今、比叡の山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの廂をさして、芝折くぶる縁とす。(方丈記前田家本)
この「東に三尺余りの廂をさして」と「芝折くぶる縁とす。」には関連が無い。
この為、安良岡康作氏は全訳注の中で、「方丈の庵の東に、三尺あまりの小さい屋根を張り渡して、そこを、柴を折り取って燃やす拠り所とする。」と山で柴刈りした柴を保管している場所としている。
確かに折角刈り取った柴を雨に濡らすと燃えにくくなってしまうし、山の地面に置かれたままの柴は結構湿っていてそれを乾燥させる場所が必要である。
方丈記には、庵の様子を事細かに記載している。しかし、柴を焚く炉の場所の記載が無い。
京都の冬は、雪は少ないものの底冷えする所であり、暖房が無くては生活は出来ない。勿論炉は煮炊きする場所でもある。
これを流布本系になると
東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。
とあり、すびつは大辞林によると、
すびつ【炭櫃】
いろり。炉。一説に、角(かく)火鉢の意という。「火桶の火、―などに、手の裏うち返しうち返し」〈枕・二八〉
とあり、枕元に炉を置いて、暖を取って寝ていた事となる。
つまり、古本系は何らかの理由で炉の表記部分が脱落したものが書写されていったと考えて良い。
参考
方丈記全訳注 安良岡康作 講談社学術文庫
方丈記 青空文庫 底本は「國文大觀 日記草子部」明文社で流布本系である。
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