行く末は誰が肌触れむ紅の花
どうやら草食人種だったように思える芭蕉にしては、色気のある句である。
染料として日本で最も古くから栽培されてきた紅花と言えば、まず山形を思い出す。江戸時代から最上川流域は日本一の産地で、今でも加工用や切花用に栽培され、山形県の花に指定されている。
桶川の紅花は、江戸で種を譲り受けて、栽培したのが始まりだった。最上川流域と比べ、気候が温暖なため、一月早く収穫でき、「早場もの」として喜ばれた。
取引価格が反当たり、米の2倍もしたので、栽培農家が増え、「最上紅花」に次ぐ全国第2位の生産量を誇った。
幕末には、最上地方を上回る値で取引された。桶川の紅花は、「桶川臙脂(えんじ)」と呼ばれ、桶川は臙脂景気でにぎわった。
皇女和宮が宿泊した桶川宿は「紅花宿」とも呼ばれたほどだった。
桶川祇園祭の山車の引き回しは京の都から、祭囃子は江戸から採り入れられたのは、京都とも江戸とも取引があったことを物語っている。
市内の稲荷神社には、紅花商人から寄進された石灯籠2基が残されている。
「臙脂」の漢字をつらつら眺めていると、芭蕉の句ではないが、なにか年増芸者の色気を感ずる。臙脂とは、「濃い紅色」「黒味のある紅色」のことである。
梅雨どきに黄色い花を咲かせる紅花は何回も見ているけれど、一本の花としては丈も低く、その色も目を奪うほどではないので、一度群生したべに花を見てみたいものだと思っていた。
新聞を見ると、14年6月21、2の両日、「第19回べに花まつり」が開かれるというので、朝早くから出かけた。なにしろ市農業センター周辺など3か所で約30万本のべに花が楽しめるというのだから。
桶川市には、JR高崎線の東側の加納地区に「べに花ふるさと館」がある。昨年はここがメイン会場だったのに、今年は圏央道・桶川北本インターチェンジ新設の関連工事で道路が混雑しているので、高崎線西側の川田谷地区に移された。
城山公園や、生涯学習センターや農業センターがある。紅花畑が数か所あり、群生した紅花を見ることができた。(写真)
桶川駅から無料の臨時バスを運行させ、公園では熱気球の試乗会もあった。紅花染め体験や摘み取り体験もあった。
恋人や意中の人への思いを絶叫する「べに花畑で愛を叫ぶ」の企画もあった。
桶川の紅花つくりは、化学染料の普及でいったん滅んだものの、愛好家や桶川ロータリークラブが山形県から種子を譲り受け 徐々に栽培を再開、市のイベントで種子の無料配布も行った。
市も1994年から「べに花」をシンボルにした「べに花の郷(さと)づくり」に乗り出し、96年から「べに花まつり」を始めた。栽培農家は19軒に増え、「べに花生産組合」も出来ている。
市のマスコットキャラクター「オケちゃん」は頭に黄色い花を頂いている。「べに花まんじゅう」も「紅花かすてら」もある。
総合スーパー「ユニー」は14年11月、ショッピングモール「ベニバナウォーク」をオープンした。
臨時バスで駅に帰る途中、最近話題になっている、水着姿の「桶川の美少女」の像も見えた。ライオンとパンダを従えて県道川越栗橋線の傍らに立つ、