2011年3月11日
ぐしゃぐしゃになった職場を整理できるだけ片付けて
途中、電線が切れて垂れ下がったり、農家の作業場が崩壊したりしているのを
横目で見ながら、自宅に向かった。
信号の消えた交差点で車を止めると、大きな余震があったりと心臓の鼓動が収まらなかった。
自宅にたどり着くと、幸い外観は問題なく、ほっとしたが
室内は壁紙が、壁のコンパネに沿ってひび割れておりました。
被害は受けたものの、幸い、軽い被害で済みました。
が、ご近所では瓦、特に「ぐし瓦」が崩れているお宅が目立ちました。
良く写真を撮る神社の灯篭は倒れてしまった。
幸い、ここも後日復旧されました。
沼辺のビジネスホテルは壁が崩れ落ちてしまった。
ここはいまだにこのままの姿をさらしています。
沼辺には数百メートルに及ぶひび割れができていました。
何かいつもと違う香りがするらしく、盛んに愛犬が嗅ぎまわっておりました。
千葉にある都営霊園にある当家の墓は墓石が踊って数度回転しておりました。
幸い、中心にほぞが切ってあって落下は免れました。
が、周囲には墓誌が倒れて割れていたり、大きな墓石が倒壊しているところもありました。
散歩道では液状化の影響で道路が隆起、割れているところも・・・。
近くのガソリンスタンドには先頭も最後尾も見えないくらいに車の行列が続いた。
片側1車線の道路の車線を1/3ほどふさいでしまった。
翌日、線路際に出てみると常磐線の線路が牛久坂上で崩落していました。
これが常磐線が止まった一つの原因でもありました。
翌、3月12日にはあっという間に復旧工事が始まりました。
隣の6号線は上下大渋滞。取手方面からはまだ歩いてくる方が多く居りました。
私の足で3時間近くかかるので普段歩きなれない人だと大変だったと思う
あっという間に工事は進み、
数日で工事は終わり、
3月18日には緩行電車が人を乗せて徐行運転を始めた
今では散歩道のどこを歩いても地震の痕跡は探さないと見当たらない。
けれども、ブルーシートがボロボロになって残った家がまだ建っていたりもする。
知人の中には家が傾いて住めなくなったり、職場が津波で流されたり
海辺を走っていて車ごと流されたが何かに引っかかって九死に一生を得た人もいる。
まあ、自分は家族も無事で職場も数日で復旧したし被害は無いに等しかった。
せめて、ここで語り継ぐことができればと・・・