百人一首拾穂抄 北村季吟抄
序
定家卿系図
小倉山荘色紙和歌
山荘
あとがき
先師貞徳翁の百人一首の説は、玄旨法印の御かうせち
をまのあたり承りて、門弟子のわきて執学のものに
をまのあたり承りて、門弟子のわきて執学のものに
ひそかにつたえられ侍し。されば作者のよみくせ、哥のてに
をは秘訣のおもむきなど、すべて彼法印の口授のむねにて
其傳来の故ふかし。しかるに世に尩弱の学者、偽の注解を
なして、是かの老人の説にして予が抄せしなどいひふるゝ
事ありとかや。名哥の本意をたがへて見む人をまど
はし、先師の故実をおほひて後の代〃にも疑ひをのこす。
かくのごとくの、ちゞのとがをわが身ひとつにおふべきに
似たり。ことはり正さずはあるべからず。よりて玄旨の御
抄をもととし、師説をまじへ、諸抄の中のとるべきところを取
用ひて、愚息湖春に清書せしめ、百人一首拾穂抄と名
付侍し。其五ケノ秘訣は一家の深秘授受の血脈
なれば、みだりにせん事おそれあれば、是にはもらし
侍けらし。 天和元年霜月冬至日 北村季吟書
三陽陳人舟宰
川勝又兵衛 梓行
北村書堂
刊行年不明
著者:北村季吟