21
拾訓抄は、爲長卿の作かと覺ゆる也。哥仙、有職、能書にて有りし也。官の廳にて侍りしかば、文を以て先とせし也。面白き事共を書きたる物也。我も持ち侍りしを今熊野にて燒き侍りし也。
24
三躰の哥にも慈鎭和尚のねぬにめざむる※の哥ぞ誠に玄妙なるものにて侍る。先づねぬにめざむるといふは、假令宵の間ねもせでゐたるに郭公の鳴くを聞きておどろきたるがめざむるにて有る也。是を心得ぬ人は、ねいらでは何とめざむるべきぞといはんは道理なれど、其たぐひは云ふに及ばず。是は玄妙なれ共上手はなをしも思ひよることも侍るべきか。この詞を得ても、上句には、夕されの雲のはたてをながめて、とも、宵のまに月をみて、とも讀むべき也。しかるを、まこもかる美豆の御牧の夕まぐれ、と有るぞ、更に凡慮も及ばず、理の外なる玄妙更に何共せられぬ所にて侍る。か樣かけはなれたる所を取合はする事、自在の暗いと乗りゐてのしわざ也。春の哥に、
吉野川花の音して流るめり霞のうちの風もとゞろに (三体和歌 春 前大僧正慈円)
といへるが大なる也。又秋の哥に、
秋ふかき淡路の島の有明に傾く月を送る浦風 (秋歌下 520 前大僧正慈円 三体和歌 秋)
※
まこもかる美豆の御牧の夕まぐれねぬにめざむる郭公かな (三体和歌 夏 前大僧正慈円 夫木抄 巻八)
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