[レシピ] ブログ村キーワード
今日は一日全国的に雨もよう。
風も強くてかなりの荒れ模様でしたね。
センバツも2日目にして全試合雨天順延。
春先は天候が変わりやすいから…とはいえ、ちょっと準備していた選手や応援団、
日曜日ということで観戦を心待ちにしていた方にとっては、恨めしい雨となったことかと思います。
でも雨自体は必要なものですしね。。。
私も今日は家で窓越しに雨をながめていました。
雨の多いころに生まれたせいか?!
雨もそんなに嫌いではない私。
…ってたぶんそれは関係ないか(^_^;)
無性に悲しくなるときもあるけれど、
雨の音、姿に落ち着きを覚えることもあったり、美しいなと思うこともあったり…
どこまでも勝手な想いですけど、そんなふうに思う私です。
雨、といえば天からやってくる水ですが、
水といえば、今日は3月22日、国連水の日。
世界水の日、World Day for Water。
1992年のブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミット(環境と開発に関する国際連合会議)のアジェンダ21で提案され、
1993年、国際連合総会での決議によって定められた記念日。
ということで、それにちなんで水についてちょっと考えてみました。
とても身近だけれど、欠かすことのできないモノ。
ただそこにあるものでありながら、大きな存在。
すべてのいのちの源。
今も変わらずにいのちを支えている。
ときに脅威となることもあるほどのパワーをも持ちうるけれど、普段はやさしくそこにあり、いのちを潤す。
流れる音の安心感。
透明な輝き。
様々な姿を見せる不思議な存在。
どんな環境にも、かたちにもなじむ。
ただそのものでは、そこにとどまっていることはできないけれど、
それゆえにめぐり続ける。
静かに、たゆたい、生き続けるもの。
地球を地球たらしめる、水の惑星といわれるその主としての存在。
なにげなくそばにあるけれど、ちょっと考えて見れば奇跡的なもの。
とても不思議で、大切で、魅了してやまないもの。
あらためてすごいものだなぁ…と思います。
水をモチーフにした芸術作品も多いですしね。
それだけ根源的であり、様々なインスピレーションをもたらしやすいものなのだと思います。
ラヴェルの「水の戯れ」とかも私は好きですね。
表面張力や氷、沸騰する水の姿、
子どものころ不思議で仕方がなかった、
きらきらした科学的な興味をもったのも、そういえば水が一番だったかも…
今でも水好き(笑)ではありますが、そんなふうに思ったりもします。
日本は水が美しく、豊富にある。
ひょっとすると日本が一番恵まれている資源は水かもしれない、と思います。
温度の変化で湯と呼び変えたり、水を様々に表現し変える言葉をもっているのも、それだけ生活がともにあったから、
水のかけがえのなさを知りながら、その恩恵を受け、長く生きてきたからこそなのかもしれないとも思います。
世界でもまれな美味しい水が自然にある。
当たり前に生活とともにある。
昔に比べれば、確かに環境汚染、開発による自然の破壊によって、美しい水は失われてきているけれど、
それでもこうして水道をあければ、美しい水が簡単に手に入る、
こういう状況は当たり前でない国のほうが多いことを思うと、本当にありがたい限りだと思います。
この日本ならではの美しい美味しい水、日本の地から生み出される結晶としての雫。
汚すことなく後世につないでいきたい、
声高のエコもけっこうですが、水の観点から思う、
いのちと自然を愛するかたちでのエコ、
それが当たり前に、ビジネスでなく、見出され、根付いていくことが理想なのではないかと私は思います。
そして安全な水、生活に不可欠な水が満足に得られない地域をなくすために、
その整備をいちはやく調えるために、
なにか私にも身近に協力できることがあればいい、と思います。
先日、チップ的なカタチで、飲食店での利用で、発展途上国のきれいな水を確保するための基金を集める試みがなされた、
というニュースを耳にしましたが、そういう試みもいい、
ほかにも、以前あったのはミネラルウォーターの値段の一部が寄付されるというのもありましたね、
そういう試みもいい、
手軽に参加できる、こういう活動が今後さまざまに広がっていくことを願いたいです。
水は古くは「みづ」ですが、
その語源は「満・充(みつ)」に通ずるとする説や
「満出(みちいづ)」「充足(みちたる)」「実(みのる)」などからくるとする説、
正確な語源は未詳ながら、最初の説が一番有力とされていて、どれにしても豊かさ、すべてを満ち足りさせるイメージが結びついている言葉のようです。
本能的に完全体としての水、かけがえのないいのちの水、
