ブログで政治ネタ、宗教ネタを書くのは禁じ手として、自らに戒めとして課してきました。それについては変わっていないのですが、これは政治ネタではなく時事ネタとお受け取りください。この方が大臣でいるだけでも日本は危ういのに、何かの間違いで総理にでもなった日には間違いなく日本沈没です。
あれ!? いやいや、時事ネタですよ(笑)
「ブロック太郎」は首相でも?河野氏発言が物議
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/politics/kyodo_nor-2024090701000211
※以下、引用です。
自民党総裁選に立候補する河野太郎デジタル相が、X(旧ツイッター)で特定の利用者のメッセージを遮断できる「ブロック」機能を首相になっても使用する方針を示し、物議を醸している。誹謗中傷が相次いでいることを理由に挙げるが、反対意見に耳を傾けない姿勢の表れとみる向きも。専門家はブロックの乱用をけん制しつつ「規制強化に向けた議論を主導してほしい」と求める。
河野氏は外相や防衛相を歴任。Xのフォロワーは255万を超え、政界随一の発信力を誇る。一方、X上では「ブロックされた」との報告が相次ぎ、「ブロック太郎」とやゆされる。
河野氏は総裁選への出馬を表明した8月26日の記者会見で、Xで一般人をブロックすることの見解を問われ「誹謗中傷が非常に増えてきた。受け止める必要は全くない」と正当性を主張した。
作家の平野啓一郎さんはXで「単なる意見や訴えまでをも、かたくなに『誹謗中傷』だと断じ、全否定している。そういう人間が首相になれば、言論の自由の危機であり、まともな批判的助言は耳に入らないだろう」と懸念をつづった。
余談ですが、私が関大在学中に工学部に小松教授という方がいらっしゃいました。日本沈没の著者である小松左京氏の実兄です。私は経済学部だったので、工学部の学舎は隣でした。教授はよく「弟はどうも頭がおかしいんですよ。まともならあんな小説書けませんからね」とおっしゃっていたそうです。ちなみに、小松教授は“小松右京”と呼ばれていました。懐かしい話ですが、まさに日本沈没がベストセラーとなってテレビ放映された2~3年後の頃です。
自民党の総裁選のメンバーを見ると、日本の政治家のレベルの低さに涙も出ませんね。冗談抜きで誰がなっても「日本沈没」は避けられない危機です。とはいえ、野党も情けないもので、対抗できる人材は皆無です。いや、志ある政治家は与野党の別なくいるにはいるのですが、彼らには数の力も金の力もありませんから如何ともし難いところです。
おっと、これは時事ネタでした。主題は「ブロック太郎」についてでしたね。
まあ、批判も誹謗中傷も区別できないような人物なら、首相はおろか政治家にすらなってはいけませんね。政治家になるということは、プライバシーも個人情報も一切ない公人となる訳ですから、何があっても受けて立ち、自らの力量で差配しないといけません。できないなら、潔く退出すべきことではないでしょうか?
この方だけでなく、小さいことに執着する小物政治家が多過ぎませんか? 日本沈没は遠からず訪れそうです。
ところが、日本という国はしぶといもので、どれだけ政治家が無能であっても国家として維持できる底力があります。それこと、ゴジラによって首都機能が壊滅させられても復活するのです。
それは、歴史上この国に民主主義というものがなかったことにも起因します。民社主義とは聞こえは良いですが、結局のところ金と力のあるものが勝つ世の中ですから、それが公平だと言われれば公平なのでしょうね。(平等という言葉は危ない言葉なので使いません。平等とは頗る不公平な世の中を指して言う言葉だからです)
努力して成りあがったものが力を持つという世の中は公平な世の中です。しかし、日本には民主主義が存在したことがありません。
日本の政治は歴代官僚が取り仕切ってきました。頭の弱い政治家たちは官僚が示す筋道を辿って歩くだけです。従って、この国は誰が総理になったとしても、その総理がどうしようもなく無能であったとしても国家としての屋台骨は揺らぐことがありません。しわ寄せを国民に押し付けておけば丸く収まるのですから。
建前上、議会制民主主義の日本では、直接選挙で首相を選ぶことができません。いままで、多くの国民が政治に関心を持たなかったツケが高くついているのでしょうね。
そこで、この「ブロック太郎」くんですが、もはや言語道断です。間違っても上に立たせるべき人材ではありません。ということで、政治ネタではない、時事ネタとして取り上げました。
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