


