その水の性格を感じとっていた、繊細な感性を感じるとともに、改めて「みず」という言葉の美しさを思います。
また民間語源説ながら、水は生命を繋げるものであることから、
水の「み」が「身」のことで「生命」を意味し、
水の「ず」は「繋げる」を意味するといった説もあるとか。
歴史的史実、客観的事実ではなくとも、そういう思いを言葉に込める、
身近な水を思う文化、
結び付けようとするその視点、感覚が生じる空気、
それは今の世界がどこかにおいてきてしまった、本当の豊かな生にもつながるようなもののようにも感じます。
水のように生き、
水のようにありたい。
なかなかそこへいたることはできないけれど、
それは根源であり、究極の理想なのかも、
…そう思います。
今日のレシピです
・牛肉のグリル パープルポテトのアリゴ風 …①
・キャベツのアジアン風バルサミコ酢炒め …②
・いろいろ野菜の寒天テリーヌ ヨーグルトクリームソース …③
①の作り方
1 紫ジャガイモを蒸してつぶす
2 1を裏ごして、牛乳、生クリーム、チーズ、塩こしょうを加えて、温めながら練る
3 火を止めてバターを溶かしこむ
4 牛肉は塩をしてグリルする。胡椒を挽く
5 サラダ菜、レタスと別器に入れた3、肉を盛りあわせて出来上がり
②の作り方
1 キャベツは粗くちぎる
2 オリーブオイルで1を炒め、バルサミコ酢と焼き肉のたれ少々、粒マスタード、塩をくわえて炒め煮にする
3 水分がなくなれば出来上がり。器に盛りつける
③の作り方
1 リーキはかためる器に合わせた長さに、人参は小さな角切りに、ブロッコリーは小房に分けるように切る
2 1をリーキから順にコンソメスープで煮て火を通す
3 粉寒天を加えて煮溶かす
4 水でぬらした型に3を入れて冷やし固める
5 ヨーグルトとマヨネーズを合わせる
6 型から外したテリーヌを盛りつけ、5のソースをかける
今日はちょっと遅めのDBですね。
昨日は思った以上に探偵さん、出番少なっ
もうちょっと回想以外のところもあるのかと期待していたのですが…
ま、やっぱり本番は次回から、ですかね
楽しみにしています。。。
あ、その前にMUSIC STATIONスペシャルがあるわっ
楽しみが多くていいですね~~♪
まずは今日のベッキーを楽しんで、今週もがんばりますっ☆
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コメントも大歓迎
お気軽にお寄せくださいね
それでは
今日は一日全国的に雨もよう。
風も強くてかなりの荒れ模様でしたね。
センバツも2日目にして全試合雨天順延。
春先は天候が変わりやすいから…とはいえ、ちょっと準備していた選手や応援団、
日曜日ということで観戦を心待ちにしていた方にとっては、恨めしい雨となったことかと思います。
でも雨自体は必要なものですしね。。。
私も今日は家で窓越しに雨をながめていました。
雨の多いころに生まれたせいか?!
雨もそんなに嫌いではない私。
…ってたぶんそれは関係ないか(^_^;)
無性に悲しくなるときもあるけれど、
雨の音、姿に落ち着きを覚えることもあったり、美しいなと思うこともあったり…
どこまでも勝手な想いですけど、そんなふうに思う私です。
雨、といえば天からやってくる水ですが、
水といえば、今日は3月22日、国連水の日。
世界水の日、World Day for Water。
1992年のブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミット(環境と開発に関する国際連合会議)のアジェンダ21で提案され、
1993年、国際連合総会での決議によって定められた記念日。
ということで、それにちなんで水についてちょっと考えてみました。
とても身近だけれど、欠かすことのできないモノ。
ただそこにあるものでありながら、大きな存在。
すべてのいのちの源。
今も変わらずにいのちを支えている。
ときに脅威となることもあるほどのパワーをも持ちうるけれど、普段はやさしくそこにあり、いのちを潤す。
流れる音の安心感。
透明な輝き。
様々な姿を見せる不思議な存在。
どんな環境にも、かたちにもなじむ。
ただそのものでは、そこにとどまっていることはできないけれど、
それゆえにめぐり続ける。
静かに、たゆたい、生き続けるもの。
地球を地球たらしめる、水の惑星といわれるその主としての存在。
なにげなくそばにあるけれど、ちょっと考えて見れば奇跡的なもの。
とても不思議で、大切で、魅了してやまないもの。
あらためてすごいものだなぁ…と思います。
水をモチーフにした芸術作品も多いですしね。
それだけ根源的であり、様々なインスピレーションをもたらしやすいものなのだと思います。
ラヴェルの「水の戯れ」とかも私は好きですね。
表面張力や氷、沸騰する水の姿、
