cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

当たり前に“はてな”。*鰤のムニエルオニオンバルサミコソース*

2009-03-15 | Weblog
[レシピ] ブログ村キーワード

春の嵐は少しずつおさまってきつつも、今日はまだ肌寒い、
あたたかくなって膨らんでいた花々も、
顔をのぞかせていた生きものたちも、
ふたたびなりをひそめちゃったのでは?
と思うような一日。
それでも、今週これからはいよいよ春のぽかぽか陽気へ…という予報だそうですが…
予報ははずれるしなぁ(^_^;)
季節の変わり目で着る服にも困るし、体調管理にも困る、そんな毎日です。
はやく春本番になってほしい、
そんなふうに思いつつも、
じつはこの春の足音を感じながら、どきどきする、
いのちの躍動や、
新しくなにかを始める、その気持ちを後押ししてくれるような空気、
そんなものを感じるこのときこそ、不安定ながらも充実しているとき、
この時の過ごし方次第で先も変わってくるのかも…
そんなふうにも感じます。

…って、偉そうなことを言いながら、今日もまたたいしてなにもせずに一日を過ごしてしまった私です

でもこれがなにもしてなさそうに見えて…
実際…

なにも考えてない。

…って、そんなぁ~~~(笑)

ま、それは半分本当の半分冗談で
半分本当なところが心配なところではありますが、こんなふうに笑えること、元気で過ごしていることは最高に幸せなことでしょうか。
でもだからってそれをどうこう書くわけにもいかないので

(ってこれだけ粘ったらもうかなりツッコミの声が飛んでそうですね(^_^ゞ )

その残り半分の部分で?!
感じたことをひとつ。
話してみたいと思います。


最近耳にした詩のなかの文言から。

“どうしてほとんどの人が見たこともない神を人間の形で思い浮かべるのだろう”

…たしかに、ですよね。
超越したもの、見たこともないもの、われわれ人間とは違うもの、
それを前提に考えているくせに、当たり前のように同じ人間のような形のものを想像している。
そしてそれが私たちの能力をはるかに超える、何ものをも超越した、全能のものとしてイメージしている。
大きく違うもの、見たこともないもの、
なら、まったく人間と形状も違うものである可能性だって同じだけ存在しているはずなのに、
そう想像する人はほとんどいない。
一般的に共有されている認識イメージ、常識的見解からいくと、間違いなく人的な形。
そのことに疑いすら抱かない。
人間がちっぽけな存在であること、愚かな存在であること、
そのことを重々知っている顔をしながらも、
自然の偉大さを思いながらも、
やっぱり人間を超えるものには人間的なものを想像する、
根底にある人間中心、人間至上主義、
万能になることなどあり得ないと言いつつも、どこかでその夢を離さない、
そうした思いがこの現象を生んでいるのかもしれない、
そうも読めるように思います。
違うものと認めつつも、やっぱり同じ価値観、自分と同じだろう、同じであるべき、という前提をつい離さない、
そんな感覚も見え隠れしたり…
他者との相互理解のむずかしさも、こういう自分でも意識しない部分、なんとなく仮定してしまう、そしてそこへ疑いを抱くことなく先へ進んでしまう、
そういうところにも大きな原因があるのかもしれない。
そんなことを考えさせられました。
もちろん、“なんとなく”にすぎない、絵本とか小さいころに見たものの影響、想像力の貧困によるだけ、
そうも言えるかもしれないけれど、その“なんとなく”というもの、習慣性ですりこまれたもの、他、異なるものに対する想像力の欠如、
それは大きな危険を秘めているともいえる。。。

人間の形に神をイメージして疑わない、それが多であるということは、
人間を愛し、人間自身に夢と可能性をかける、明日を見る、信じる、
そういったプラスを表すと同時に、
なにげなくも人間中心主義、自己中心主義から抜け出せない、
他者への想像力、柔軟な感性が欠けていること、というマイナスを示しているようでもある。
なんでも自分からスタートする、
それは当然のことだけれど、それに疑問を抱かないまま、では前へ進まないことはたくさんある、
相互理解の可能性は閉じられていくばかり…
と思います。
自我をふり回す前に、
「当たり前」に疑問を付してみること、
その大切さ、それを忘れていないか?
そんなことを語りかけているような気がして、なんだか心に残った詩の一節でした。

