新古今和歌集の部屋

歌論 正徹物語 下 77



落花、
咲けば散る夜のまの花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲 
(草根集 正徹)
幽玄躰の哥也。幽玄と云ふ物は、心に有りて詞にいはれぬもの也。月に薄雲のおほひたるや、山の紅葉に秋の霧かゝれる風情を幽玄の姿とする也。是はいづくか幽玄ぞと問にも、いづくといひがたき也。それを心得ぬ人は、月はきら/\と晴れて普き空に有こそ面白けれといはん道理也。幽玄といふは更にいづくが面白きとも妙なりともいはれぬ所也。夢のうちにやがてまぎれぬは、源氏の歌なり。
源氏、藤壺に逢て、
見ても又逢ふ夜稀なる夢のうちにやがてまぎるゝ憂身ともがな 
(若紫 源氏)
と讀しも、幽玄の姿にて有也。見ても又逢夜稀なるとはもとも逢ず、後にも逢まじければ、逢ふ夜稀なるとは云也。此夢が覺ずしてゆめにてもはてたらば、やがてまぎれたるにて有べき也。夢の中とは逢をさしたる也。夢の中とは逢ふをさしたる也。此逢ふと見えつる夢中に、やがて我が身もまぎれてゆめにてはてよかしと也。藤壺の返しに、
世語りに人やつたへんたぐひなく憂き身を覺めぬ夢になしても 
(若紫 藤壺宮)
とあり。藤壺は源氏の爲には繼母也。さるにかゝる事有りしかば、たとひ憂き身は夢にてもはてたりとも、憂き名はとゞまりて、後の世語りにいひつたふべしと也。夢のなかにやがてまぎるゝの心を能く請け取りて詠みし也。咲けば散る夜のまの花の夢のうちにとは、花を咲くかと見れば夜のまにはや散るもの也。あけて見れば雲はまぎれもせずしてあれば、やがてまぎれぬ峰の白雲とは云ふ也。夢のうちとは咲き散るうちをさす也。
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