すみの江の
はまの真沙を
ふむたづは
ひさしき跡を
とむるなり
けり
新古今和歌集巻第七 賀歌
七條の后宮の五十賀屏風に
伊勢
住の江の濱の眞砂をふむ鶴はひさしきあとをとむるなりけり
よみ:すみのえのはまのまさごをふむたずはひさしきあとをとむるなりけり 隠削
意味:住之江の浜の砂を踏む鶴の足跡は千年も残っていると同じように七条の后宮様の寿命も永くあるのでしょう
備考: 承平四年十二月九日に行われた七条后五十賀屏風歌。歌枕 住之江 大阪市住吉区の海岸。古今和歌六帖。
清閑寺前大納言益房
元文元年(1736)ー享和三年(1803)
清閑寺家は、藤原北家勧修寺流で、権大納言吉田経長の五男資房を家祖として南北朝時代に創立されたの公家で、長く中絶していたが、江戸時代初期の頃に同流の権中納言中御門資胤の子共房が入って再興。益房は、江戸時代の従一位大納言。父は権大納言清閑寺秀定。
清閑寺家は、藤原北家勧修寺流で、権大納言吉田経長の五男資房を家祖として南北朝時代に創立されたの公家で、長く中絶していたが、江戸時代初期の頃に同流の権中納言中御門資胤の子共房が入って再興。益房は、江戸時代の従一位大納言。父は権大納言清閑寺秀定。
1762 正三位
1764 右衛門督
1765 従二位
1768 正二位
1771 皇太后宮権大夫
1786 権大納言
1764 右衛門督
1765 従二位
1768 正二位
1771 皇太后宮権大夫
1786 権大納言
1793 従一位
令和6年12月26日 壱點伍