宮島の増えすぎた鹿たちが、子どもにけがをさせたりしてしまう事故が多発したため、数を減らそうとしている、
餌やりも禁止しているそうですが、
鹿たちは人に慣れて育った鹿だけに、餌を得ることができず、対応できず、すっかり飢えている、
なんとか餌を得ようと、なお人を追いかけたりしてしまう…
と悪循環をたどっているとか。
そんな話も目にしました。
どこまでいっても人間の都合。
その時々に巻き込まれた鹿たちには何の罪もない。。。
いのちを“処分”というかたちで解決すればよいという問題ではまったくないということはもちろん、
手のひらを返したような裏切り、飢えを持って強いることもやはりおかしい。
観光資源として飼い始めたのなら飼い始めたで、ともに生きているものとして尊重し、最後まで責任を持つこと、
それを当然としてどうするかを考えてほしい。
そう考えれば今の餌やり禁止、というだけの策は違うのではないか、
どうしてもそんな気がしてしまいます。

あと、これは微妙なハナシですが、日本でも話題になるオバマ大統領のsmart power、soft power。
たしかに聞こえはいいけれど、行使される側にとってはpowerに違いないという視点を忘れてはならない、
受ける側の視点を忘れない策、
ともに歩む道を見極める努力を、難しくとも忘れないでほしい、
そんなふうに思います。

他と我、から発展して今の世の中の話で考えてみましたが、なににしてもこの問題はつきまとうもの。
でも、それは厄介なこと、ではない。
我があるから、他がある。
他があるから、我がある。
他がなければ、我はないし、他を否定することは我も否定すること。
違いあるものとの共鳴がなければ、この世はどんなにか平凡で退屈で貧困で…
新しいものも、輝くものも、何も生まれない。
進歩などあり得ない。
未来は絶対にない。

他を思うあたたかな想像と対話、そこからの創造。
つまらないことを決めつけていないか、小さな疑問の目も大切に思えることって重要なのではないかと私は思います。
でも、はてなに気づくことって、自分のなかに余裕がないと難しいんですよね。
ときどきこういうことを考えることで、その視点を、余裕を、自分のなかに育てておければいいなと思う次第です。


なんか軽く始めたわりにマジメに語ってしまいましたね
でも、自省としても表現しておきたかったので。。。
最後までお付き合いいただいてありがとうございます。

では…
今日のレシピです

・鰤のムニエル オニオンバルサミコソース …①
・リーキとじゃがいものオーブン焼き …②
・独活のフリット レモン風味の香り塩で …③


①の作り方



1 玉ねぎを薄くスライスする
2 1を炒める。しんなりとしてきたら、バルサミコ酢と赤ワインを加えて煮詰めていく
3 フォンドヴォーと砂糖、塩を加えてさらに煮詰め、火を止めておく
4 鰤に軽く塩をしてソテーする
5 4を取り出して余分な油をふき取ったら、バターを入れて溶かしバターにする
6 皿に鰤と3のソース、5の溶かしバターをもうひとつのソースとして盛り付ける。サラダ菜を添える


②の作り方



1 リーキ(ポロねぎ)は6センチほどの長さに切り、じゃがいもは皮つきのまま、それぞれ蒸す
2 じゃがいもの皮はむいて、粗くつぶすように割り、リーキとともに耐熱皿に入れる
3 塩こしょうをして、グリュイエールチーズをのせ、生クリームを少々注ぐ
4 オーブンで焼き上げる


③の作り方



1 独活は皮をむいてスティック状に切る
2 レモンの皮をすりおろす
3 2と乾燥バジル、ガーリックパウダー、岩塩を合わせる
4 小麦粉を冷水と酢で溶き、衣にして1をからめる
5 4を油で揚げる
6 3の香り塩を添えて、盛りつける


話は変わって。
今日のShock昼公演で座長が右足を痛めたらしいっていう話を聞いたのですが…
どうなんだろう
心配です。
ガセ、もしくは大したことないことを願うばかりっっ☆


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