新古今和歌集の部屋

百人一首図会 小式部内侍

(月の巻)

 小式部内侍 父和泉守橘通貞
          母和泉式部也。小式
          部次母名云。
大江山    天
 いく野の   の
道の
  遠    は
 けれ     し
   ば
まだ       だ
 ふみも
   みず     て
 
(花の巻)

  小式部内侍
大江山いくのゝ道のとほければ
まだふみもみず天のはしだて
金葉集雑上和泉式部保昌に
ぐして丹後の国にはべりける
比都に哥合ありけるに
小式部内侍うたよみにと
られ侍りけるを哥合の作者にえらばるゝ也
中納言定頼局のかたにま
うできて哥はいかゞせ
させたまふ。丹後へ人
つかはしけんや。つか
ひはまうでこずや。
いかに心もとなくお
ぼすらんなどたはぶれ
てたちけるをひきと
どめてよめるとあり。
是は小式部のよきうたあるははゝの
いづみ式部がよみてえさするなどい
ふ人ごとのありければさだより卿の
かくたはぶれていはれたるなり。

○うたの心は、丹後へくだる丹
波ぢは大江山といふ大なる
山ありいくのといふはるか
なる野あればはゝのくだり
てのちは文のたよりさへ
なしと也。ふみもみずの詞
天のはしだて丹後也の縁也。即事
にかやうの名哥をよみて
人のうたがひをはらし名を
のちのよにあらはせる哥
のとくはいふもさらなり。
内侍の秀才まことにあ
りがたくおぼえてなみ
ださへぞこぼるゝ。

京都府福知山市生野

藤原保昌は、寛仁4年(1020年)頃丹後守となっているので、大河ドラマ光る君へで、出て来ると思っていたが、結局出て来なかった。


大江山は、山城と丹波の境の大枝山と言う説が有るが、大枝山の麓に大原野神社が有り、一条天皇が行幸するなど、平安京から見え、とても近く、歌の主旨とはかけ離れている。

丹波と丹後の境に有り、山賊などが出没し、藤原保昌が退治したと伝えられる大江山とすべきであろう。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「その他」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事