子どものころ不思議で仕方がなかった、
きらきらした科学的な興味をもったのも、そういえば水が一番だったかも…
今でも水好き(笑)ではありますが、そんなふうに思ったりもします。
日本は水が美しく、豊富にある。
ひょっとすると日本が一番恵まれている資源は水かもしれない、と思います。
温度の変化で湯と呼び変えたり、水を様々に表現し変える言葉をもっているのも、それだけ生活がともにあったから、
水のかけがえのなさを知りながら、その恩恵を受け、長く生きてきたからこそなのかもしれないとも思います。
世界でもまれな美味しい水が自然にある。
当たり前に生活とともにある。
昔に比べれば、確かに環境汚染、開発による自然の破壊によって、美しい水は失われてきているけれど、
それでもこうして水道をあければ、美しい水が簡単に手に入る、
こういう状況は当たり前でない国のほうが多いことを思うと、本当にありがたい限りだと思います。
この日本ならではの美しい美味しい水、日本の地から生み出される結晶としての雫。
汚すことなく後世につないでいきたい、
声高のエコもけっこうですが、水の観点から思う、
いのちと自然を愛するかたちでのエコ、
それが当たり前に、ビジネスでなく、見出され、根付いていくことが理想なのではないかと私は思います。
そして安全な水、生活に不可欠な水が満足に得られない地域をなくすために、
その整備をいちはやく調えるために、
なにか私にも身近に協力できることがあればいい、と思います。
先日、チップ的なカタチで、飲食店での利用で、発展途上国のきれいな水を確保するための基金を集める試みがなされた、
というニュースを耳にしましたが、そういう試みもいい、
ほかにも、以前あったのはミネラルウォーターの値段の一部が寄付されるというのもありましたね、
そういう試みもいい、
手軽に参加できる、こういう活動が今後さまざまに広がっていくことを願いたいです。
水は古くは「みづ」ですが、
その語源は「満・充(みつ)」に通ずるとする説や
「満出(みちいづ)」「充足(みちたる)」「実(みのる)」などからくるとする説、
正確な語源は未詳ながら、最初の説が一番有力とされていて、どれにしても豊かさ、すべてを満ち足りさせるイメージが結びついている言葉のようです。
本能的に完全体としての水、かけがえのないいのちの水、
その水の性格を感じとっていた、繊細な感性を感じるとともに、改めて「みず」という言葉の美しさを思います。
また民間語源説ながら、水は生命を繋げるものであることから、
水の「み」が「身」のことで「生命」を意味し、
水の「ず」は「繋げる」を意味するといった説もあるとか。
歴史的史実、客観的事実ではなくとも、そういう思いを言葉に込める、
身近な水を思う文化、
結び付けようとするその視点、感覚が生じる空気、
それは今の世界がどこかにおいてきてしまった、本当の豊かな生にもつながるようなもののようにも感じます。
水のように生き、
水のようにありたい。
なかなかそこへいたることはできないけれど、
それは根源であり、究極の理想なのかも、
…そう思います。
今日のレシピです
・牛肉のグリル パープルポテトのアリゴ風 …①
・キャベツのアジアン風バルサミコ酢炒め …②
・いろいろ野菜の寒天テリーヌ ヨーグルトクリームソース …③
①の作り方
1 紫ジャガイモを蒸してつぶす
2 1を裏ごして、牛乳、生クリーム、チーズ、塩こしょうを加えて、温めながら練る
3 火を止めてバターを溶かしこむ
4 牛肉は塩をしてグリルする。胡椒を挽く
5 サラダ菜、レタスと別器に入れた3、肉を盛りあわせて出来上がり
②の作り方
1 キャベツは粗くちぎる
2 オリーブオイルで1を炒め、バルサミコ酢と焼き肉のたれ少々、粒マスタード、塩をくわえて炒め煮にする
3 水分がなくなれば出来上がり。器に盛りつける
③の作り方
1 リーキはかためる器に合わせた長さに、人参は小さな角切りに、ブロッコリーは小房に分けるように切る
2 1をリーキから順にコンソメスープで煮て火を通す
3 粉寒天を加えて煮溶かす
4 水でぬらした型に3を入れて冷やし固める
5 ヨーグルトとマヨネーズを合わせる
6 型から外したテリーヌを盛りつけ、5のソースをかける
今日はちょっと遅めのDBですね。
昨日は思った以上に探偵さん、出番少なっ
もうちょっと回想以外のところもあるのかと期待していたのですが…
ま、やっぱり本番は次回から、ですかね
楽しみにしています。。。
あ、その前にMUSIC STATIONスペシャルがあるわっ
楽しみが多くていいですね~~♪
まずは今日のベッキーを楽しんで、今週もがんばりますっ☆
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それでは