藤原公任
見し人の
なくなりゆ
くを
きくまゝに
いとゞみやま
ぞさびし
かり
ける
返し
藤原斉信
消え殘るかしらの
雪を
拂ひつゝ
寂しき山を思ひ
やる
哉
栄花物語 つるのはやし
とのばらの、みだうにて日の過ぐるまゝに、あはれなる御事を尽きもせずおぼし歎きて、またこのほどにあさましうあはれなりつることは、じゞうのだいなごんの、ついたちより、あやしうれいならぬかぜにやとて、ほゝまゐり、ゆゆなでなどしてこゝろみたまひけれど、いと苦しうのみ思されければ、いかなるにかと思し、殿のうちもよろづに御祈りも騒ぎけるに、四日のよさり、殿のおまえの終らせたまひしをりにこそうせたまひにけれ。いと苦しう思されければ、姫君とゆきつね、のぶつねの君の御手どもをひだりみぎにとらへてこそ絶え入りたまひけれ。あはれに悲しともおろかなり。北の方、きむだちまどひたまふ。
この殿はとしごろだうしむにて、おこなひいみじうしたまひつる人なり。法華經、念佛かずしらぬに、日々のしょさにだいぶつちやうをこそしちへん読みたまひけれ。おぼろげならずは、かならずわうじやうの有樣ならんと疑ひなし。そがうちに、ちちよしたかのの少将はうべんぽむずんじてうせたまひて、往生のきに入りたまふめり。
いちでうの摂政の御すゑ、あやしういのち短くおはするに、この殿は五十に餘りたまへりかし。されど、この殿は、御心のかぎりなくめでたくおはしつればにや、今までおはしましつ。くらゐもしやうにゐ、つかさも大納言ばかりにて、はぢなきほどなり。おほやけよりはじめ、世の人いみじうをしみきこゆ、いみじき物のじやうずのうせたまひぬることゝ、くちをしう思ふ人おほかり。さりげもなく盛りにおはしつる殿の、思ひがけぬほどの御有樣こそ、かへす/"\あはれにかなしけれ。殿の御有樣は、されど御年もよりて、こゝらの年ごろ栄えさせたまへりつれば、ことわりに思ひきこえさす。この殿の御しにこそ、いとあへなき御事に世の人きこゆ。中納言殿、かゝらぬをりならましかば、送りきこえてましとくちをしう、ひとしらずあはれにぞ歎かせたまふ。この事共聞きたまひた、ながたにのにふだうの御もとより、ちゆうぐうのだいぶに聞こえたまひける、
見し人のなくなりゆくをきくまゝにいとゞみやまぞ寂しかりける
中宮大夫、御返し、
消え殘るかしらの雪を拂ひつゝ寂しき山を思ひやるかな
となん聞こえたまひける。
※侍従大納言 藤原行成
※ゆきつね、のぶつね 藤原行経、信経(良経の誤り?)で、行成の子。
※ちちよしたかの少将 藤原義孝で、行成の父。
※往生のき 日本往生極楽記
※中納言殿 道長の六男、藤原長家。行成娘を妻としていた。
※ながたにのにふだう(長谷の入道)藤原公任。
※ちゆうぐうのだいぶ(中宮大夫)藤原斉信。