日野原重明氏の105歳の時の著作「いくつになっても、今日がいちばん新しい日」を読みました。生きる力を与えてくれる言葉が綴ってあります。その中でも、2章「老いを認める」と3章「老いを整える」の中の「平静心」呼び起こすの項の迫力は圧巻です。
・「善人は悩まねばならぬと昔から言われていることは、本当だと悟りました」という引用からです。悟るということは、知識ではありません。体験の中から生じる知恵であり、迷うことのポジティブな成果として勝ちとれるものです。「迷わぬ者に悟りなし」といえましょう。
・ストア学者エピクテートスの「世にはわれわれの力の及ぶものと、及ばぬものとがある」の引用からです。我々の力の及ぶものに判断、努力などをあげ、力の及ばないものに我々の肉体、財産、名誉、官職などをあげています。エピクテートスは不断の魂の平静の真価を説き、哲学者ヒルティーはエピクテートスの言葉を人間の幸福の礎としました。
・「この平静心があってこそ、古の賢人たちは「どんな逆境に際してもその力を恃んで、自分の忍耐力を数々の不幸と取っ組み合いさせた」モンテーニュは述べています。
・紀元前のアフガニスタンの遺跡の碑文にも敬服です。
子供の時に良き節度を学び、
青年時代には感情のコントロールすることを学び、
中年には正義を学び、
老年になっては良き助言者になることを学ぶ。
そして、悔いなく死ぬ。
日野原重明氏の105歳の時に死を現実として迎える為の魂の救いを古典に求めて、苦悩から彼の心が楽になる経過を追っているような気がしました。その姿を読んで、私達に平静心へ導き、あるべき姿を教えてくれます。
・「善人は悩まねばならぬと昔から言われていることは、本当だと悟りました」という引用からです。悟るということは、知識ではありません。体験の中から生じる知恵であり、迷うことのポジティブな成果として勝ちとれるものです。「迷わぬ者に悟りなし」といえましょう。
・ストア学者エピクテートスの「世にはわれわれの力の及ぶものと、及ばぬものとがある」の引用からです。我々の力の及ぶものに判断、努力などをあげ、力の及ばないものに我々の肉体、財産、名誉、官職などをあげています。エピクテートスは不断の魂の平静の真価を説き、哲学者ヒルティーはエピクテートスの言葉を人間の幸福の礎としました。
・「この平静心があってこそ、古の賢人たちは「どんな逆境に際してもその力を恃んで、自分の忍耐力を数々の不幸と取っ組み合いさせた」モンテーニュは述べています。
・紀元前のアフガニスタンの遺跡の碑文にも敬服です。
子供の時に良き節度を学び、
青年時代には感情のコントロールすることを学び、
中年には正義を学び、
老年になっては良き助言者になることを学ぶ。
そして、悔いなく死ぬ。
日野原重明氏の105歳の時に死を現実として迎える為の魂の救いを古典に求めて、苦悩から彼の心が楽になる経過を追っているような気がしました。その姿を読んで、私達に平静心へ導き、あるべき姿を教えてくれます。