(河内弘川寺西行歌碑)
佛には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば
(山家集 花の歌あまたよみけるに 西行)
1 はじめに
西行の歌に、
佛にはさくらの花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば
と言うものがある。これについて、日本の仏教感との関係について考えてみる。
(奥吉野西行庵)
2 仏教と成仏
日本の慣用詞として、死んだ人を、「仏」と呼んでいる。この為、
「私が仏になったら桜の花を供えて欲しい。もしも後の世に誰かが弔ってくれるのならば」と訳している本も有る。
しかし、平安時代後期にこの樣な思想があったのだろうか?人は死ねば、苦界の六道を輪廻し、五十六億七千万年後に弥勒菩薩の覚醒により、人々は成仏すると信じられている。
これには、親鸞の浄土真宗で、阿弥陀仏の本願で、西方浄土に往生して阿弥陀仏の教化により仏となるとしている。親鸞は、
真実信心うる人は
すなわち定聚の数に入る
不退の位に入りぬれば
かならず滅度にいたらしむ
すなわち定聚の数に入る
不退の位に入りぬれば
かならず滅度にいたらしむ
つまり、西行の時代には無かった教義である。
(源氏物語絵 御法)
4 源氏物語の御法の紫の言葉
源氏物語御法に、紫の上が匂宮に、
「大人に成り給ひなば、ここに住み給ひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花の折々に、心とどめてもて遊び給へ。さるべからむ折は、仏にも奉り給へ」
と聞こえ給へば、うちうなづきて、御顔をまもりて、涙の落つべかめれば、立ちておはしぬ。
とある。つまり、紫の上が自分が死んだ後は、仏にも梅や桜を奉って、私の後生を祈ってくれと遺言している。
(西行物語絵巻)
4 吉野金峰寺と桜
吉野山は、桜の名所として名高い。西行も上吉野に庵を構え、吉野の桜の歌を残している。
吉野山にはおよそ3万本の桜があり、その多くはシロヤマザクラであると言われている。これは、開祖と言われている奈良時代の役行者が、金峯山寺を開くとき感得した蔵王権現を桜の木に刻み描いた故事から、歴代の修験行者が植えて行ったと言われている。
さて、蔵王権現が仏とするかと言うと、権現とは、日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号であり、日本独自の神仏と考えられている。当時の西行が蔵王権現を仏と認識しているか不明であるが、もし西行が蔵王権現も仏と認識しているのであれば、修験行者が吉野に桜を植えていったので、自分が死んだ後にも植えてくれとも読める。西行は、修験者に関心を持っていた事は、古今著聞集「西行法師大峰に入り難行苦行の事」にも記載されている。
ただし、これは蔵王権現が仏として認識されているとの前提が必要だが、その根拠は無い。
5 考察
以上の点から、西行の歌は、源氏物語御法の本説取りと考えてよく、意識として蔵王権現への信仰から、桜を後世の人に植えて欲しいと願ったと考察する。
参考
浄土真宗親鸞会HP 葬儀でよく故人を「仏さま」と表現されますが、適切でしょうか?