新古今和歌集の部屋

長明発心集 第二 仙命上人の事 并覺尊上人事

仙命上人事 并覺尊上人事

近來山に仙命聖人とて貴き人ありけり。其勤め理

觀を肯として常に念佛をぞ申ける。有る時持佛

堂にて觀念する間に空に音ありて、あはれ貴き事を

のみ觀し給ふ物哉と云。あやしみて誰かくはの給ぞと

問ければ、我は當所三聖也。發心し給し時より日に

三度あまかけりて守り奉る也とぞ答給ける。此聖

更に自ら朝夕の事を不知。一人つかひける小法師

山の坊ごとに一度廻て一日のかれいを乞て養け

る外には何も人の施を受ざりけり。時の后の宮願

を發て、世に勝て貴からん僧を供養せんと心さして、

あまねく尋ね給ひけるに、此聖のやむ事なき由を聞

給ひて、即御自ら布袈裟をぬい給て有のまゝに云はゞ

よも受じと覚して、とかくかまへた此小法師に心を

合てなむ思かけぬ人の給はせたりつるとて奉りければ、

聖是を取て能々みて三世の佛得給へとて谷へなけ

すてゝげれば、云かひなくてやみにけり。大方人の乞物更

に一をしむ事なかりけり。板しきのいたをほしかる人の有け

れば、我房の板を二三枚はなして取せたりける間に、東

塔の鎌倉にする覚尊聖人とくヰにて、夜くらき時來

けるが、板しきの板のなき事を知ずして落入間にあなか

なしと云けるを聞て御房は不覚の人哉。若さてやか

て死なむ事もかたかるべき身かは、あなかなしと云をはりの言

やは有べき、南無阿弥陀佛とこそ申さめなむど云ける。此

仙命上人彼覚尊が住鎌倉へ行たりけるに、とみの事

ありて客人をおきながら、きと外へ行とて急出る人の

さらに内へ返入てやゝひさしく物のしたゝめければ、あやしふ

て出て、後跡を見給ふに、万の物に悉く封を付たり。

此聖思樣いと心わるきしわざ哉。よもありきの度にかく

しもしたゝめし我を疑心にこそ。はやかへれがし。此事を

はぢしめむと云。かく思たる程に返きたれり。思まうけたる

事なれば、見つくるやをそしと此事をいふ。覚

尊の云く常にかくしたゝむるに非ず。又人の物をとるを惜

にも非ず。されども御房のをはすればかくとりをさめ侍べる

也。其故は若此等いさゝかもうせたる事あらば、凡夫なれば

自ら御房を疑ひ奉る心の有らん事のいみじふ罪

障ありぬべく覚へて、我心の疑はしさになむ何はかりの物

をかば惜み侍らんとぞ云ける。かくて鎌倉の聖さきに隠

れぬと聞て、必往生しぬらむ物に封付し程の心のたくみ

なればとぞ仙命聖人は云けれ。其後夢に覚尊にあへり。

先初の詞には何れの品ぞと問ければ、下品下生也。其だに

もほと/\しかりつるを、御房の御德に往生とげたるなり

日比橋をわたし道をつくりし行ばかりにては叶はざら

まし。御すゝめによりて時々念佛をせしかばとぞ云ける。又

云仙命往生は叶ひなむやと問。其事うたがひなし。はやく

上品上生に定まり給へりと云とぞ見たりける。

 

※仙命聖人 比叡山無動寺法華房で止観を主に修行。嘉保三年(1096年)没。

※覚尊聖人 生没年出自不明。比叡山で修行して鴨川堤防再建などで功績があり、多くの帰依を受けた。鎌倉は比叡山の谷の名前。

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